オーデマ ピゲにとって、今年は大きな節目の年である。創業150周年を迎える時計ブランドはそう多くないうえ、なおかつその長い歴史を家族経営のまま維持してきたブランドとなると、さらに希有な存在だ。この記念すべき年に、ウォッチメイキングの卓越した技術のみならず、大胆なマーケティング戦略でも知られるオーデマ ピゲが、その150周年の幕開けを本拠地ル・ブラッシュで飾るのは、まさにふさわしい選択である。
今回の旅は、意外にも私にとって初めてのジュウ渓谷訪問だった。長年この業界に身を置き時計を愛し続けてきたというのに、スイス時計製造の聖地へ巡礼に訪れたことがなかったとは、一体どういうことだ? そんな疑問が頭をよぎったが、ふと思い出したのは何年も前にジュネーブを訪れた際の出来事だった。そのとき、父がとある有名な博物館(ひとつのブランドとその長い歴史に特化した場所だ)の2階の図書室で、人類史上最悪とも思えるアレルギー発作を起こしたのだ。彼のくしゃみはまるで100デシベル級の爆音で響き渡り、我々は時計をひとつも見ることなく、急いでその場を後にした。その瞬間、私はおそらく無意識のうちに、恥ずかしさのあまり二度とスイスには戻らないと心に決めてしまったのだろう。しかし時計を仕事にしているとその決意を貫くのはなかなか難しい。
オテル デ オルロジェルの渓谷側の景観。
写真には写っていないが、画面外の畑にはキャベツが育っている。
ホテルからは、歴史博物館へと直接つながる小道が続いている。
こうして私は、再びウォッチメイキングの本場を訪れるべく、ジュネーブ行きの飛行機に乗り込んだ。ル・ブラッシュはジュネーブからクルマでおよそ1時間の距離にある。道中、広大な雪原に挟まれた曲がりくねった道を進み、まるで高級ボトルウォーターのラベルからそのまま切り取ったような美しい山々の景色を眺めながら、宿泊先へと向かった。そこはオーデマ ピゲが所有するホテル...と呼んではいけないが、実際にはそうなのだ。正式な名称はオテル デ オルロジェル。同社のオフィスやミュゼ アトリエ オーデマ ピゲに隣接する、静寂に包まれた完璧なまでに洗練されたホテルである。
この日の残りの時間は、長いあいだ待ち望んでいた博物館の訪問に充てられた。この博物館は比較的最近、町に加わった施設であり、オーデマ ピゲの創業者ジュール・オーデマ(Jules Audemars)とエドワール・ピゲ(Edward Piguet)が1875年に工房を構えたオリジナルのアトリエのすぐ裏手に位置し、直接つながっている。かつて博物館として使われていたこの歴史的な建物は、現在ではブランドのアンティーク修復工房として新たな役割を果たしている。
オリジナルのアトリエ。
新ミュージアムのエントランス棟。
大きなガラス張りの螺旋状の構造は、まるで巨大なシナモンロールのようだ。その内部にはヴィンテージとモダンウォッチの宝庫ともいえる驚異的なコレクションが広がっているだけでなく、オーデマ ピゲのグランドコンプリケーションやメティエ・ダール(ジェムセッティングやエングレービングなど)の工房も併設されている。決して大げさではなく、あまりに魅力的なツアーだったため写真を撮るのをすっかり忘れてしまったほどだ。ミュージアムでは、ブランドの歴史を象徴するあらゆる逸品が展示されている。たとえば19種類の複雑機構を搭載した1899年製の“ユニヴェルセル”懐中時計や、36mm以下のミニッツリピーターやパーペチュアルカレンダー、さらにはチャリティーオークションにて520万ドル(日本円で約7億7400万円)で落札され、現在は博物館に貸与されているワンオフの“ブラックパンサー・コンセプト”まで網羅されている。この体験を記録に残せなかったのは残念だが、それはつまり、次にこの地を訪れる機会があれば自分自身の目で見るべきだということだ。ぜひ足を運んで欲しい。本当にその価値がある。
翌日は、この旅のハイライトともいえるメインイベントが行われた。オーデマ ピゲの150周年記念祝賀が、ブランドのマニュファクチュールで正式に幕を開けたのだ。ブランドの歴史をテーマにした華やかなプレゼンテーション(インタープリティブダンスもふんだんに取り入れられていた)のあと、我々は今年発表される新作の第1弾を間近で見るために案内された。
新作のパーペチュアルカレンダー
150周年記念の幕開けを飾った主役は、新たに発表されたパーペチュアルカレンダー Cal.7138だ。コレクターや特許出願を追いかける時計愛好家の間で長らく注目されてきたこのムーブメントは、オーデマ ピゲにとって初めて、リューズのみで完全に調整可能なパーペチュアルカレンダーとして登場した。ケース側面に外部コレクター(補正用プッシャー)を一切持たない点が特徴である。リューズ操作のみで調整可能なパーペチュアルカレンダームーブメントはこれが初めてではないが、ブランドの象徴的なQPダイヤルのレイアウトを維持し、複数の革新的な技術(5つの新特許!)を搭載し、非常にユーザーフレンドリーである点で間違いなく注目すべきムーブメントである。
