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In-Depth ヴィンテージのモバードにもっと注目すべき理由

由緒あるスイスのブランドにスポットライトを当て、現代でその遺産をいかに活用すべきかを考察する。

ヴィンテージウォッチの愛好家10人に特に価値のある時計について話を聞けば、確実に1970年代以前のヴィンテージモバードの話が出てくるはずだ。実際、私と時計について10分以上話するなら私自身このブランドについて触れるのは間違いない。少数だが声の大きな支持者たちからすると、ヴィンテージモバードはほかのどのブランドにも勝る価値と品質の両立を示すものなのだ。

 昔からヴィンテージモバード愛好家のコミュニティは存在していた。私は以前、素晴らしいモバードの個体がオークションに出ると、入札するのは世界で唯一このカテゴリのチェックを続けているいつもの4人だと冗談を言っていた。もし私がいいモバードを買い逃したとしても、2通ほどメールを送れば誰が私を打ち負かしたのか見つけることができたのだ。しかし状況は変わり始めている。過去1年ほどのあいだに、ヴィンテージモバードのコンテンツが天上の偉大なアルゴリズムによってますます多くのコレクターのスマートフォンに届けられるようになってきた。今日、私はこの秘密を共有せざるを得ないと感じている。なぜなら、その秘密はすでに広まってしまっているからだ。

two vintage Movados

時間表示機能のみのcal.75のペア。Image courtesy of Jacob Hillman, @hillman.watches

 私は来る日も来る日もほぼ1日中ヴィンテージウォッチをチェックしているのだが、そのなかで何度もモバードに戻ってきてしまう。スペックはさておき(とはいえこの記事ではスペックについて多くを語るつもりだが)、ヴィンテージモバードはそのひとつひとつもさることながら全体として素晴らしいものだ。私は10年間モバードを収集してきたが、それはこの時代の最高の時計のいくつかがモバードであったからだ。モバードと“クール”という言葉は多くの愛好家にとって結びつきにくいものであるかもしれないが、それは間違っていると私は伝えたい。現代のモバードはその魅力を失いつつあるかもしれないが、このブランドの歴史はほかのどのブランドにも負けないほど豊かだ。元の栄光を取り戻すには遅すぎるなんて言っているのは誰だ? 適切な方法で行えば、ヘリテージにインスパイアされたモバードのリリースは本当に価値のあるものとなるだろう。

“Hey Hodinkee! その時計が高品質であると分かる理由はなんだ?”

 時計、特にヴィンテージウォッチにおいて品質を定義することは容易ではない。ここで同僚のマーク・カウズラリッチが好んでい引用する最高裁判所判事ポッター・スチュワート(Potter Stewart)の言葉、「見れば分かる」を使いたいところだが、私たちが“品質”として認識するものの多くはその時計の見た目を気に入っているかどうかと混同されてしまっている。文字盤からケースサイズに至るまで、デザインの好みは主に主観的なものであり、品質とはほとんど関係がない。品質とは、時計のパーツの総体を吟味することによって最も適切に評価されるものなのだ。

 私は品質を相対的なものと見ている。マクロレベルで見ると“優れたムーブメント”とは何かや、卓越した仕上げをどう定義するかの決定は困難を極めるが、特定の時代において同業他社が製造していたほかの時計と比較して、個々のパーツを評価することは簡単だ。私自身は(多くのヴィンテージウォッチを取り扱ってきた経験から)ヴィンテージのモバードを非常に高品質であると感じている。パーツごとにそのクオリティの高さを証明してみせよう。

ムーブメントについて:“インハウス”ムーブメントが取り沙汰される前から自社開発に取り組んでいた
a Movado advertisement

 1969年にゼニスおよびモンディアと合併するまで、モバードはほぼすべてのキャリバーを完全に自社で開発していた。1900年から1969年までにモバードにはスイスで少なくとも98件の特許が認められ、その多くはムーブメントの開発に関連するものであった。最も注目すべき特許は1912年の“ポリプラン”の開発に関するもので、このモデルは非常に長い曲線を描いた初期の腕時計であり、Cal.400はケースと一緒にカーブするように3つの平面で設計された、細長く湾曲したユニークなムーブメントであった。この驚くべきムーブメント以外にも、モバードは腕時計の分野でいち早く大きな功績を挙げていたという点で評価に値する。2冊のカタログが1912年と1915年に発行されるあいだにモバードは少なくとも704種のモデルを提供しており、そのうちの436モデルには文字盤に“Chronométre”の文字が入っている。

