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私と時計のこれまでの関係からスタートしたい。子供の頃、スヌーピーのテニスアクションという時計をもっていた。スヌーピーの前足が時針、ラケットが分針、テニスボールが秒針になっていて、とても欲しかったのだ。そして、子供時代を経た今、それは消えてしまった。もう40年も前のことだ。それ以来、私は腕時計を着けていない。
サンフランシスコのさびれたメンズショップで買った、古くて動かない時計がまだ引き出しの中に入っているので、もってはいる。1999年にちょっとデートした男性から、何の気なしに貰ったのだ。私は彼のアパートにいて、それを手に取って眺めていたら「持って帰りなよ」と言われたのだった。まだ帰るかどうか決めてなかったのに。中々かっこいい時計だったため(少なくとも当時の私にとっては。その時は何が本当に“かっこいい”のか、分かってなかったのだ)、修理してもらおうと思ってはいるのだが、長い間そのままということは本当はどうでもいいと思っているのかもしれない。
要するに、HODINKEEから声が掛かるまで、私は基本的に時計のことを考えたことすらなかったということだ。他の人と同じように、私も携帯電話で時間を確認しているが、常に見ているので“確認する”というのは言い過ぎかもしれない。しかし私は、靴やバッグ、カシミアなど、用途はあってももっているだけで楽しいものを手に入れるのが大好きなため、熱心に、そして楽観的に、これから1年間は時計について考えることにした。私は時計を買いに行くだろうし、普通の人や俳優が着けているものにも気づくだろう。「あら、『Call My Agent!(アメリカのTVシリーズ)』に出ている2人がラドーをしてるわ。カメラがズームインして時計を2秒間もじっくり映してる!」などと独り言を言う。そして、それを忘れないうちにラドーについてググってみる。ほら、まだ3日目だが、私は既に2つのラドーの時計に強烈な恋心を抱いてしまった。1つはスポーティーなもの、もう1つはセクシーなものだ。毎日少なくとも30分は買うべきだと思っているが、私の旅はまだ始まったばかりだ。私は大人になってから20分以上も時計のことを考えたことがなかった。時計を買いに行ったこともない。舞踏会で出会った最初の王子様と結婚するわけにもいかない。
特に、私は王様にお目にかかったこともないので。
私が言いたいのは、時計について真剣に考える前に、そして軽率な買い物をしてしまう前に、ロレックスを見に行かなければならないということだ。回り道をする必要がなぜあるのだろう? 世界中のほとんどの人が知っている唯一の高級時計をなぜ見に行かないのか?
私は自分の好みをかなり質素だと思っていて、クロエ・カーダシアンのベルベットに包まれたレンジローバーやウォーターフォードのクリスタルグラス、高級グレープゼリーみたいな味しかしなかった200ドルのナパ・カベルネのように、ロレックスを馬鹿げていると思うだろうと想像した。しかし、実際着けてみると、やはり緊張してしまう。まずはお金持ちになるか、有名にならないといけないような気がした。何かのチケットが必要なような気がしたのだ。ロレックスの販売店に入るとサイレンが鳴り、道路脇にある運転速度を示す標識のように、私の月々の収入が点滅し始めるような気がしてしまった。
だから、服装には気を使った。すごくリッチに見せたかったが、自分らしさも出したかった。これを実現する(または頭の中で想像する)コーディネートは、ジーンズに黒のベルベットのブレザー、トリルビリー ウォーカー パーティー(Trillbilly Worker Party)のTシャツ、そして80ドルで買った中古の フィオレンティーニ+ベイカー (Fiorentino and Baker)の3.5インチヒールのブーツだ。そして、メイクアップ(マスカラ)と巨大なヴィンテージのカクテルリングを身につけ、125ドルで手に入れた中古のマルベリーのバッグを持つ。結婚指輪もしたが、これは現代の女性が郊外に行くときに欠かせないものだと思っている。
最も近いロレックス販売店は、サクラメント近郊のモールの宝石店にあった。私は犬の毛だらけの15年物のトヨタを、ホンダのアコードと、冬のレジャーを楽しんでいることを示す“凝った”ナンバープレートを付けた黄色いハマーの間に駐車した。医療用のマスクをして、環境音楽を流しているスターバックスとフアネスを流しているメキシコ料理店の間を入った。2月の天候は、ここ数年来の夏のようだった。ママと子供とおばあちゃんが一緒に、そして男性が一人で、マスクをあごまで下げてフローズンヨーグルトやフライドポテトを食べていた。CHILLと書かれただぶだぶのニット帽をかぶった4歳の女の子が母親に向かって 「家に帰りたい!」と叫ぶと、母親は 「いつも家にいるでしょう。フライドポテトを食べなさい」と言う。その子は私をじっと見ていた。「大人になったら、シルバーレイクのクロスロードでタグ付き新品の1500ドルのマルベリーを125ドルで買えるといいな 」と思っているのは明らかだ。
