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2019年12月10日、僕はフィリップス ゲームチェンジャーズ・オークションの最前列に座り、ジャック・ニクラスのロレックス デイデイト、マーロン・ブランドのロレックス GMTマスター“地獄の黙示録”着用モデルにどれほど法外な値が付くのか、コレクターやディーラーと一緒になって予想していました。参加者たちは数百万ドルを71本の時計に投じましたが、一瞬たりとも熱気が衰えることはありませんでした。ところが、デイデイトが122万ドル(約1億3243万円)、GMTマスターが195万ドル(約2億1167万円)で落札された後、ある種の失望感が会場内を覆いました。誰も馬鹿げた入札をせずに、世界記録もなく、数ヵ月間盛り上がりを見せていたこれらの時計は、もはや投機対象ではなくなったのです。
いや、ちょっと待った。失望? 一体何に? この2本のロレックスは数分差で7桁ドルもの価格をつけたのです。10桁に満たなかったとか、なにがしかの記録を持たなかったというだけで、人々はがっかりしたのです。フィリップスを後にしながら、僕はこれがバカげた感覚だと思わずにはいられませんでした。100万ドル(1億円)の壁を初めて超えたロレックスの登場から10年足らずで、そこから8年の間に、僕たちはロレックスを金のなる木だと思い込み、億クラスの時計が出品されるのは当たり前だと考えるようになったのです。
それは狂気というものです。その理由はこうです。
オークションで販売される億クラスのロレックス
まずは基本中の基本から。億クラスのロレックスを語るのは、極めて少ない本数の時計コレクションを語るのと同義なのです。その数、なんと28本。もちろん累計の話です。ロレックス スプリットセコンド クロノグラフRef.4113がジュネーブで開催されたクリスティーズのオークションに出品される2011年まで、億クラスのロレックスは存在していません。その2年後、2本目のRef.4113が1億1600万円の新記録を樹立。その1本を含む2本が2013年に、1本が2014年に、2本が2015年、3本が2016年に億クラス入りを果たします。そして、2017年にはこの数が5本、2018年は8本、2019年には5本とうなぎのぼりになったのです。
ちなみに僕は公開されている情報を元にお話ししています。つまり、これらの時計はすべてオークションにて販売されていて、規約上、記録は公開され、透明性が高くなければなりません。過去数年で億超えのロレックスが個人間で取引された事実を知ってはいますが、公開情報がないので、ここでは取り扱わないものとします。メガ級のデイトナやRef.8171、カレンダー付きのRef.6062が含まれるとしても、です。
下の図は公開記録のあるロレックス のうち、100万ドル(1億円)を超えた取引の成立価格、開催地、開催年月を列挙したものになります。
億クラスの時計の作り方
上のチャートから傾向を把握することはそれほど難しくはないかもしれません。億クラスのロレックスに化けるには、いくつかの基準をクリアしなければなりません。まず、その時計がカレンダー機構かクロノグラフかで決定が違ってきます。所有歴の多寡はあまり関係ありません。そして、あなたの予想通り、希少性は最も重要な点です。その前にもう少し掘り下げてみましょうか。
1億クラスのロレックスは、
2011年までは存在しませんでした。
スプリットセコンド クロノグラフRef.4113
まず、1億の壁を最初に突破したRef.4113から始めましょう。Ref.4113は1942年に12本しか製造されなかったモデルです(市場に出回ったのはそのうち9本程度)。1942年の世界情勢を考えれば、ロレックスがマッシブな44mmSSケースの超高価なスプリットセコンドを12本作ったと聞けば、それがどんなに奇妙なことか想像できるでしょう。希少性と時代背景、人気の複雑機構、ダイヤル上に配されるロレックスの小さな王冠のコンビネーションが究極の1本を生み出したのです。
世界で最も高価な時計の数々
世界で最も高価な時計の数々について興味のある方はブラックバード ウォッチ マニュアル内のオークションで取引された70本のリストをご参照あれ。
この記事は2019年7月に刊行されたが、その後のジュネーブのオークションの結果を受け、早くも更新された(パテックのグランドマスター チャイムが上図に示されているのはそのためだ)。
