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アメリカの高級小売店のなかで、真に存在感を誇るものは少ない。バーグドルフ・グッドマン(Bergdorf Goodman)やサックスフィフスアベニュー(Saks Fifth Avenue)がニューヨークのデパート業界で支配的な位置を占めるなか(バーニーズは惜しまれつつも閉店した)、ティファニーはアメリカの高級ショッピング体験の最前線に立ち続けている。2021年にLVMHに買収されたことで、ティファニーの青い箱と白いリボンのブランドは再びある程度の存在感を取り戻した。
スーパーボウルを含む数々のスポーツイベントの勝者にトロフィーを授けてきた歴史を持つオールアメリカンブランドが、2020年代のポップカルチャーに新たな足場を築いたのはどうしてだろうか? もちろん、ビヨンセ(Beyonce)とジェイ・Z(Jay-Z)を広告カップルに起用したからである。それに加えて、レッドカーペットを彩る大スターたちのドレスアップ、NFT、手ごろな価格で新たな顧客を引き込む人気のユニセックスの“ロック”ブレスレットコレクション、そしてパテック フィリップやシュプリーム、ナイキ、ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)との話題性のあるコラボレーションを行い、LVMHが何世紀も続くブランドに若々しいエネルギーを注入しようとする大規模な取り組みも見てとれる。
ティファニーにはあらゆる市場セグメントでジュエリーを販売するブランド力がある。伝統、再び得た現代的な価値、そして大量の洗練されたマーケティングは、販売のための人口層が広いことを意味する。ではウォッチメイキングにおいてはどうだろうか? ティファニーは現在女性向けのハイジュエリータイムピースに注力している。4月にはプラチナ製のクォーツバード オン ア ロックウォッチと、バード オン ア フライング トゥールビヨンを、今年のセレステ ブルーブック コレクションの一部として発表した。これらのデザインは、1965年にジャン・シュランバージェ(Jean Schlumberger)が制作したバード オン ア ロックブローチに着想を得ている。ティファニーの伝統であるが、シュランバージェのデザインはティファニーのハイジュエリーウォッチとしてはある程度予想されるモチーフである。美しいが、予想の範囲内であると言えるのだ。
だがこのフライング トゥールビヨンは、ティファニーがハイウォッチメイキングの進化において明確な1歩を踏み出したことを示している。文字盤上で“飛翔”するダイヤモンドがあしらわれた2羽の鳥は、ジェムストーンの象嵌、ゴールドの彫刻、そしてスノーセッティングを駆使してつくられており、これらはすべてラ・ファブリク・デュ・タンで行われた。特注ムーブメントであるCal.AFT24T01は、ティファニーのクリエイティブディレクションのもと、スイスの革新的な高級時計マニュファクチュール、アルティム(Artime)によって開発された。このハイウォッチメイキングへの非常に有効な挑戦は、ティファニーにとってさらに大きな展開を予感させるものなのだろうか? 時計のデザインには、古風で夢のある要素がふんだんに盛り込まれている。これは高級ジュエリーウォッチデザインでは定番ともいえる手法だ。ヴァン クリーフならバレリーナ、エルメスなら馬、そしてティファニーならシュランバージェの鳥が象徴的なモチーフとなっている。ハイジュエリーに隣接するウォッチメイキングに依存し、比較的高年齢層で景気に左右されにくい顧客に向けるのは理にかなっている。どのようなブランドであれ、女性向けにトップレベルの技術や複雑機構に焦点を当てるのには大いに期待したいところだが、明確に性別を意識しない、かつ価格帯の低い時計が登場するのはいつになるのだろうかと考えさせられる。
競合他社であるブルガリやエルメスがウォッチメイキング分野で果敢に挑戦を続けている一方で、ティファニーは比較的静かな状況にある。“ティファニーは理論上、時計市場で大きな成長の可能性を持っているが、今のところその機会はまだ活かされていない”と、バーンスタイン・リサーチ(Bernstein Research)のラグジュアリー部門マネージング・ディレクターであるルカ・ソルカ(Luca Solca)氏は説明する。“このカテゴリーを開拓する鍵は、ラインナップを整理し、ひとつか多くてもふたつの差別化された製品に集中することだ。これはブルガリがオクトとセルペンティで、シャネルがJ12で成功させた手法と同じだ”。ソルカ氏は、新たな経営陣がこのカテゴリーにいずれ取り組むだろうと期待しており、“やるべきことリスト”をこなすにつれて対応されるだろうと述べている。
