カール・ラガーフェルドという名前を聞いて、まず何を思い浮かべるだろうか?
フェンディとシャネルのクリエイティブ・ディレクターとして数十年にわたり活躍したこと? それとも、パウダーホワイトの髪、真っ黒なサングラス、そして象徴的な糊付けされた襟? もしかしたら、Instagramで11万人以上のフォロワーを持つ、彼の愛猫シュペットか(跡継ぎ候補)? 私にとっていつも最初に思い浮かぶのは、亡くなったデザイナーが黒という色に絶対的なこだわりを持っていたことだ。
サングラスの色だけではない。ジャケットやグローブ、そして最も重要なのは、彼の時計もそうだったということ。 ラガーフェルドといえば、ブラックPVDコーティングが施された非常に珍しいロイヤル オークを愛用していたことで知られる。1972年にジェラルド・ジェンタがコレクションを発表した直後、彼はこのロイヤル オークを身につけ始めた。
今週金曜日(5月6日)、ジュネーブでフィリップスがロイヤル オーク50周年を記念したテーマ別オークションを開催する。そのなかで、ドイツ生まれのファッションデザイナー、クリエイター、そしてカルチャーアイコンが所有していたとされるフルブラックの時計が出品されるのだ。先日、私はこの時計を実際に見ることができ、フィリップス時計部門のヨーロッパ大陸および中東の責任者であるアレクサンドル・ゴッビ(Alexandre Ghotbi)氏に話を聞くことができた。では、その全貌を紹介しよう。
ラガーフェルドとロイヤル オーク
カール・ラガーフェルドはかつて『Architectural Digest』誌で、「特にこだわっているデザイン・オブジェはあるか」と質問されたことがある。2019年のWatchProSiteのスレッドで訳された彼の答えは、ロイヤル オークが彼にとって「フェティッシュなオブジェ」であり、「35年間着用している」時計であるということだ(参考までに、上記リンク先のWatchProSiteのスレッドで取り上げられている時計は、フィリップスがオークションに出品している時計と同一のようで、ブレスレットの番号も同じだ)。
この35年のあいだに、ラガーフェルドは少なくとも2種類のロイヤルオークを着用していたことがわかっている。これは、文字盤の6時位置(前期)と12時位置(後期)のAPロゴの配置で判断できる。1970年代以降、彼がこのモデルを着用している姿は数え切れないほどの写真やビデオで見ることが可能だ。特に、2007年に制作されたドキュメンタリー映画『ファッションを創る男~カール・ラガーフェルド~』(原題:Lagerfeld Confidential)のシーンは印象的だ。彼は、オールブラックのロイヤル オークのみを、それも常にアフターマーケットで完成させたものを着用していた。また、ラガーフェルドは時折、彼のロイヤル オークを人にプレゼントしていたと言われている。
今週金曜日、5月6日に開催されるフィリップス・セールの最終ロット(88)は、1973年製で、シリアルNo.1254(ケースバックに記載)のAシリーズ5402STだ。ラガーフェルドのコレクションと思われるロイヤル オークがオークションに出品されるのは初めてで、出品者、オーデマ ピゲの記録係、そしてフィリップスが行った、この時計とラガーフェルドを結びつける重要なリサーチが盛り込まれている。
この時計がラガーフェルドのものだとどうしてわかるのか?
わかってはいない。この時計がそのデザイナーのものであるという 100%の確証はない。 ラガーフェルド本人のものであるという、相続人からの署名入りの手紙もないのだ。しかし、この時計がかつて彼のものであったと信じるに足る、フィリップスとオーデマ ピゲからの、多くの関連要因がある。
まず、ケースとムーブメントの番号から、この時計は1973年に製造され、イタリアの小売店に送られ、すぐに売れたことがわかっている。当時、ローマで仕事をしていたのは誰だろう? ラガーフェルドなのだ。また、1970年代前半から半ばにかけて、ブラックPVDのロイヤル オークを好んで着用した人物がふたりいることがわかっている。ひとりはカール・ラガーフェルド、もうひとりは前スペイン国王のフアン・カルロス1世だ。当時はPVD時計の黎明期で、ポルシェ・デザインが最初のモデルを市場に送り出してからわずか1年後だったから、一般の時計コレクターが手に入れられるようなものではなかったのだ。過去50年のあいだに、フィリップスとオーデマ ピゲは、この時計が合計3回しか人の手に渡らなかったと確信している。
「ラガーフェルドが友人にプレゼントし、その友人がディーラーに売り、そのディーラーが誰かに売り、その人が今回の委託者に売ったと考えています」とゴッビ氏は言う。「この時計は、過去5〜6年のあいだに一度も黒く塗られたことがないことが、摩耗やキズの状態からわかります。時計の状態、販売された場所、所有者の系統、そしてAPのアーカイブから、ラガーフェルドの時計であることは間違いないと思います」。
では、手首につけるとどうだろう?