億クラスの28本中4本はこのRef.4113ですが、これにはちょっとしたカラクリがあります。フィリップスが2019年11月に約2.1億円で販売した個体は、2011年にクリスティーズで販売された個体と全く同じなのです。面白いことに、この個体はオークションに過去3回も登場しています。初代オーナーの未亡人が、億には遠く及ばない額で1991年にクリスティーズで販売して以降、次の大波が訪れるまでに20年かかりました(一方で別のRef.4113は数千万円台で取引されました)。
これらのモデルを実際に目にする機会は、ほとんどありません。大半の人々、熱狂的なコレクターですらそうであり、これらの時計は伝説上のものと言っても過言ではないでしょう。しかし、僕たちは幸運にもこの数年で2本のRef.4113にお目にかかることができました。1本目は、2013年のTalkingWatchesのジョン・ゴールドバーガー氏のエピソード内で氏が腕に巻いていた個体、2本目は2016年ドバイのさるコレクターがリストショットした個体です。Ref.4113はまさにメガ級の腕時計の典型で、入手しようと思えば価格は天井知らずというのも納得できるでしょう。
カレンダー付きモデル(Ref.8171と6062)
ロレックスは20世紀半ばにトリプルカレンダー ムーンフェーズ機構を搭載したRef.8171とRef.6062を製造しました。Ref.8171はオイスターケースではなく、6062はそうでした。前者はやや大きい38mmケースでしたが薄型で、後者は36mmと小ぶりでデイデイトのような見た目でした。いずれのモデルも収集価値が極めて高く、モデルに関する知識が広まり、多くの個体が市場に出回るようになってきているので、認知度も人気も高まっています。
あくまで比較論ですが、これらのモデルは希少であるものの、数本レベルではなく数千の個体があります。難しいのは、遍歴が分かる書類付きでコンディションの良い個体を見つけることなのです。どちらのモデルも中程度のコンディションで4桁万円ものプライスとなるため、修理が必要なものや部品を他から持ってきたような個体を掴まされることは避けたいでしょう。億クラスとなると特別な付加価値が加わります。3000万円の時計の新品同様品でもそこまでの値はつきません。具体的には、SSケース(文字盤にダイヤがセットされるか否かには左右されません)、ゴールドケースの“ステリーネ”(星形のアワーマーカーを指す)、そしてベトナムの最後の皇帝“バオ・ダイ”特注のRef.6062が該当します。
もし、詳細について知りたいなら、HODINKEEマガジンVol.4をご覧ください。Ref.8171が脚光を浴びるようになった経緯、入手できる可能性についての素晴らしい記事をベン・クライマーが書いています。
デイトナ
さて、ここで億クラスのロレックスの本流というべきモデルに触れましょう。デイトナは過去10年間で極めて高い人気を誇っており、ヴィンテージロレックスで収集すべき対象として認知されています。デイトナに関する書籍も充実しており、多くの切り口でオークションが開催され、最も高値のついた1本がこのモデルの中に存在します。
億クラスのロレックス28本中、
なんと12本がデイトナなのです。
デイトナ ポール・ニューマンモデルが1000万円程度で買えたのは、そんな昔のことではありませんが、そんな日はもう来ないように思えます。億クラスのロレックス28本中、なんと12本がデイトナなのです。生産本数が多いというのもひとつの理由ですが、億クラスの中で 最もバラエティに富んでいます。”RCO”デイトナ(12時位置に上からROLEX/COSMOGRAPH/OYSTERと表記があるもの;通常はROCの順に表記される)は、ただ単に希少であるという理由で高値で取引されています。また、18KWG製デイトナ・通称ユニコーンのような完全に一点モノも存在します。さらに、その来歴によって価値の高まる、ポール・ニューマン氏所有のポール・ニューマンモデルのような存在もあります。
とはいえ、デイトナの高騰はそろそろ現実路線に戻りつつあることは、特筆すべき点です。デイトナが(2019年12月時点で)公式で最後に億超えで取引されたのは、デイトナ・アルティメイタム・セールが開催された2018年5月に遡ります。その日1日で5本すべてが億超えで取引され、その中に”RCO”と18KWG製の“ユニコーン”と呼ばれるデイトナも取引されました。それ以降はデイトナ全般の価格も落ち着き、億超えのRCOを例に挙げれば、もはやその価格では取引されていません。そうした中で、次の億超えのデイトナを予想するのは楽しいものです。
所有遍歴
