Photos by Shota Akiyoshi
2005年にウブロからビッグ・バンが登場したとき、時計のサイズはすでに大型化が進んでいた。実のところ、あらゆるものがそうだった。騒がしい90年代にグランジ、バギーデニム、オーバーサイズのフランネル、そしてヒップホップの視覚的コードが主流になったのだとすれば、2000年代初頭にはそのロジックはより露骨で過剰な文化へと拡張した。それはロゴマニア、スペクタクル、そしてジューシー クチュール(Juicy Couture)のスウェットスーツによって定義される時代だった。
ビッグ・バンは自信たっぷりにその姿を現した。44mmというオーバーサイズのケースにクロノグラフ機能を搭載し、ベゼルには露出したビスが配されていた。その構造にはスティール(SS)またはレッドゴールドと、チタン、セラミック、カーボンファイバー、ケブラー、ラバーといった、きわめて非伝統的な素材が組み合わせて用いられていた。同年、このデザインはジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)で賞を受賞した。これは、意図的に既存の枠組みを打ち破る新たな存在が時計界に参入したことを正式に認めるものだった。
44mmのビッグ・バン スチールセラミック。
この広範な文化的背景に照らし合わせれば、ビッグ・バンのプロポーションは急進的というよりも、むしろ必然的なものだった。大型化は支配的な視覚言語となり、サブカルチャーや年齢層、自己表現の枠を超えて広がっていた。9.11以降のファッションでは、ルイ・ヴィトンのモノグラムが村上 隆氏によってレインボー色の幻想へと変貌を遂げ、バーバリーは可能な限りあらゆるものをチェック柄にし、グッチのダブルGはベルトのバックルを飾り、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)氏によるディオールは過剰な物語性とマキシマリストの幻想に酔いしれていた。サイズ、高い識別性、そして誇張はもはや逸脱したジェスチャーではなく、それこそが目的だったのだ。ロゴが主張を強めるにつれ、素材のアイデンティティはますますパフォーマンス的なものになっていった。
時計もこれに追随し、大型化した。パネライのルミノール、オーデマ ピゲのロイヤル オーク オフショア、ウブロのビッグ・バン、そしてジェイコブのファイブタイムゾーンはそれぞれ異なる手段をとりながらも、腕時計の物理的・象徴的な存在感を拡大させた。オフショアが持つラバーアクセントと誇張されたケースは、当時の過激さや肉体的な誇示への心酔を反映しており、ハイラグジュアリーをスポーツと見世物としての美学に結びつけた。パネライは軍用としての実用性と歴史的正当性を通じてそのサイズを位置づけ、その出自を利用して巨大さを正当化した。IWCのビッグ・パイロットも同様の領域で機能し、そのスケールは計器という役割から発展したものであり、あくまでも機能的必要性に根ざしたものとした。対照的に、ジェイコブは抑制を完全に取り払った。ファイブタイムゾーンは、そのスケールをセレブリティからの高い認知と、ポップカルチャーが持つ即時性に結びつけた。47丁目(マンハッタンのダイヤモンド・ディストリクト)とのつながりにより、伝統的なスイスのウォッチメイキングの枠外に位置づけられた。それは2000年代半ばの時計文化を象徴する決め手となった。大型時計はダイヤモンド・ディストリクトの派手さからミリタリーの神話へ、そして次第に“ジェンタ風”のものへと移行していった。それぞれの段階がそのサイズをさらに一般化させ、ついにはサイズそのものがメッセージとなったのである。
左: ハイディ・クルム(Heidi Klum)氏/Image: Courtesy of London Entertainment / Shutterstock、右:ジェイ・Z(Jay Z)氏/Image: Courtesy of Jacob & Co.