何マイルも続くかのようなタイル張りの床を歩いていると、探していたものが見えてきた。グリーンとゴールドのロレックスのロゴだ。それは見慣れたものであると同時にミステリアスなものでもあった。もちろん何度も見かけたことはあるのだが、一度もよく見たことがなかったので、それがとても長い突起のある王冠なのか、記憶を頼りにラフに描いたものなのか、区別がつかなかった。それは別の時代から来たもののようで、むしろショッピングモールではもったいないくらいだった。街中の通りで見たかった。でも、モールも街の通りにあるし、と自分に言い聞かせた。理想的な大きな街並みではないけれど、これも街の一つだ。
その店はロレックス専門店ではなく、ロレックスを扱う宝石店だった。重厚なガラスのドアをもつ高級宝石店で、ショッピングモールの喧騒から離れた静かな雰囲気の店だった。ダイヤモンドのエンゲージメントリングが商売の50%を占めていて、ロレックスは左手のコーナーにあった。ジュエリー売り場との間にドアはなかったが、ロレックスのケースの方へ足を踏み出すと、ロマンティックな夢よりも個人の達成感や自己実現が重視される世界に入り込んだような気がした。
私は「ロレックスを見せていただきたいの」と、自己実現した人のような口調で言った。販売担当はスティーブと名乗る40代の白人男性だった。「時計を買うことを考えていて、ちょっと見てみたいんです」
私は「ロレックスを見せていただきたいの」と、自己実現した人のような口調で言った。
私の口から出た言葉は、自分では馬鹿げているように聞こえたが、スティーブは聞き慣れているようだった。確定申告書の提出を求められるとは思っていなかったが、「昇進祝いですか? あなたの? それともご主人の? それともお子さんの卒業式用ですか?」といった品定めの質問が来ると思っていた。しかし、ブルーのオックスフォードシャツに端正なヒゲを蓄えたスティーブは「もちろんです」とだけ言って、商品を取り出し始めた。服装にあれだけ気をつかったのに、私がバスローブを着ていてもスティーブは気にも留めなかっただろう。彼はクールだった。これは彼の仕事だ。大したことではないのだ。
スティーブは、約100万円のオイスター パーペチュアル デイトジャスト36を、青いゴム手袋をした手にバランスよく持った。彼はこの時計について、オイスタースティールは他のスティールより強く鮮やかなこと、ナイトテーブルに70時間置きっぱなしでも巻き上げる必要がないこと、36というのはケースの大きさであることなどを説明してくれた。彼は私に、これらの時計なら、どんな作りでも常に用意することができるが、ウェイティングリストのある時計もあると説明した。実際にはウェイティングリストではなく、「ロレックスを持つ価値がある」「本当に大切にしてくれる」と思われる人たちのリストだ。
私はこれをどう理解して良いかわからなかった。それは誠実なことなのか? また、私はこの経験に備えて何のリサーチもしていなかった。「ジェームズ・ボンドやジョー・バイデンはロレックスを身に着けている人だし、きっと他にも違う有名な人達が着けているだろう」と思っていた程度だったのが「自分の腕には本物のロレックスがある」ところまで来てしまった(後になってジェームズ・ボンドは、今はオメガを着けていることを知った。ジョー・バイデンもたまに着けているそうだ)。いずれにせよ、その時の詳細を語るのは困難だった。なぜなら、それはとても感覚的なものだったからだ。その感覚とは、ロレックスを腕に着けていると、とても気分がいい、というものだ。それは、セリーヌ・ディオンのコンサートを4列目で見たときに、その体験とかなりの出費(確かに出費だった)を皮肉るつもりだったのに、驚きと喜びと感謝の涙を流し、彼女の意外に筋肉質な腕に尊敬の念まで抱いてうっとりしたときの感覚に近かった。
見ていなくても、時計をした腕で立っているだけで、かなり気分が高揚してくる。
「まあ!」と私は叫んだ。「これは素晴らしいわ」
スティーブは分かっているというように微笑んだ。彼は、この反応に感謝したようだったが、飽きているようでもあり、ちょっと遠い目をしていた。「はい」と彼は言った。「お客様によくそう言われます。手首にはめるととてもリラックスできるような感覚があります」と。
スティーブは本当に的を射ている。温かい手首の裏に、冷たいオイスタースティールの重さを感じることができる。それは私を安定させてくれるのだ。自分がより重要で、より魅力的であると感じさせてくれた。若返るわけではないが、年をとることに前向きな気持ちにさせてくれたのだった。
次の時計は約150万円のデイトジャストで、ブラックフェイスにダイヤモンドがあしらわれていた。この時計を身に着けている間、もし買うとしたらダイヤモンドの付いた時計がいいかもしれない、と思った。ここに来る前にダイヤモンドのインデックスがついたロレックスが欲しいかと聞かれたら、私は絶対に「まさか」と答えたに違いない。しかし、実際にこれを着けた後では、約150万円という金額を、時間をかけた合理的な支出として、全くの不合理な行為ではなく、価値あるものとして捉えようとしている自分に気づいた。