これぞ最も掘り下げるのが難しい分野です。なぜなら、これらの時計の値付けの大半は目に見えない、定量化することが難しい感情によって左右されるからです。一般に、ヴィンテージ・ロレックスの収集カタログの定番ともいうべき、デイトナ ポール・ニューマンモデルの、まさにポール・ニューマン氏が所有した個体を、時計コレクターがどう捉えても、それを定量化、あるいは誰かがその時計に支払う額に対して批評することは不可能なのです。これは、Ref.6062“バオ ダイ”に歴史的価値と審美的価値、ジャック・ニクラスやマーロン・ブランドが所有した時計の価値を高騰させた熱狂的ファンの存在についても同じことがいえます。
これらの時計の未来や市場がどうなるかを予想することは、率直に言って不可能なのです。デイトナ ポール・ニューマンモデルの価値を凌ぐ別のロレックスが存在するなんて想像できません。とはいっても、論外というわけでもなさそうです。
はみ出し者たち
億超えの28本中8本は、上述したカテゴリからはみ出た時計たちです。これらは2014年のクリスティーズで販売された、カレンダーなしのクロワゾネ・エナメルダイヤルのRef.5029/5028と、2018年に同じくクリスティーズで約1.18億円で販売されたサブマリーナーの2本です。まさに究極の希少性に加え、過熱した市場の賜物といっていいでしょう。
エナメルダイヤルをロレックスが1940〜50年代にわずかしか生産できなかったのは、それぞれが手作業によるものだったためでした。当時の流行の最先端であった懐古主義であり、同じ価格が今日つくかといえば自信がありませんが、希少であり、なんといっても特別な時計なのです。
一方で、サブマリーナーは今の時代、莫大な値が付く類の時計だと思います。最も重要なことは、この時計がスティール製のスポーツウォッチであり、その中でも希少であるという点です。僕はこの時計以外に、デカリューズを持つサブマリーナーRef.6538で、エクスプローラーと同じダイヤルを持ち防水性能を赤字で記した個体を見たことがありません。また、この時計にブレスレットとなぜかベゼルが付属しない状態でクリスティーズに持ち込まれたことが、ネガティブな評価どころか、この個体に一層の神秘性を纏わせているのです。まさに、「他に同じものが見つからない」という極論の典型的な例といえそうです。
熱狂の日々は過ぎ去った
これまでのことをすべて念頭に置いて、2019年12月10日の落札結果を振り返ると、僕はただひとつの結論に達します:誇張が事実となることです。このことが信じられないとしたら、もう少し考えてみてください。オークションハウスというのは、時計に関するマーケティングに日々研鑽を重ねており、ブログ記事をリリースしたり、プロモーション動画を作成したり、昼間のテレビニュースで紹介したりするわけです。僕たちは、時計マニアが手紙(郵便)でカタログをリクエストして、ルーペで時計を精査するような時代には生きていないのです。
それはそれで良いと僕は思います。時計がより身近なものになりますし、効果的に宣伝でき、大衆向けになるからです。また、騙される心配もなくオークションハウスが時計収集に専念できる場にもなります。僕はこれについて全く異論はありません。
もし落札結果が前評判を下回ったとき、
人々は不安を覚えます。
マーケットが弱気に転じたのか?
時計は投資対象として適切なのか?と。
僕が問題だと思うのは、それを指揮する側が前評判を制御不能に陥らせてしまった瞬間です(周りくどい暗喩で恐縮です)。あるケーブルテレビ番組が、販売前のマーロン・ブランドのGMTマスターについて、ショートクリップをオンライン配信した際に、「マーロン・ブランドが着用したロレックスは史上最も高価な時計に?」というヘッドラインテロップを付けてしまいました。もちろん、その可能性は否定できませんが、かなり無理のある表現です。なぜなら、その称号を得るためには、M.ブランドのGMTマスターはポール・ニューマン氏が所有したデイトナ ポール・ニューマンモデルの20億円、パテック・フィリップのグランドマスターチャイムの34億円を上回らなければならなかったからです。フィリップスの会場にいる人々に上記のいずれよりも価値が高いのかと尋ねたところで、肯定的な回答を得ることはまずないでしょう。
誇張した宣伝文句(正確な表現ではありませんが)を書いた誰かを非難することもできますが、問題の根っこはもっと深いところにあると僕は考えています。それは、オークションハウスが、オークション開催の度に最高額が更新されることに慣れっこになった、コレクターやメディアを利用したことです。彼らが提示する落札予想額は実際の取引額よりずっと低く見積もられているため、参加者はそれを完全に無視し、憶測に頼るのです。新しく、注目に値すべき品は数ヵ月おきに何の前触れもなく突如現れ、史上最も素晴らしい時計として喧伝されます(もちろん、前回の記録以来の)。この狂想曲に人々を惹きつけておけば、オークションは注目され続け、大物を得ようと大金を払うバイヤーに投資をする気にさせることができるのです。ビジネスモデルとして秀逸なものです、これまでのところは。