大型時計が文化的に浸透した背景を理解するには、クォーツ危機後の時計収集がどのようなものであったかが助けになる。1990年代を占めていたコレクターは、懐中時計を崇拝する古美術愛好家のような人物だった。2000年代初頭はリファレンスを重視し、歴史に精通し、複雑機構やキャリバーに明るい知的なコレクターの時代となった。そして2000年代半ばから後半にかけて、その人物像はまったく別のものへと変化した。すなわち文化的なコレクターである。時計はやがて品格を示し、好みや帰属意識、ステータスを表現するための手段となった。
2000年代初頭から半ばにかけてのコレクションは、インターネットの掲示板という場と切っても切れない関係にあった。しかしオンライン上に存在するどのコミュニティに属するかを選ぶのは、気まぐれな作業だった。パネリスティ、APフォーラム、あるいはブランド特定の掲示板。これらの空間は単に時計について議論するだけでなく、他者との意見を一致させる場とも機能していた。好みは集団的に広まっていった。ブランドは宗教のように機能し、狂信的な目的意識さえ提供していた。皮肉なことに、科学と宇宙論を連想させる名称であるビッグ・バンは、具体的な何かに結びついていたわけではなかった。その緩やかさが、かえって順応性を生んだのである。それは学術的な対象というよりも、アクセサリーのように機能した。
当時フォーラムで活動していたあるコレクターは、その熱狂を鮮明に覚えている。「2004年か2005年にパネライのフォーラムを使い始めたとき、英国時間の正午ごろになると毎日サイトがクラッシュしていました」と彼は振り返る。「アメリカ人がオンラインになる時間だったからです」。彼は、忠誠心がいかに早く移り変わったかも記憶している。「6カ月間、APフォーラムが最もホットな場所になり、誰もがロイヤル オーク オフショア クロノグラフを投稿していました。すると次はパネライ派の出番です。その次はウブロになり、そしてまた全員がロレックスに戻る。まるで人々が異なる物語を試着しているかのように、トレンドは絶え間なく移り変わっていました。それはインポスター症候群(自分を実力以上に見せようとする不安)だったのかもしれませんし、自分ではない何者かになろうとしていたのかもしれません」
これは群衆心理と独占的な存在感が支配した時代であり、特定の時計が社会の特定の層を席巻していた。時計はアクセサリーとして、また自己表現の手段として機能した。それは現代では少し異質に感じられるほど、社会的な地位を直接的に投影するものだった。もちろん現在、私たちは自らを自立した審美眼を持つ愛好家だと思いたがっている。アイデンティティは掲示板で集団的に強化されるものではなく、Instagramで自己構築されるポストフォーラムの世界に生きていると考えているからだ。しかし2000年代半ばから後半にかけて、時計はより声高でコミュニティ志向、そしてよりパフォーマンス的だった。サイズは、その群衆心理を補強する役割を果たしたにすぎない。
ビッグ・バンを同時代にあったほかのモデルと区別していたのは、エスカレートした攻撃性ではなく、驚くほどの軽やかさだった。オフショアがスポーツによって、パネライが実用性と歴史によって厳格に定義されていたのに対し、ビッグ・バンは比較的自由な立場で登場した。そのアイデンティティは自由な選択肢を提供し、引用元は多岐にわたり、その情報発信の仕方は伝統的な時計文化の期待に縛られることが少なかったのだ。受け継がれた物語に固執するのではなく、ファッションそのものが持つあらゆる瞬間、つまり流動的で表現力豊か、そして即座に理解できるという性質に同調したのである。その緩やかさにこそ、先見の明があった。ビッグ・バンは時計業界がその役割を認める準備ができる前から、文化的なオブジェクトとして振る舞っていたのだ。
SS製で44mmのビッグ・バン ジーンズ(2016年)。
独立系時計ブランド、パターン・レコグニション(Pattern Recognition)の創設者であるマイケル・フリードマン(Michael Friedman)氏はこう振り返る。「ビッグ・バンはより新鮮でした。大きくても、より軽く感じられたのです。明るい色使い、軽快なトーン、そして軽やかな情報発信の仕方。オフショアはスポーツときわめて密接に関連付けられていました。ビッグ・バンはより親しみやすく、特定のイメージに縛られていなかったのです」
2004年から2012年までウブロのCEOを務めた業界の巨星、ジャン-クロード・ビバー(Jean-Claude Biver)氏はこのことを直感的に理解していた。彼の才能は発明というよりも物事の捉え方にあり、認知の高さ、セレブリティ、そして推進力を鋭く捉える文化的なアンテナを持っていた。ビバー氏はビッグ・バンを取り巻く文化を作り出したのではなく、それを認識し、鋭い直感によって当時主流だった考え方に焦点を当てたのである。