実物を見て最も印象的だったもののひとつがリューズ機構の拡大モデルだった。このリューズは、通常の2段階の引き出しに加えて、ブランドが“2'(ツープライム)ポジション”とも呼んでいる。リューズを引くと、最初の位置(ストップ1)では日付と月の設定、2段階目(ストップ2)では時刻の設定が可能になり、さらにリューズを1段階押し戻すことでストップ2'に入り、曜日とムーンフェイズの設定ができる。直感的な操作感でありながら、このメカニズムの背後にある膨大な研究開発の成果は、仕組みを理解した瞬間に実感できるほど明確だった。
文字盤のスモークフュメも素晴らしい。
この新ムーブメントは、3つのモデルでデビューする。ロイヤル オークのステンレススティールモデル(Ref.26674ST、販売価格10万9300スイスフラン、日本円で約1800万円)、ロイヤル オークのサンドゴールドモデル(Ref.26674SG、販売価格13万スイスフラン、日本円で約2200万円)、そしてCODE 11.59の18Kホワイトゴールドモデル(Ref.26494BC、販売価格10万9300スイスフラン、日本円で約1800万円)だ。なかでも個人的に最も気に入ったのはサンドゴールドモデルで、オーデマ ピゲが生み出したこの合金はまさに絶品といえる。いずれのモデルもケース径は41mmのままで、ロイヤル オークはケース厚9.5mm、CODE 11.59は10.6mm。また厳密には6種類のバリエーションが存在し、それぞれ150本限定で、ダイヤルにオーデマ ピゲのヴィンテージ筆記体ロゴが採用された特別仕様も用意されている。これらの時計や新キャリバーについてさらに詳しく知りたいなら、同僚のマークがじっくりと時間をかけてレビューしているので、ぜひチェックして欲しい。
Cal.5135との別れ
この新キャリバーの登場により補正用プッシャーは過去のものになるかと思いきや、どうやらそうではなかったようだ。旧QPムーブメントCal.5134のスケルトナイズド版であるCal.5135が、ロイヤル オークパーペチュアルカレンダー “150周年アニバーサリー”(Ref.26585XT)として、150本限定で最後の華を飾ることとなった。
この新作は、デザインのインスピレーションとなった時計とともにトレイの上で紹介された。そのモデルとは、1990年代初頭のロイヤル オーク オープンワーク パーペチュアルカレンダー ポケットウォッチ(Ref.25729PT)である。この時計は圧倒的な存在感を放つ重量級であり、特徴的なオクタゴンケースとチェーンはプラチナ製。ダイヤモンドがアワーマーカーとしてセットされ、サファイアダイヤルのブルーアクセントが、スケルトン加工されたブリッジやフリーハンドで施されたエングレービングを際立たせている。裏返すと中空構造のブリッジにも、さらに精緻な彫刻が施されているのがわかる。手に持った感触はまさにレンガのような重厚さで、これをポケットに収めていた前の持ち主の衣服の糸は、相当な負担に耐えていたに違いない。
25636PT。Image by James K./@waitlisted
新しいロイヤル オークのデザインには、ポケットウォッチとのつながりを感じさせる要素が多く取り入れられているが、この新作には1980年代のプラチナ製ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー(Ref.25636PT)との関連性もある。それは単に同じスケルトン仕様であり、ブルーのリングや当時の書体を採用しているという共通点があるからだ。私は普段、時計にダイヤモンドを取り入れることを積極的に推奨するわけではないが、もしポケットウォッチのようにアワーマーカーとして採用していたら、この新作とのつながりがより強調されたかもしれない。
とはいえ、この時計は圧倒的にクールな1本だ。41mmのチタン製ミドルケースは、ポリッシュ仕上げのBMG(バルクメタリックガラス)製ベゼルとケースバックに挟まれ、ケース厚は9.9mm。防水性能は20mとなっている。さらに、チタン製ブレスレットにはポリッシュ仕上げのBMG製スタッズが配され、コントラストを際立たせている。この限定モデルは150本のみの生産で、価格は17万5000スイスフラン(日本円で約2900万円)。コレクターたちは競い合うように購入を申し込むことだろうが、この枠を確保するのは決して容易ではなさそうだ。歴史と現代の対比が非常にうまく調和している。
CODEとカラー
新作のパーペチュアルカレンダーを搭載したCODE 11.59に加え、オーデマ ピゲは今週、同コレクションにいくつかの新作を追加した。そのひとつが41mmのCODE 11.59 クロノグラフの新バージョン(Ref.26439NB)で、WGケースにブルーの“トスカーナ”ダイヤルとブルーセラミック製ミドルケースを組み合わせたモデルだ。WGの16202に採用されたトスカーナダイヤルの色味をイメージすると、少し異なる印象を受けるかもしれない。本作では、ミドルケースの鮮やかなブルーと調和するようにやや明るめのブルーが採用されているのだ。さらに、バゲットカットのダイヤモンドがアワーマーカーとしてセットされ輝きを増すとともに、価格も8万5600スイスフラン(日本円で約1400万円)に設定されている。本作はシリアルナンバー入りの限定モデルではないものの“スペシャルエディション”として展開され、北米市場では2カ月先行販売される予定だ。
