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腕時計は腕につけるものだと思われているが、そもそもどうやってそこにつけられるようになったか最後に考えたのはいつだろうか? これは完璧なソリューションなのだ。適度な大きさの時計は、腕につけると邪魔にならず、時間を確認するための位置にも困らない。必要のないときには目立たない存在だが、必要なときにはすぐに利用できる。これ以上ないソリューションだ。
そしてその特性こそが、第一次世界大戦の兵士にとって理想的なソリューションとなり、この大戦は時計が懐中から腕に移行した最初の歴史的事件となった。この流れは、イギリスがボーア人の国、トランスバール共和国とオレンジ自由国に進軍したボーア戦争の時に始まったと言われている。手首に装着するようになった理由は簡単だ。手首につけることで、懐中時計を操作する片手が空くというシンプルな理由だ。第一次世界大戦の頃には、腕時計の機能的な利点からトレンドになっていた。そして、戦場だけではなく、民間でもファッションとして定着していったのだ。戦争が始まる前は腕時計を身につけるのは女性だけだったが、今では兵士の精神を反映して、男らしさと勇敢さの象徴となっている。
時計が懐中時計から腕に移ったとき、それは新鮮なデザインを注入する機会となった。トレンチウォッチ(リストレット)は、現在の基準からするとかなり過激なデザインだ。前線では兵士が塹壕に出入りする際に時計を保護する必要があるため、当然ながら風防を保護することが第一の要素となった。風防はヒンジ付きのケージで保護され、数字が見えるように設計されていることが多く、これは懐中時計から引き継がれたデザイン要素だ。トレンチウォッチは、そのシンメトリーでデザイン性の高いガードデザインによって、現代の時計とは魅力的に一線を画している。
ガードで針が隠れてしまい、時刻が読みづらくなるため、そのデザインは美しさと問題点を併せ持っていた。ただ、耐久性という単純な問題を解決するために生まれたこの皮肉なエレガンスには魅力がある。トレンチウォッチの風防はミネラルガラスで、比較的壊れやすかったのだ。1930年代に飛散防止のプレキシガラスが登場し、クリスタルガードは終焉を迎えた。
ケースバックに名前や肩書き、地名などを刻印することも、懐中時計から引き継がれた。第一次世界大戦中にはドッグタグが導入されていたが、名前を刻印することで身分証明として使うこともできたのである。この大戦で海外に派遣されたアメリカ兵は約280万人。そのうち約180万人がフランスに派遣された。
現代の時計デザインは、概してミッドセンチュリー時代から変わらず、多くのメーカーが当時のデザインを参考にしたモデルを発表している。トレンチウォッチの時代に生まれたデザインのなかには、その時代で消えていったものもある。エニカは、スターリングシルバー製のコンパスを内蔵したティアドロップ型のケースを製作した。ケースの曲線が手首にぴったりとフィットし、ケースに組み込まれたコンパスの動きはほかの時計では見たことがないものだ。機能的にも素晴らしいが、それ以降の時計デザインにはない美しさがある。考えてみると、これは戦争のために作られた時計だったのだ。