ロイヤル オークは過去10年、いや、それ以上の期間において、最も注目されている時計だ。カール・ラガーフェルドの出自とブラックPVDコーティングのミステリアスな雰囲気が、このロット88の全体的な魅力とクールな雰囲気をさらに高めている。
「ロイヤル オークは登場した当時、非常に最先端かつ前衛的な時計でした。ラガーフェルドのような人がそのような時計を選び、さらにもう一歩踏み込むというのは、まったくもって理にかなっています」とゴッビ氏は言う。「彼は、白いシャツの袖口につける黒い時計を欲しがっていた。これは天才的なデザイナーと天才的なデザインが出会った物語なのです」。
このようなヴィンテージウォッチは、新品の時計とは少し違ったアプローチで見る必要がある。50年近く前のものだから、新品のような重量感や輝きはない。同時に、通常の古いヴィンテージ5402にはない、文化的な重厚感はある。何十年も使い込まれた経年変化が、新品にはない風格を感じさせてくれる。ベゼルの傷ひとつをとっても、精一杯生きてきた証のように感じられる。
初期のロイヤル オークを扱ったことがない人は、その繊細な作りに驚くかもしれない。インスタグラム時代にあふれるロイヤル オークの魅力の多くは、その独特な八角形のフォームファクターによって構築されている。ロイヤル オークがそもそもどれほど洗練されたデザインであったかを、時ときに忘れてしまいがちなのだ。
ジュネーブにあるフィリップスのオフィスに向かったとき、ブラックPVDのコーティングが手首で時計を引き立てるかどうか、確信が持てずにいた。私は自分の持つなかで一番上質な黒のタートルネックを着てカメラマンにリストショットを撮ってもらっていた。すると、まるで自分が所有していた時計であるかのように、すぐに腕に馴染んでいくのに驚いた(もう少しでシュペットを飼うところだった!)。ベゼルの傷は興味深く光を反射して、他のマットな部分の黒色とのコントラストを際立たせている。
最も重要なのは、この時計が徹頭徹尾、ヴィンテージのロイヤル オークだと感じられることだ。今日、このモデルの成功を見ていると忘れがちだが、ロイヤル オークはすぐに成功を収めたわけではない。カール・ラガーフェルドは、1970年代初頭にロイヤル オークを身につけ始めて、時代の流れに逆行した。しかし、今日、腕時計として、またデザインオブジェとして、ロイヤル オークの勢いを見れば、なぜ彼が最初に魅了され、自分のシグネチャーのひとつとすることを確信したのかを容易に理解することができるだろう。
記録更新の可能性は?
ロイヤル オークとオーデマ ピゲのオークションにおける現在の最高記録は520万ドル(約5億7200万円※当時のレート)で、これは昨年の春、APがチャリティのためにロイヤル オーク コンセプト“ブラックパンサー”フライング トゥールビヨンの一点物をオークションにかけたときに達成された数字だ。金曜日のオークションの最終ロットであるラガーフェルドのロットは、もうひとつの記録破りの時計、ロイヤル オーク史上2番目に製造されたA2がオークションにかけられたあとに出品される予定だ。
しかし、A2が持つ歴史的な重みと、ラガーフェルドの時計が持つ文化的な重みは同じだ。フィリップス・チームが、すでにコレクターやプレスからかなりの関心を集めているのも当然だろう。
「特に、普段は時計に興味がなかったり、オークションの取材をしないようなプレス関係者から、多くの質問を受けました」とゴッビ氏は言う。「ラガーフェルド、シャネル、フェンディ......これらの名前はすべてオーデマ ピゲより大きいと思います。オーデマ ピゲを悪く言うつもりはありませんが、ラガーフェルドはそれだけ偉大な人物なのです。非常に高い関心を集めています。しかし、この関心は販売価格に反映されるのでしょうか? それは金曜日の夕方、オークションが終わってからわかることです」
フィリップス(Phillips' in Association with Bacs & Russo)の提携によるロイヤル オーク50周年記念 オークションは、ラ レゼルヴ ホテルにて2022年5月6日午後2時(日本時間)より開催される。「カール・ラガーフェルド」ロイヤル オークは、このオークションの最終ロット(88)で、エスティメートは10万~20万スイスフラン(約1324万〜2648万円)。※93万7500スイス・フラン(約1億2378万円)で落札。詳細はこちらで。
ザ・ロイヤル オーク50周年記念オークションのカタログの閲覧や入札は、フィリップスのオンラインで可能です。