 モバードの真価はごくありふれたモデルにこそ表れている。特に注目すべきは手巻き式のムーブメントであり、1910年代から1969年に至るまで非常に類似した特徴的な構造を共有している。半円(スカラップ)状の受けにはふたつの切り欠きがあり、これはこの時代のほぼすべてのムーブメントに見られる。

a bunch of vintage movements

(左から)モバードのCal.150MN、オメガのCal.30T2、ロンジンのCal.12.68Z、パテックのCal.12-400、モバードのCal.126。

 この時期のムーブメントの構造上、Cal.150MNは特にラウンド型のメンズウォッチに最も頻繁に採用されてきた。オメガCal.30T2やロンジンCal.12.68Zのような当時を代表するムーブメントと比較しても、モバードのムーブメントはそれらに劣らず独自性を持っており、さらに言えば単純に高品質である。ハイクラスのブランド、たとえばパテックのCal.12-400(Ref,96などに搭載されている)はほかのムーブメントを圧倒している。しかしモバードにおいて真のクロノメーター機であるCal.126はヴィンテージモバードの計時専用ムーブメントの究極版であり、パテックのCal.12-400と肩を並べる存在である。

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モジュール構造のモバードCal.95M。

 この時代においてモバードがムーブメントを外注していたのは、クロノグラフムーブメントであるCal.90MとCal.95Mの開発だ。フレデリック・ピゲは10.25リーニュのCal.150MNと同じ構造を持つ12リーニュのモバードムーブメントをもとにしたモジュールを設計した。それぞれ1936年と1939年に導入されたCal.90MとCal.95Mはこれまでに生産されたモバードでも最もコレクタブルで、魅力的なコレクションを形成している。

 12時間積算計を備えた同世代の3レジスタークロノグラフムーブメントと比較しても、Cal.95Mのパフォーマンスは非常に優れている。ムーブメントの評価は単純に仕上げを見ればいいというものではないが、モバードとパテックのみが面取りされたクロノグラフパーツを備えていることは、非常に際立った特徴である。

vintage movements

(左から)モバードのCal.95M、ユニバーサル ジュネーブのCal.265、ブライトリングのサインが入ったバルジューCal.72、オメガのCal.321(レマニアCal.2310)、パテックのCal.13-130(バルジューCal.23)。

 モバードは1945年のバンパー式“テンポマチック”に始まり、1956年のフルローター式の“キングマチック”に至るまで幅広いレンジで自動巻きムーブメントを開発した最初のスイス時計メーカーのひとつであった。一連のムーブメントには特筆すべき内角の仕上げはないが、このムーブメントに出合うとその全体的な雰囲気に圧倒され、特にフルローターのデザインに感嘆してしまう。私はこれまで、モバードのローターに見られるカーブした“S”の形状は、蛇の形をしたかつての“クリス”クロノグラフ針を参照しているものと思っていたが、実際にはこの形状は実用的なものであったようだ。当時バンパー式の自動巻きでは“S”形がバネのように働き、ローターの衝撃を和らげると考えられていた。モバードはこれを特許取得し、“Futuramic”と名付けた。

two movado automatic movements

(左から)モバードのCal.115 “Futuramic”、モバードのCal.538 “キングマチック カレンドプラン”。

ケースについて:知っておくべきメーカー

 今日では“自社製造”の概念がマーケティング戦略の一環となっているが、20世紀中ごろには外部委託が業界の標準だった。時計ブランドはケースを製造する能力を持っていたが、多くの場合それらのケースはカタログのなかでも低価格帯のモデルに使用されていた。最高級のモデル用には、ケースの専門業者に製造を依頼していたのである。この方法で運営していたのはパテック フィリップやヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ ピゲなどのブランドであり、モバードも同様であった。実際、モバードは現在でははるかに大きく、名高いこれらのブランドと同じように専門の業者を使用していた。

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Cal.95M クロノグラフ搭載のサブシー Ref.95 704 568。ボーゲル社製ケース。1960年製。Image courtesy of Sotheby's