「ビバーが常に長けていたのは、ブランドに文化を注入することでした」とマイケル・フリードマン氏は言う。「ウブロにおいて、彼は時計文化の外に踏み出し、代わりに広範な文化に目を向けたのです」。ビッグ・バンはまさにその転換点に位置している。認知の高さが控えめな美徳を追い越し、時計がファッションやセレブリティ、見世物という枠組みの外側に存在しているふりをするのをやめた瞬間だ。
2011年、ボンド・ストリート店のオープンに立ち会うビバー氏。Image: Courtesy of Getty
もしビッグ・バンが先駆者であったなら、その後に続いたのは必然だった。その開放性や美的、文化的、思想的な側面は独特の流動性を生んだ。この時計は、機能するために説明や専門的な知識を必要としなかった。どこへでも行けたのだ。これは大型時計の黄金時代であり、男らしさ、認知の高さ、そして力強さというきわめてマーケティングしやすいイメージに支えられていた。
2005年、『L.A.コンフィデンシャル(L.A. Confidential)』のパーティでカスタムメイドのウブロを贈られた俳優のジェイミー・フォックス(Jamie Foxx)氏。Image: Courtesy of Getty
ビッグ・バンが“見せびらかし”の文化を発明したわけではない。見せびらかすことが当たり前の作法となった時代に、ビッグ・バンが居合わせたのだ。世界金融危機以前に見られた流動性と若者文化は、永続性よりも存在感が重要な瞬間を作り出した。リセールバリューを考える者も、資産として捉える者もいなかった。その時計はただ、見られるために存在した。「まさに時代の産物でした」とフリードマン氏は指摘している。
「当時はムーブメントへの関心が今よりもずっと低かったのです」と振り返るのは、2000年代半ばからコレクションを始めたマイアミ拠点のコレクター、ジョシュ・クルート(Josh Krut)氏だ。彼はビッグ・バンを時計学的な議論の対象としてよりも、それを取り巻く文化の反映として記憶している。「デザインがすべてであり、欠点はそれほど問題ではありませんでした」と彼は言う。マイアミではこの時計を、トゥルー レリジョン(True Religion)のデニムや、村上 隆氏時代のルイ・ヴィトンのバッグと組み合わせている姿をいたるところで見かけたという。「すべてがとても派手でした。しかし、その場になじんでいたのです」
そしてこのエコシステムにおいて、ナイトライフは試練の場として重要だった。クラブ、パーティ、深夜のスポットこそが、時計が繰り返し目撃される場所だった。そこでは文化的シグナルが素早く循環し、視覚的に階層が確立された。その文脈では、ニュアンスよりも人々に認識されることが重要だったのだ。時計は説明なしに、部屋の端からでも瞬時に判別されなければならなかった。控えめなものなど何ひとつなかった。時計も、発光するドン・ペリニヨンのボトルも。
コービー・ブライアント(Kobe Bryant)氏と、ウブロの元CEOリカルド・グアダルーペ(Ricardo Guadalupe)氏(2013年)。Image courtesy of Getty
ビッグ・バンが人々に広く認知されているのは成功の副産物ではなく、戦略そのものだった。一流のミュージシャン、エリートアスリート、アーティストたちに着用され、ワールドカップの決勝で時を刻み、オリンピックの表彰台にも登場した。音楽、スポーツ、ファッションのあいだを軽やかに行き来し、ハイラグジュアリーと大衆文化の距離を縮めた。好むと好まざるとにかかわらず、ビッグ・バン登場以来の20年間にウォッチメイキングとポップカルチャーに与えた影響は否定できない。
しかし、その戦略は自然発生的なものでも偶然のものでもなかった。ビバー氏は、オメガ時代に経験し磨き上げてきた戦略を確かに携えてウブロにやってきた。彼はオメガで働いていたころ、シンディ・クロフォード(Cindy Crawford)氏をコンステレーションコレクションの顔に起用することから、『007/ゴールデンアイ(GoldenEye)』でピアース・ブロスナン(Pierce Brosnan)氏がシーマスターを着用したあとにジェームズ・ボンドをオメガの象徴として定着させることまで、ブランドアンバサダーと製品の持つアイデンティティを密接に関連付ける手法を制度化する手助けをした。ウブロではその論理がさらに推し進められ、より露骨になった。ジェイ・Z氏とのタイアップを含むヒップホップ文化への浸透や、フットボール界への積極的なスポンサーシップは人気の副次的な効果ではなく、意図的なインフラ整備だったのである。