確かにティファニーは最近、注目すべき取り組みを行っている。昨年の夏にはバード オン ア ロックモデルとともに、ハードウェアコレクションをベースにしたゴールド&スティールの時計を発表した。同シリーズはクッションカットのティファニーダイヤモンドをほうふつとさせるケースシェイプと、ファセットの入ったサファイアクリスタルが特徴だ。これはソルカ氏が指摘した、ティファニーらしい差別化された製品として十分に強いデザインかどうかは不明だが、この取り組みこそ同社の時計セグメント拡大の瀬戸際にあることを示している。
ではこのように競争が激しい市場のなか、アメリカの伝統ブランドであるティファニーはどのように自らを位置づけているのだろうか? ティファニーには、ウォッチメイキングの大規模な取り組みを支える歴史的な実績がある。彼らはアメリカ市場でパテック フィリップ初の公式小売パートナーとなり(正式な関係は1854年に始まった)、その後170年以上にわたってパートナーシップを続けている。さらに、1874年にはジュネーブにかなり大規模な自社工場を設立し、1878年にその施設をパテックに売却した。この譲渡には理由がある。この施設を引き渡すことでティファニーウォッチに最上級のムーブメントを供給できるようにし、アメリカ市場でティファニーが独占販売するパテック フィリップウォッチの品質を確保するためであった。
1930年代の大恐慌から1980年代にかけて、ティファニーは自社の時計製造を一時停止していたが、そのあいだもロレックスやパテック フィリップ、IWC、モバードなどの時計を取り扱う小売業者としての足場を固め続けた。そして2024年、ティファニーサイン入りのダイヤルは今やきわめて貴重な存在となっている。これにより、理論上は時計ブランドのダブルサインなしでもティファニーブランドのダイヤルをコレクター層に売り込むことが容易になる可能性がある。ティファニーという名前は、時計業界で歴史的な重みを持ち、ダイヤル上で違和感がなく目の肥えた人にも受け入れられる存在である。
1980年代に、ティファニーは再び“インハウス”での大規模な時計製造に回帰した。これは理にかなっている。クォーツショックの不確実な時期には製造を一時停止し、市場が回復したときに再開して需要が高まった際に大量生産を行うという流れだ。アメリカの最も権威ある高級小売業者であるティファニーは、“ファッションウォッチ”という教科書的な定義を避けてきたが、1980年代のクォーツブームに便乗したのも事実である。時代が進むにつれ、ティファニーのモダンウォッチへの進出も進化した。この時期は繁栄の時代であり、スイス製の高級輸入モデルを販売する一方で、“クラシック”コレクションの時計も大成功を収めていた。1980年、オノ・ヨーコが宝石で飾られたアメリカ国旗のピンやパテックのRef.2499を手にした一方で、一般の顧客は“ティファニー”とだけ刻印されたエレガントな金無垢の“クラシック”コレクションウォッチを買い求めた。
1980年、ティファニーが完全に独自でデザインした最初の新世代ウォッチはクォーツムーブメントを搭載しており、外観的にも(そして精神的にも)ブレゲのドレスウォッチの美学に通じていた。ティファニーは1981年、より大衆市場に進出しようとしていたブレゲウォッチの販売を開始。ティファニーは、アメリカでブレゲの時計やクロックを取り扱った初の、そして唯一の企業であり、自社の名前をブレゲ製品に刻印することを許された唯一の小売業者でもあった。
アトラスウォッチは1983年に登場した。そのデザインは、初期のタウンホールや教会の時計塔にインスパイアされ、フラットにカットアウトされた金メッキ数字が、マットな石の背景と対比するデザインとなっていた。1982年に発表されたラウンドケースウォッチはフラットな背景にクリーンなラインで構成された時間表示で、ポリッシュ仕上げされたローマ数字インデックスが、浮き彫りのように立体的で際立っていた。1853年からティファニーのニューヨーク本店の正面に飾られている時計にちなんで名づけられたアトラスコレクションは、1990年代にはジュエリー、ペン、アクセサリーへと拡大した。アトラスウォッチ(およびジュエリー)は今でもカタログに掲載されているが、オリジナルの滑らかなコイン型のラウンドシェイプを控えめにしたデザインに変わっている。もしかすると、復刻版のタイミングが来ているのかもしれない。ブルガリ・ブルガリが今年初め、オリジナルに近い仕様で再発売されたことを思い出していただければ理解しやすいだろうか。