 特に注目すべきはモバードの防水ケースであり、Cal.95M搭載のサブシーやアクヴァティックに使われたケースはフランソワ・ボーゲル(François Borgel、ときにはタウベルトとも呼ばれる)社に委託していた。ケースバックの内側に“FB”の刻印があるこれらのボーゲル社製ケースは、この時代のモバードにとって最もコレクタブルなモデルを生み出した。この時代の“防水”時計ケースのなかでも、ボーゲル社のレベルはほかのメーカーとは一線を画していた。パテックもグレイルレベル(聖杯レベル)のRef.1463、Ref.1485、Ref.1591、Ref.2451、Ref.565などのモデルでボーゲル社に依頼しており、その例を挙げるとキリがない。

 パテックとのつながりをさらに深掘りすると、パテックのRef.2499、Ref.2552、そしてSS製Ref.130のケースを製造したウェンガー社もモバードと契約していた。ウェンガー社はパテックのRef.2552やジルベール・アルベール(Gilber Albert)のデザインによる構造的に難しいケースを手がけたことでも知られており、特に独創的なデザインを得意としていた。通常、ウェンガーが製造したモバードのケースはカレンドプラン、キングマチック、ジェントルマンといった最高級のゴールドモデルに使用されていたが、同時にジェントルマンのようにカタログのなかでも“そこそこ”際立った意匠のものも製作していた。

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カレンドプラン アンチダスト スポーツ Ref.8137。ウェンガー社製ケース。1950年製。Image courtesy of Christies

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1961年のモバードカタログの1ページ。

 モバードのケースメーカーとしてさらに挙げられるのは、ファーブル&ペレ(Favre & Perret)社とC.R.スピルマン(C.R. Spillmann & Co.)社である。ファーブル&ペレ社はオーデマ ピゲのロイヤル オーク Refr.5402の初期開発に携わり、ジェラルド・ジェンタと共同で作業を行うなかでパテックのRef.3940、ノーチラス Ref.3700の一部、そしてのちのエリプスのケースも製作していた。しかしスピルマン社も劣らず、ロレックスのオイスターケースや、ヴァシュロン、AP、ユニバーサルなどのさまざまなケースを手がけていた。

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Cal.90M クロノグラフ搭載、Ref.R9043。ファーブル&ペレ社製ケース。1950年ごろ製造。Image courtesy of Shuck The Oyster

文字盤について:ファブリーク・デ・カドラン・スターン・フレール

 モバードが最高のサプライヤーのみを使用するというこの議題について、文字盤製造のために頼ることができた合理的な相手がスターン・フレール社(Stern Frères)の巨匠たちであった。このヴィンテージ期においてモバードは自社で文字盤を製造することもあったし、ほかのダイヤルメーカーに依頼することもあったが、私が観察した文字盤の大半は裏側にさまざまな数字のコードや星の刻印が押されていた。これらのコード、特に1950年以降によく見られる星の刻印は、その文字盤がスターン・フレール社によって製造されたものであることを示している。

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1965年ごろのスターン・フレール社の文字盤カタログ。Image courtesy of "The Dial" by Dr. Helmut Crott

 スターン・フレール社は時計業界で「あなたの好きな時計師が最も信頼していたダイヤルメーカー」と言って差し支えない存在であった。思い浮かぶ重要なヴィンテージ文字盤のほとんどはスターン社の手によるものである。たとえばロレックスのRef.6062やRef.1016、さまざまなストーンダイヤル、そしてパテックのRef.1518、Ref.2499、Ref.2526などがそれに該当する。スターン社について深く掘り下げたいなら、モバードに関する多くの情報も含まれているヘルムート・クロット博士(Dr. Helmut Crott)による名著『The Dial』を強くおすすめする。

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カレンドマチック Ref.16201。スターン・フレール社製文字盤。1945年ごろ製造。Image courtesy of Jacob Hillman, @hillman.watches

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サブシー Ref.19038。クロノグラフムーブメント、Cal.95M搭載。スターン・フレール社製文字盤。1945年ごろ製造。

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Image courtesy of "The Dial" by Dr. Helmut Crott