左: ウェイン・ルーニー(Wayne Rooney)氏(2011年)、右: ウサイン・ボルト(Usain Bolt)氏(2011年)。Images courtesy of Getty
セラミック製で45mmのビッグ・バン ウニコ ウサイン・ボルト(2016年)。
特にフットボール(必要ならサッカーと呼んでもいい)は決定的だった。当時、このスポーツはまだ大衆的すぎると考えられており、ハイラグジュアリーと結びつけるには野暮ったいとさえ思われていた。その緊張感こそが狙いだった。ウブロは、業界の他ブランドが二の足を踏んでいた時期にフットボール界に参入した。2006年にスイス代表チームのスポンサーとなり、2008年にはUEFAの公式パートナーに、そして2010年までにはワールドカップの中心に自らを位置づけた。「ウブロがフットボールに参入したときのことを覚えていますか? フットボールは人気のあるスポーツでしたが、ラグジュアリーとは決して結びついていなかったのです」と、現ウブロCEOのジュリアン・トルナーレ(Julien Tornare)氏はのちに振り返っている。「今や数多くのブランドが参入している」
ペレ(Pelé)ことエドソン・アランチス・ド・ナシメント(Edson Arantes do Nascimento氏と、キリアン・エムバペ(Kylian Mbappe)氏。Image Courtesy of Hublot
2014年FIFAワールドカップブラジルのために製作された、セラミックカーボン製で45mmのビッグ・バン ウニコ バイレトログラード クロノグラフ。
ビッグ・バンの存在を避けることは困難になった。スポーツ、音楽、ポップカルチャーの至るところに繰り返し登場し、時計の語られ方や見られ方を作り変えた。「それは時計業界における真の革命でした」とジュリアン・トルナーレ氏は説明する。「おそらく、21世紀のスイス時計業界における最初のアイコンウォッチでしょう。そしてそれはマインドセットの変化を伴っていました」。その変化は、機械面における斬新さによってもたらされたものではない。ムーブメントの質は周知のとおりであり、おそらく意識的に優先順位を下げられていた。デザイン、高い認知、そして文化としての存在感こそがバリュープロポジションだったのだ。「ビッグ・バンは定義上、大きな時計です」とトルナーレ氏は言う。「そしてそれは大型化が始まりつつあっても、まだ完全には定着していなかった時代でした。ウブロはそのトレンドを作る手助けをしたのです」。また、“融合”が基本理念となった。それは素材だけでなく、リファレンスや世界観の融合でもあった。「素材を融合させることも意味していましたが、それは本質的に、きわめて保守的な環境において、きわめて破壊的なアプローチで異なるものを結びつけることだったのです」とトルナーレ氏は付け加える。
2010年代までにウブロの文化的地位はロレックス、パテック フィリップ、オーデマ ピゲと肩を並べるようになった。その事実はラップの歌詞に登場することからもわかる。ブランド名が歌詞に含まれることは、単なる認知を促すのではなく、文化的な価値を証明するものとして機能するからだ。名前が挙がることは、数に入れられていることを意味する。ジェイ・Z氏の『オーティス feat. オーティス・レディング(Otis ft. Otis Redding/2011年)』において、ウブロは珍しいものではなく、同格の存在として登場する。「New watch alert, Hublots / Or the big-face Rollie, I got two of those(新しい時計の警告だ、ウブロ。あるいはデカ顔のロレックス、俺はそれを2本持ってる)」。このラインはビッグ・バンをロレックスと同じくらい広く認識されており、価値があると位置づけ、それが完全に文化として認められたことを強調している。
2013年にチューリッヒで開催された、ウブロとショーン・カーター(Shawn Carter Watches)のコラボウォッチのワールドプレビューでのジェイ・Z氏。
この文脈において、ビッグ・バンに感じられた過剰さは欠点ではなく特徴だった。そのスケール、コントラスト、そして視覚的な主張は、その瞬間そのものを映し出していた。のちに批判家たちが騒々しく不真面目だと片付けることになる要素は、当時はまさにその点こそが重要だった。この時計は時代を超越することを目指したのではない。今日的であることを目指したのだ。ビッグ・バンが示したのは、多くの人が認めたがらないほど早くに時計がすでにひとつの境界線を越えていたということだ。時計はもはや愛好家や遺産のためだけの対象ではなく、より広範な文化経済の参加者として機能していたのである。