もし落札結果が前評判を下回ったとき、人々は疑心暗鬼に悶えます。マーケットが弱気に転じたのか? コレクターはトップクラスの品にもはや興味を失ったのだろうか? 時計は投資対象として適切なのか? と。これは時計収集という分野を消滅させるようなムードで、新参者がこの世界に足を踏み入れることを躊躇させるものです。ヴィンテージ・ロレックスを時計収集の中のサブカテゴリにまで昇華させたのは、知識量や収入に差があってもあらゆる層を惹きつける魅力があるからです。30万円の予算しかない人も、3000万円投ずることのできる人も、時計に関する学識のある人も、ただ単にクールな時計を身に着けたいと思う人にもヴィンテージ・ロレックスというのは、ぴったりハマるわけです。
非現実的な価格、根拠なき憶測など、狐と狸の化かし合いが市場をかく乱するようになると、それがわずかな数の時計に関することであっても、時計市場全体にダメージを与えるのです。一方で、平常心と客観性は市場全体に良い影響を与えますが、それは僕が思うに市場のトップ層から波及しているのです。
断っておくと、僕は特定の誰かや、団体に非があるとは思っていません。多くの人が長年にわたって、数多くのプロモーションを実施してきましたが、その動機の多くは健全なものです。今、僕たちが立たされているのは、毎回の新記録誕生が当たり前だという雰囲気なのです。僕たちはもう少し冷静さを取り戻して、2本の類稀なる所蔵歴を誇るロレックスが天文学的な落札額に達しなかったことにガッカリする代わりに、時計の価格というのは未だ水モノであること、そのことで時計収集に興味が深まり、多くの人々をこの趣味に惹きつけることに価値を見出すべきでしょう。
未来予想図
さぁ、いよいよ無謀な予想についてお話しするところまで来ました。僕は占い師でもなければ、時計版秘密結社からの内部リークもありませんので、時計収集の未来とオークションの有り様に確たることは言えません。それでも、見通し程度はできると思いますので、ちょっとお聞きください。
億クラスのロレックスの時代はまだまだ続くと思います。まだ多くの時計たちが未発見で、そのことをコレクターたちは待ち焦がれていると思います。例えば誰かが、ミントコンディションのブラックダイヤルのSS製Ref.8171を掘り起こしたとします(あくまで例え)。あるいはジェームズ・ディーンが所有していたサブマリーナーの上に座っていたことに気づいたら? はたまた、ロレックスの工場から門外不出のはずの珍妙なプロトタイプを発見したとしたら? そういう時計はきっとドル箱であり続けるでしょう。
億クラスのロレックスの時代は
まだまだ続くと思います。
でも、“希少な”デイトナの黄金期は
今や終わったといえるでしょう。
億クラスの”希少な”デイトナの黄金期は今や終わったといえるでしょう。1億円の近傍に集中していたデイトナの上位層の価格が、既に下降トレンドにあることを確認しています。RCOデイトナは2019年5月のフィリップスでは7千万円程度まで値を下げましたし、ゴールド製のデイトナ ポール・ニューマンモデルも同様です。もちろん、激レアな時計が現れて僕の間違いを証明することがあり得ないと言っているわけではありません。それでも、特定のジャンルのデイトナが1億円付近でトレードされるのは、今は昔です。
珍妙でワイルドなロレックスはその真価が認められつつあります。過去一年ほどで、億クラスのロレックスのほとんどは、所有遍歴が明らかであるか、非常に珍しく、普通ではない時計でした(数百本どころかほんのひと握りの時計の話ですが)。今後は市場の流動性に挑戦するような、珍しい時計が続々と現れると思います。僕としては、成長性の余地があるサブマリーナーやGMTマスター、デイデイトのバリエーションが増え、ハイエンドのロレックス収集が、お決まりのモデルから次のステップに移ることを期待しています。
結論として、僕は億クラスのロレックスの存在を歓迎しているのです。数十年前に製造された大量生産の腕時計に対し、マーケットで破格値がつくと考えるなんて正気の沙汰ではありません。それが現実になる度に、時計収集自体の底力の証となり、新たな信徒を獲得してしまうのです。また、それはトップクラスのコレクターの学識と熱狂の証明でもあります。つまり、それは時計の魅力の証なのです。