モノグラム入りの時計(以下の写真)は、1980年代のプレッピーな美学を完璧に象徴している。当時のアメリカのエリート層向け高級ファッションは、カジュアルでWASP(白人アングロサクソン系プロテスタント)的なフォーマルさを備えており、ブルックスブラザーズのボタンダウンシャツやポロシャツ、チノパン、ローファーといったスタイルがその典型だった。そしてそこにはパワードレッシング(職場での権威や自信を示すために1980年代に広まった、フォーマルで洗練されたビジネスファッション)もあった。1980年代のニューヨーク(および類似の大都市圏)におけるこの層を、平日はウォール街、週末はカントリークラブへと続く一貫したファッションスタイルを持つサルトリアと呼べるだろう。
アメリカンファッションは1980年代についに世界的な地位を確立した。この新たな地位は、アメリカ国内で生まれたファッションを世界的に通用させるために、10年間にわたって懸命に努力してきた結果である。ホルストン(Halston)、ジェフリー・ビーン(Geoffrey Beene)、ビル・ブラス(Bill Blass)、そして彼らのセブンスアベニューの仲間たちは、1970年代にアメリカのファッションを新たな高みに押し上げた。ナンシー・レーガン(Nancy Reagan)からグロリア・ヴァンダービルト(Gloria Vanderbilt)、ブルック・シールズ(Brooke Shields)に至るまで、元ワシントン・ポスト紙のファッション評論家ロビン・ジヴハン(Robin Givhan)がかつて“アメリカンスタイルは、社交界の淑女やおてんばな美人によって具現化された”と表現したように、このスタイルが具現化されていた。
1970年代のボヘミアンな雰囲気から1980年代のグラマーなスタイルへの移行により、カルバン・クライン(Calvin Klein)、ラルフ・ローレン(Ralph Lauren)、ダナ・キャラン(Donna Karan)といったデザイナーたちは国際的なロックスターとなり、広く知られる存在となった。ティファニーは、まさにアメリカンファッションドリームと同義の代名詞となったのだ。
ここでエルサ・ペレッティ(Elsa Peretti)の登場だ。彼女はスタジオ54のホルストン派の重要なメンバーであり、そのあとティファニーで最も成功し、認知されるデザイナーとなった。ペレッティがデザインしたのは、オープンハートペンダントやボーンカフだ。彼女は常に、女性が身につけるものとの共生関係を追求しており、クッションカットのティファニーダイヤモンドにインスパイアされたダイヤモンドコレクションの一環として、ウォッチネックレス(通常の時計も含む)を製作した。遊び心のあるクォーツで、スターリングシルバー製のこの時計はペレッティらしい素材のシンプルさが特徴であった。
パロマ・ピカソ(Paloma Picasso)もまたティファニーのデザイナーとして採用された。彼女は大胆なスケール、強い色彩、そして半貴石という魅力を生かし、“本物の”ジュエリーをモダンなものにした。ピカソは、彼女のグラフィカルなデザインのジュエリーに合わせた時計をいくつかティファニー向けにデザインしている。
テソロは1987年に発表され、18Kゴールド、SS、ツートンの完全一体型ウォッチとして登場した。デザインは洗練され、スリムで、きらめくようなポリッシュ仕上げが施されていた。これは80年代後期のスポーティでありながら派手さもあるルックに完全にマッチした。ラグジュアリースポーツウォッチがついに中価格帯に到達し、テソロは間違いなくエベルやタグ・ホイヤー S/el リンクの競争相手であった。
21世紀に入ると、ティファニーはこれまでで最高のインハウスウォッチ製造に挑戦した。スイス製のティファニー マークコレクションは、19世紀のティファニー懐中時計にインスピレーションを得たもので、ラウンドとクーペというふたつのシェイプが特徴だった。スタイルはプラチナ、18Kゴールド、SSのモデルがあり、アリゲーターレザーやレザーストラップ、あるいはリンクブレスレットが選べた。クリーンで伝統的なダイヤルには、細長いローマ数字と、丸みを帯びたダイヤモンドポリッシュ仕上げの針が使われていた。ムーブメントは全部で7種類あり、手巻き、自動巻き、月・日・曜日表示とムーンフェイズ付きカレンダー、クロノグラフ、レギュレーター、トゥールビヨン、そしてクォーツが含まれていた。大半のモデルは2サイズで提供され、全部で24のSKUがあった。
この時点で、ティファニーが本格的に時計製造に取り組んでいる姿が見られるようになる。クーペシェイプ、ジラール・ペルゴのスリーブリッジキャリバートゥールビヨン、そしてレギュレーターの複雑機構などがその例だ。私の見解では、ティファニーのモダンな“インハウス”プロジェクトのなかで最も本格的かつ美的に成功したものだろう。実際に確認したわけではないが、ティファニーのマーク クーペとダニエル・ロートのダブルエリプス型ケースの類似性は注目に値する。ロート時代のブレゲを取り扱っていた唯一のアメリカ小売業者がティファニーであったため、ロートとティファニーの関係がマーク クーペに繋がった可能性もある。だが両者は何の関係もないかもしれない。真相は誰にも分からない。