ビッグ・バンの台頭をリアルタイムで目撃したコレクターと話をすると、当時の瞬間と、現在もウブロが最も得意としていることとのあいだに明確な共通点が浮かび上がった。ブランドの最も首尾一貫したポジショニングは、時計学的な正統派から退却したのではなく、現代アートとの持続的な連携にある。現代アートもビッグ・バンと同様、表現、素材の実験、そして文化的な即時性を通じて機能する分野だからだ。「ウブロが続けられる最もスマートなことは、その世界に傾倒し続けることです」と彼は私に語った。それは時計に中身がないからではなく、現代アート、特にウブロが関わっているアートは根本的に、高い認知、表出の仕方、そしてインパクトに関するものだからだ。実際、その論理はすでにブランドに組み込まれている。村上 隆氏、シェパード・フェアリー(Shepard Fairey)氏、リチャード・オーリンスキー(Richard Orlinski)氏、マキシム・プレシア-ビューチ(Maxime Plescia-Büchi)氏、そしてサミュエル・ロス(Samuel Ross)氏といったアーティストとのコラボレーションはウブロが持つ歴史の外にあるものではない。それらはビッグ・バンの持つ文化的流暢さ(編注;各文化がもつ空気感を適切に理解し、使いこなせること)を別の領域へと翻訳し、拡張しているのである。
ウブロのアンバサダーを務める現代アーティスト、ダニエル・アーシャム(Daniel Arsham)氏。
昨年、ウブロはパトリック・マホームズ(Patrick Mahomes)氏をブランドアンバサダーに迎えることを発表した。これはウブロと米国市場にとって大きな一手である。
ウブロは、次のフェーズに何が必要かを明確にしている。ジュリアン・トルナーレ氏のもとで、その焦点は時計製造の本質へと移っている。それは過去を否定するためではなく、透明性が求められる現在の環境において、その信頼性を疑いようのないものにするためだ。「当時、ムーブメントの革新はビッグ・バンを定義するものではありませんでした」とトルナーレ氏は述べている。「焦点はデザイン、存在感、そして素材の融合にありました。今日、私たちはそれらとのバランスを、ウォッチメイキングを強化することで意図的に整えています」。総合的に見て、これらの立場は矛盾していない。それらは文化として高い認知を得て、それによって形作られたブランドが、今度はその高い認知を永続的なものにしようとしている姿を表しているのだ。
ファッションにおいて、Y2K(2000年代初頭)の不可解でワイルドなスタイル(下着が見えるローライズデニム、ラインストーンで飾られたパステルカラーのスウェットスーツ、ロゴで埋め尽くされたデザイナーズアイテムの数々)は今や、90年代を凌駕するほど流行っている。2000年代初頭に見られたオーバーサイズの時計は、まだ同じような形では再登場していない。しかし、そのマキシマリズムを賛歌する風潮が来ないわけがない。2000年代半ばを振り返ることは、あらゆる可能性を感じた時代を再体験したいミレニアル世代や、自分たちが生まれる直前の数年間に対して好奇心を抱くZ世代にとって新たな好奇心となっている。マキシマリズムな文化は2004年ごろから2013年に再び関心が集まったように、すでに異例なほど幅広く再評価され始めている。
今日のウブロは2000年代半ばほど遍在的なポジションにはいないが、変化する広範な好みに合わせて形を変えるよりも、論争を呼ぶことを厭わない姿勢を見せている。(編注;デザインなどを)抑制することが信頼性につながると勘違いしがちなこの業界において、最も力強いブランドとは、最も識別しやすいブランドであり続けることではないだろうか。
私たちは数十年にわたり、“ロゴの終焉”や、逆に“ステルス・ウェルス(編注;富裕層が自身の財力をひけらかさないこと)の台頭”を宣言し続けてきた。どちらか一方がより遍在的になるサイクルはあるが(通常は景気後退と関係がある)、それらは常に共存している。それらはお互いを定義し合う助けとなっているのだ。それは振り子のようなものだ。そしてオーバーサイズの時計は、その振り子が一方の端に振り切れたときのものなのである。
話題の記事
オーデマ ピゲがホワイトセラミック製のロイヤル オーク フライング トゥルビヨン オープンワークを製作し、幸運な数名はすでに手にしている
Business News リシュモンがボーム&メルシエを売却
In-Depth ウブロ ビッグ・バンの衝撃を軽視すべきではない