RD#3のCal.2968は、数年前にロイヤル オーク ジャンボ ウルトラシンのケース、さらには37mmモデルにもフライングトゥールビヨンを搭載したことで話題を呼んだが、今回初めてCODE 11.59コレクションに採用された。新作はジェムセット仕様の38mm CODE 11.59 サンドゴールドモデル(Ref.26665SG)となる。この時計の価格は14万9000スイスフラン(日本円で約2500万円)だが、それを別にすれば実際手首に乗せたときの魅力は圧倒的だ。私は以前からCODE 11.59のスタンプギヨシェダイヤルのファンだったが、サンドゴールドのケースと組み合わせた今回のデザインは、非常に美しく仕上がっている。ケースには235個のブリリアントカットダイヤモンドがセッティングされており、個人的には自分のスタイルには合わないが、将来的にはよりユニセックスなバリエーションが登場する可能性も十分にあるだろう。
このRD#3ムーブメントのように、RDプロジェクトが徐々に多くのモデルに採用され始めているのは喜ばしい。
SS製の41mm CODE 11.59のコアモデルである3針モデル(Ref.15210ST)とクロノグラフ(Ref.26393ST)に、新たなカラーバリエーションが加わった。グレーの濃淡を基調とし、アイコニックなブルーのアクセントを取り入れたデザインで、現在のブルーダイヤルバージョンを反転させたような仕上がりになっている。特にクロノグラフモデルは、これまでで最も魅力的なバージョンかもしれない。インダイヤルのコントラストによって、たとえばトスカーナダイヤルのCODE 11.59と比べるとダイヤル全体がややコンパクトに見えるように感じられる。3針モデルの販売価格は379万5000円で、クロノグラフは522万5000円(ともに税込予価)に設定されている。
セラミック製オフショア
最後に紹介するのは、ロイヤル オーク オフショア クロノグラフの新たなセラミック仕様だ。まずRef.26420CEは、ブランドが“スリートーン”と称するケースだ。ブラックセラミックのミドルケースに、グリーンセラミックのベゼル、プッシャー、リューズを組み合わせ、さらにチタン製のリューズガードとエンドリンクプロットがアクセントとして加えられている。このデザインは非常に控えめな仕上がりだが、少し控えめすぎるかもしれない。個人的には、思い切ってフルグリーンセラミックにして欲しかったところだ。販売価格は841万5000円(税込予価)。
一方でブラックセラミック製の42mmモデル “ザ・ビースト”の復刻版は、これまでのヘリテージデザインから離れ、完全にモダンなメガタペストリーダイヤルを採用した(Ref.26238CE)。こちらのほうが個人的には好みだ。特にフルセラミックのブレスレットを備えた、この圧倒的な存在感のモデルを見ると、つい笑みがこぼれてしまう。ケースにより伝統的なラウンド型のクロノグラフプッシャーを採用しているのもいい。ブラックセラミック製の“ザ・ビースト”と同様、ブレスレットが加わることで価格も大幅に上がり、新作の販売価格は8万6900スイスフラン(日本円で約1400万円)となっている。
特筆すべきモデルたち
新作発表とは別に、オーデマ ピゲ本社を訪れると、さまざまな興味深い時計を目にする機会がある。ここではちょっとしたレポート内レポートをお届けしよう。
ついにKAWS ロイヤル オーク コンセプト “Companion”を実物で見ることができた。やはり結論は変わらない。これはクールだ。
アーカイブから発掘された、ロイヤル オークをモチーフにしたアクセサリーのコンセプトデザイン。
昨年発表されたロイヤル オーク コンセプト スプリットセコンド クロノグラフ GMT ラージデイトのCFTカーボン製ケースには、発光顔料が埋め込まれている。
RD#3の37mm パープルダイヤルモデル(Ref.26660ST)は、手首に乗せた瞬間に夢のような感覚を味わえる。現在のラインナップのなかでは、最もヴィンテージロイヤル オークに近いフィーリングを持つ。ただしフライングトゥールビヨン付きではあるが。
オースティン・チュー(@horoloupe)に連れられ、彼が“奇妙なイルミナティの時計”と呼ぶものを見に行った。ホテルから徒歩5分の場所にあるこの作品を見て、彼の表現もあながち間違いではないと思った。しかし調べてみると、これは2022年にファニー・オーデマ(Fanny Audemars)が制作した“Les Âmes du Temps(時の魂)”という時計彫刻だった。ル・ブラッシュの村にはぴったりの作品だ。すぐそばの小川にある水車がこのメカニズムを動かしている。
また次回、ル・ブラッシュで。
Photos by TanTan Wang
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