 スターン社製モバードの文字盤自体は非常に優れたものであり、その時代における最高峰といえる。しかし私が特に気に入っているのは、スターン社とモバードの関係が生んだふたつの最も有名な文字盤だ。ひとつ目は聖クリストファー(St. Christopher)を描いたもので、ギヨシェ彫りを得意とする文字盤製造会社であるラ・ナショナル(La Nationale)社に発注された。このラ・ナショナル社はスターン社のすぐ隣に位置していた。しかしラ・ナショナル社の職人の不幸な死により、同社はこの宗教的でお守りのような文字盤約50枚を完成させることができなかった。そこで1971年にラ・ナショナル社のこの一連の文字盤製作をスターン社が下請けし、特殊なギヨシェ彫りのための7台の機械と300種類のデザインパターンをスターン社に譲渡した。

 その1年後、スターン社はこれらの機械とパターンを使用して現在タペストリーと呼ばれる技法を開発し、ジェンタと協力してRef.5402 ロイヤル オークの文字盤を生み出した。1976年、ジェンタは彼の新たなプロジェクトであるパテック フィリップの文字盤にも同じようなスタイルを求めてスターン社と再び手を組んだ。スターン社は10種類のタピスリーパターンを提案したが、そのすべてがラ・ナショナル社から受け継いだパターンに基づいたものだった。そして最後はアンリ・スターン(Henri Stern)自身がRef.3700 ノーチラスの最終的な仕上げを選択した。

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Ref.8696、スターン・フレール社製七宝エナメル文字盤。Image courtesy of Antiquorum

モバードの収集について

 ある種の時計愛好家のあいだで、しばしば“価値”という言葉が議論を支配することがある。私はこれを残念に思う。時計の価値を重視するあまり、支払った金額と手に入れたものとのあいだに避けがたい結びつきが生じてしまうのだ。私もできる限り価格という概念を排除して時計と向き合いたいと思っているが、実際には価格と価値がよくも悪くも話題にあがりがちだ。モバードの価値は何よりもその手ごろさにある。2000ドル以下でヴィンテージのパテックに近しいスタイルの時計を所有できるというのは非常に意義深いことだ。

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手巻きのCal.75はティファニーによって販売された。Image courtesy of Sotheby's

 その始まりから語っていこう。モバードのヴィンテージ期、同ブランドの時計は世界最高の小売業者によって販売されていた。ニューヨークのティファニーやカルティエ、ローマのハウスマン、ミラノのエベラール、ミュンヘンのアンドレアス・フーバー、イギリスのマッピン&ウェブなどである。これほどの職人技とヴィンテージモバードのトップクラスの品質について読んだあとでは、もはや驚くことではないだろう。

 当時の市場におけるモバードのポジションを表す私のお気に入りの時計は、ヘンリー・グレイブス・ジュニア(Henry Graves, Jr)の孫であるピート・フラートン(Pete Fullerton)のコレクションにあったものだ。アメリカで最も著名な時計収集家、フラートン家のコレクションには当時入手可能ななかでも最高のパテック フィリップがいくつか含まれていた。たとえばプロトタイプのRef.2497Ref.5004P、第1世代のRef.3971などだ。フラートンはまたティファニーのロゴが入ったモバードの時刻表示のみの時計を所有しており、傷が付いていることからも明らかだが頻繁に着用していた。その時代の最高のコレクターのひとりがモバードを所有し、愛用していたという事実がその価値を物語っていると思わないだろうか?

 現代の市場において、モバードは長きにわたり軽んじられ続けてきた。フラートンのモバードは2012年に750ドル(当時のレートで約6万円)で売却された。また数週間前にeBayで販売されたウェンガー社製ケースのキングマチック カレンダーは、クズ鉄以下の価格で取引された。確かに大手オークションハウスで高額で取引された例もある(こちらこちら、そしてこちらを参照)が、全体的に見れば素晴らしいモバードでもわずかな金額で購入できるのである。

 そう、モバードに対して私にはバイアスがかかっている。私は2019年に初めてモバードについて書いたが、それ以前からこのブランドを収集している。私はeBayで検索条件をいくつか保存し、定期的に同僚にリンクを送りつけたり、最近手に入れたモバード(ちなみに1910年代後半のシルバー製“ハーフムーン”だ)を見せびらかしたりしている。私のニッチなヴィンテージブランドに対する過剰な情熱が不可解に見えるなら、それはあなたの側の問題だ。

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カレンドグラフ、カレンドマチック、セレストグラフのコレクション 。Image courtesy of Jacob Hillman, @hillman.watches

 先入観を捨ててヴィンテージモバードに挑戦する時計コレクターが増えれば増えるほど、“モールウォッチ”ブランドが作ったこれらの小さな時計は価値を証明してくれるだろう。すでにその兆しは見えている。興味があるなら、私をあなたのシェルパ(登山隊の案内人)だと思ってもらえればいい。

そして、モバードに何が起こったのか?