私は時計を外したくなかったので、質問をして時間を稼いだ。「ロレックスを着けたいだけの、冷やかしのお客さんもたくさん来ます? それは迷惑ですよね?」
「私はどんな方とでもロレックスについて話をしたいのです」とスティーブは言った。「私たちは会社からそうするよう勧められています。ブランドについて語り、誰もがロレックスに感動するようにと」
「なるほど」と私は言った。「たしかに、販売ご担当者なら、今小銭しか持っていない誰かが、その後新品のロレックスを買うこともあり得ると心得ていらっしゃるのでしょうね」。 例えば、私のように。もし私が1年間、豆だけを食べ、ケールを育て、コーヒーではなくお茶を飲んでいたら、この時計は問題なく買えるかも。
さらに、このような時計を買えばお金になるのではないかと妄想しながら、ロレックスを買った後、収入が増えた人の話を聞いたことがあるかと聞いてみた。
彼が躊躇するのを見て、おそらく答えは「ノー」だと思った。しかし、彼はこう言った。「そうですね、確かに、ロレックスを身に着けている人というのは、おそらくそれなりの成功をしていると想像できますし、そういう人は自分の仕事に相応の能力をもっているでしょう。それが彼らの自信につながるかもしれません」と。
彼女は危険だ。境界性人格障害の可能性あり。他のライターを雇おう。
私はこう信じたかった。もしこの時点で、実際に自分の腕にはめたときと同じように、Zoomでも印象的に見せることができれば、私のロレックスはそれだけで元が取れると。しかし、この業界の人間なら、ライターとして私がどこでどのくらいの頻度で出版しているかを見て、おそらく並程度の収入だと判断できるだろうし、私がロレックスを買ったとしても、それが仕事で稼いだお金ではないことが分かると思う。もし彼らが私のパートナーの仕事も知っていたら、彼が仕事で稼いだお金で私のために買ったのではないことも分かるだろう。そうすると彼らは「あの人は家族が金持ちなんだ」とか「収入のほとんどを時計に使っているんだ」という結論を出すだろう。1つ目の結論では「彼女はお金を必要としていないから、給料を安くしてもいいだろう」と考えられてしまう。2つ目の結論では、おそらく「彼女は危険だ。境界性人格障害の可能性あり。他のライターを雇おう」と思われてしまう。
私が帰ろうとすると、小さなケースに入った28mmのマザー・オブ・パール(MOP)のダイヤルにダイヤモンドをあしらったレディースのデイトジャストが、たったの約40万円で売られているのが目に入った。私はスティーブに「MOPは見たことがあるけど、これとはまるで違うわ。凍ったクリームに妖精の粉を混ぜたようね」と夢見るように言った。スティーブ曰く、一般的に他の多くの業者ではMOPを仕入れると、その板を全部使うという。しかし、ロレックスは違う。そう。ロレックスでは、MOPの中でも最も厳選された、魔法のように虹色に輝く部分だけを使うのだ。「真珠層のフィレステーキのようなもの?」と私は言った。
スティーブは「そうです」と答え、これに使われているローズゴールドについても、ロレックス専用に採掘された特別なものだと話した。私は彼を信じた。私たちはコロナウィルスのために握手はしなかったが、目的意識をもってお互いにうなずき合った。彼は私が、ロレックス自体を超えた深い経験をしたことを理解していたと思う。私が時計を欲しいと思い、人々がこの時計を好む理由を理解したということだ。この精密で、痕跡的な小さな宝石の惑星を体に装着し、奇跡的に秒数を数えられるようにすることで、秩序と贅沢が共存しているという幻想に浸ることができた。美しいものがいつも手首に巻かれていたらどんなに気持ちがいいか、たとえ私が着けるものがあそこまで美しくなかったとしても、実際に理解することができたのだ。
私の時計が何になるかはわからないが、目を落とすたびに幸せな気分にさせてくれることと、スティーブが言ったように「リラックスできるような感覚」になることを期待するのは分かっている。いつも携帯電話を見るのをやめるためには、どれくらい気に入らなければならないのか、そしてこれは私にとってどれくらいの価値があるのか。きっとかなりの価値があると思う。
家に帰った後、オンラインで見つけたセクシーなラドーにしばらく見入っていた。その時計を身に着けていれば、会う人ごとに「いい時計ですね」と言われ、そのポジティブな気持ちが積み重なって、実際に幸福感が増していくのではないかと思えてくる。そして例のロレックスは、私の可愛い新しい友達だ。もしかしたら、1週間、1ヶ月と身に着ける機会があるかもしれない。その時、人は私に何と言うだろう? もし私が携帯電話ではなく時計をずっと見ていたら、私はどんな人間になるのだろう。
サラ・ミラー氏は、北カリフォルニア在住のライター。Twitter@sarahlovescali または Medium でフォローできる。
Illustrations by Till Lauer