ティファニーには、デザイン性の高い時計を展開するチャンスが十分にある。デザイン性の高い時計は、ほとんどの場合ジュエリーハウスが手がけている。2015年に発表されたCT60のように、1945年にティファニーで販売されたFDR(フランクリン・ルーズベルト)のモバードウォッチに基づいた過去の販売モデルの歴史を引き継ぐこともできるかもしれない。あるいは、ジュエリー分野での専門性に依存するのが最善だろうか? ソルカ氏は、ティファニーのようなブランドにとってハイウォッチメイキングに投資することがブランドの信頼性を高めるために不可欠だと主張している。“それはブランドエクイティ(資産価値)を構築することだ”と彼は述べ、“その結果として、憧れの高級価格帯での販売機会が増え、これが高級ブランドにとっての柱となる。最終的にブランドの品質に対する評価も高まる”と語っている。
エルメスを見れば明らかだ。エルメスは歴史的にJLCやユニバーサル・ジュネーブを販売していたが、近年はハイウォッチメイキングの成功により、手の届きやすいスポーツウォッチの信頼性も高めている。ブランド認知を得るために、自社の特徴を散りばめた新しい道を築くことは十分に成果を上げる可能性がある。
(エンゲージメントリングを除いて)1980年代から2000年代にかけてティファニーが広く知られるようになったのは、主に比較的手頃な価格帯のジュエリーによるものであった。エルサ・ペレッティやパロマ・ピカソといった外部デザイナーの影響を受けながら、リターン トゥ ティファニーやティファニー 1837などのコレクションを生み出した。これらはギフトや入門商品、あるいはブランドの勢いと評判を維持するための“慰労品”としてよく機能していた。ティファニーのブランドは基本的に、高級で手の届かないハイジュエリーに対する憧れに基づいていたが、大部分のティファニーの時計も同様のモデルに依存しており、“クラシック”コレクションはティファニーサイン入りのパテックやブレゲを補完する形で展開されていた。
結局のところ、ティファニーは自らの立ち位置をよく理解している。“多くの人々は、ティファニーが時計に関して何をしているのか正確には分かっていない。パテックとの共同事業なのか? 自社で時計を製造しているのか? それとも購入しているのか? などね”と、ティファニーオルロジュリー部門の副社長ニコラ・ボー(Nicolas Beau)氏は説明する。“まずは私たちが何をしているのかを人々に理解してもらう必要がある。もちろん、男性用の時計も登場する。ただストーリーをジュエリーから始めるほうがより理にかなっているのだ”。
では2024年において、最も歴史あるアメリカの高級ブランドであるティファニーは、ヨーロッパの競合他社のなかでどのような立ち位置にいるのだろうか? そしてティファニーはその“アメリカらしさ”をどのように活かして、現代の賢い消費者に訴える独自のアイデンティティを形成できるのだろうか? 今やプレッピーが再びトレンドになっており、Instagramを少しスクロールするだけでヴィンテージラルフ ローレンの広告が懐かしさを呼び起こしてくれる。本格ファッションブランドであるセリーヌやミュウミュウもこの美学を取り入れており、少し手の届きやすいところでは、コンテンポラリーブランドのエメ レオン ドレやスポーティ&リッチが、80年代から90年代のWASP的なルックを(やや皮肉交じりではあるが)中心に据えた美的スタイルを構築している。つい最近、ジェイクルーがプリントカタログを再開するというニュースを読んだところだ。今こそアメリカーナの時代なのだ。デザイン主導の時計に対する強い消費者の需要を加味すれば、ティファニーはウォッチラインナップを強化し、時計部門でのブランドアイデンティティを刷新すれば競合他社に引けを取らない存在になる可能性がある。ペレッティのプレイブック、そして今や世界的に有名なオープンハートペンダントを参考にするのもひとつの手かもしれない。
ティファニーはこれまでにもウォッチメイキングという分野で足場を固めようとしてきたが、LVMHの支援がある今、時計部門が優先事項となることは間違いない。世界最大のラグジュアリーグループであるLVMHは、ティファニーの時計部門に新たな活力を吹き込みつつ、ブランドのイメージやメッセージを上手にコントロールする力がある。ティファニーが適切な製品を既存ラインナップに加えれば、LVMHはその製品を適切な消費者層の前に届けることができるだろう。ティファニーには再び大きなチャンスが訪れているのだ。