 1969年にモバードがゼニスおよびモンディアと合併したことは、先に述べたとおりである。1970年代製の時計にはコレクターとして興味を引くものもいくつかあるが、その多くはゼニスによるものだ。かつて多くの偉大なスイス時計ブランドがそうであったように、クォーツウォッチが市場を支配していたこの時代は経営権の変動が相次いだ時期であった。1972年にグループはシカゴに拠点を置くゼニス・ラジオ・コーポレーションに買収され、その後スイスの企業であるDixi SAへと売却、最終的には1983年に現在モバード・グループとして知られる会社に吸収された。

A movado chronograph

デイトロン HS 360(初代) Ref.434 225 502。1970年ごろ。Image courtesy of @bazamu

 そのあいだにミュージアムウォッチが登場した(これについては無視すると思っていたかもしれないが)。ミュージアムウォッチはブロンクスに住むロシア移民のジョージ・ホーウィット(George Horwitt)によってデザインされたものであり、私たちが現在モバードの時計として知っているものは実際には1947年にヴァシュロンによって企画され、1950年代後半にヴァシュロンとルクルトによってプロトタイプが製作された。私はこのデザインと、私の好きなヴィンテージブランドに与えた影響をあまりよく思ってはいないのだが、ホーウィットの粘り強さには敬意を表さなければならない。モバードは最終的に1960年代初頭に彼のデザインを製品化することに同意したのだ。

 ミュージアムウォッチは当初、モバードの総生産量のごく一部を占めるに過ぎなかった。1960年代にはニューヨークの一部の小売業者向けにのみ製造され、時間をかけながらカタログに常時掲載されるようになっていった。クォーツショックが到来するとムーブメントではなくデザインを重視するシンプルな時計が市場で成功し始め、やがて高騰していった。

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ジョージ・ホーウィットによる“ミュージアムウォッチ”のプロトタイプ。Image courtesy of MoMA

 1983年に現在のオーナーがモバードを買収した時点では、ミュージアムウォッチはブランドでほぼ唯一売れている商品だった。この時期、当時のノース アメリカン ウォッチ コーポレーション(現在のモバード・グループ)はピアジェやコンコルドも所有しており、これらのブランドはモバードに比べてより高級な位置づけとされていた。ビジネスにおいて正しい選択肢は明白であり、グループはミュージアムウォッチにすべてのリソースを投入。結果としてモバードは、現在私たちが認識しているような一芸に秀でたブランドとなったのである。

では、現在のモバードはどうすればその遺産をよりうまく活用できるのか?

 モバード・グループ(Movado Group Inc.)については2019年6月にジョー・トンプソンがMVMTの買収を取り上げて以来、HODINKEEのページでは詳しく報じられていない。私は現在のモバードをあまり好んではいないが、それでもこのブランドは私の属する時計業界の一角とは関係がないというだけで、かつて大成功を収めたブランドだとずっと思っていた。しかし最近の業績を見てみると、その想像は必ずしも当てはまらないかもしれない。

 モバードは上場企業であるため、モルガン・スタンレーやリュクスコンサルトが出している推定売上高に頼る必要はない。MGIは四半期および年間の報告書を公開している。報告書内ではブランド別の売上は区分されていないが、“所有ブランド”(モバード、コンコルド、エベル、MVMT、オリビア・バートン)のカテゴリを見ればモバードブランドの業績についていくつかの結論を導き出すことができる。

a MGI sales chart

 オリビア・バートンは約2500万ドル(日本円で約37億円)規模、MVMTは約8000万ドル(日本円で約120億円)規模の事業であるが、それぞれFY2019とFY2020にこのカテゴリに追加された。MVMTとオリビア・バートンが報告に追加される前のFY2018と両者が追加された後のFY2020を比較すると、所有ブランド全体の売上に対する影響は合計でわずか6575万ドルに過ぎない。さらにFY2021にはCOVID-19の影響による売上減少があったものの、それ以外の期間では所有ブランドの売上は比較的横ばいで推移している。

 過去10年間にわたるMGIの事業を全面的に見直すことはここでの目的ではないが、グループの年間報告書に示されたすべてのサインは、モバードの事業がよく言っても停滞していることを示している。

MVMT以降のモバードの財務状況

 この記事は主にヴィンテージモバードへの愛を綴ったものであり、そのなかにはかつて偉大だったブランドが少しでもそのルーツに戻ることを切望する気持ちも込められている。今日のモバードのカタログに見られる、ヘリテージにインスパイアされたモデルはほとんどが的外れである。しかしこの批判に対して唯一の例外を挙げるとすれば、モバードのアルタ スーパーサブシー オートマチックである。この43mm径のクロノグラフは2022年に発売され、ゼニス時代のスーパーサブシーから明確にインスピレーションを得ており、その仕上がりは見事だ。このモデルが発売されたときには驚かされたが、2年前のこのモデルが、モバードがミュージアムウォッチや3000ドル以下の“手ごろな高級品”(Accessible Luxury、これはMGIの用語だ)の枠を超える動きの小さな兆候であることを願っている。

a movado ad

 これには歴史的な前例もある。1993年のMGIの株式公開後、グループは急成長を遂げた時期があった。その時期にモバードは1881コレクションというシリーズで、ヘリテージに非常に忠実にインスパイアされたモデルを製作していたのだ。このときのグループの成功はRef.44.B3.870(自動巻きの永久カレンダー)やRef.40.A8.620(レクタンギュラーの手巻き式ドレスモデル)といった時計だけに起因するものではないだろうが、MGIの成長期にはほかにもさまざまな要因が影響していたことは確かである。しかし1881コレクションのようなものを作ろうとしたという意欲が、このブランドがかつて成功した理由のひとつであることは間違いない。

ブランド(モバード)はこれから何をすべきか?

 現在の運営方針を見る限り、モバードは“手ごろな高級品”という市場の一部だけを狙い撃ちしているように見える。この領域において消費者は知名度のあるブランド、目を引く現代的なデザイン、そしてクォーツムーブメントを求めている。しかし最近のMGIの売上データを見ると、このいわゆる中間市場の消費者に疲労感や離脱の兆しが見られる。MVMTがグループ傘下にしっかり収まっている今、私はモバードが“ロンジン方式”とでも呼べるアプローチでより自由な実験に着手することを期待している。ヴィンテージにインスパイアされ、ほぼ忠実に再現したリリースによってロンジンは2012年に10億スイスフランの収益の壁を突破し、2017年には約15億スイスフランに達したとモルガン・スタンレーは報告している。

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筆者所有のモバード。1915年ごろのハーフムーン。

 2024年、我々はヘリテージにインスパイアされたリリースに少し飽きてきているかもしれない(ゼニスを見て欲しい)。しかし、モバードには非常にユニークなビジネスチャンスがある。多くの新興ブランドは、同ブランドのアーカイブにあるデザインを参考にして繁栄を続けている(バルチック、ファーラン・マリ、アノマなどを参照)。この3000ドル以下の価格帯の時計の魅力は、その大衆性と手に取りやすさにある。カルティエのプリヴェコレクションのような高級ブランドには到底手が届かないと諦めている時計愛好家たちは、完成度が高く、率直にいってクールなヴィンテージデザインを切望している。そしてモバードにはそれを提供する力がある。少し上にスクロールして、それらの時計たちをもう1度見てみて欲しい。時計の世界のこの界隈にはもっといいものが眠っているのだ。もしモバードが満を持して挑戦すれば、真の時計愛好家たちは喜んでそれに群がるだろう。

 モバード・グループにお願いだ。我々にセレストグラフを、クッションケースを、ハーフムーンを与えてくれ! もし実現してくれれば、必ずその場に駆けつけよう。なにか助けが必要なら、どうか声をかけて欲しい!

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1920年ごろの、モバード初期のウォッチコレクション。Image courtesy of @doobooloo