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Magazine Feature COLLECTIBLE 世界が注目する“静かなる情熱”を秘めたグランドセイコー(前編)

“真面目”や“誠実”という文脈で、その魅力を語られることが多いグランドセイコー。かつての魅力の中心にあったのは、確かにそうした側面であったかもしれない。だが、この時計の魅力とは、果たしてそれだけだろうか? 今、世界でグランドセイコーの存在感がかつてないほどに増している。本稿ではコレクティブル(Collectible)、すなわち収集価値という視点から国産最高峰ウォッチが持つ本当の魅力にスポットを当てる。

HODINKEE Japanでは2025年9月29日(月)から10月5日(日)の1週間、日本の時計ブランドや市場に焦点を当てたJapan Watch Week 2025を開催している。このウィークのために用意した新規取材記事やマガジン限定で公開していた記事、編集部員による動画企画まで、サイト上で毎日配信していく予定だ。すでに公開されたコンテンツについてはこちらから確認して欲しい。

本記事は、2024年12月に発売されたHODINKEE Magazine Japan Edition Vol.9に掲載されたものです。Vol.9は現在、Amazonなど各種ネット書店にてご購入いただけます。HODINKEE Magazine Japan Editionの定期購読はこちらから。


精度追求のなかで生まれたレアピースたち

グランドセイコーが誕生したのは、今からさかのぼること64年前の1960年。“世界最高峰の腕時計を作り出す”、グランドセイコーはそんな作り手たちの思いを乗せて生まれた。輸入時計の卸業と小売業を主な事業とした服部時計店(1881年創業)を祖とするセイコーは、1895年に初の懐中時計、1913年には国産初の腕時計の製造を開始。そして1924年には初めて“セイコー”の名をダイヤルに冠した腕時計を世に送り出した。以降、セイコーは国内の時計産業をけん引する存在として技術力と製造能力を高め、1930年代のころには名実ともに日本を代表する時計メーカーのひとつとなった。 

 国内では誰もが知る時計メーカーとなったセイコーが、それまで培ってきた時計技術の粋を結集し、当時高級腕時計の代名詞とされていたスイス製の腕時計に挑戦するべく作り上げたブランドこそ、前述のグランドセイコーだ。“世界最高峰”を目指すにあたり、グランドセイコーでは高い時間精度、見やすさ、使いやすさ、そして耐久性といった腕時計の本質を追求したが、特に力を入れたのは精度だった。

 1956年にセイコーは世界と肩を並べるべくつくり上げた、最も高い精度を誇った諏訪精工舎製造のマーベルを発表した。これは国産初となる11・1/2リーニュ、約26mm径という大ぶりなムーブメントサイズを採用することで精度、生産性、整備性の向上を追求したモデルで、1957年に実施された米国時計学会日本支部の精度コンクールでは、男性用腕時計として初めてスイスなどの外国製品を抜いて1位にランクインした。この名作を源流とし、ムーブメントサイズを約28.2mm(12・1/2リーニュ)とさらにひと回り大型化してテンプ性能も向上させたクラウンをベースに、さらなる高精度化を図って生まれたのが、初代グランドセイコーだ。その由緒にたがわず、初代グランドセイコーは優れた精度を実現。国産としては初めてスイスのクロノメーター検査基準優秀級規格に準拠した時計として1960年12月18日に発売された。

 初代グランドセイコーは1960~1964年ごろ、カレンダーを搭載した2代目グランドセイコーが登場するまでの約3年間つくられた。その製造数は一説によると3万6000本ほどとされる。マーベルが同じく3年で166万本ほど作られたとされることから考えると異例の少なさだが、現在でもマーケットにはそれなりの数の時計が残されており、時計愛好家たちから高く評価されている。そんな初代グランドセイコーのなかで、静かなる存在感を放つのがプラチナケースモデルだ。初代グランドセイコーは基本的にゴールドフィルド、80ミクロンの14金張りケースで作られたが、一部にプラチナケースを使用したモデルが存在している。

1961年発行の業界誌『国際時計通信』に掲載されたグランドセイコーの広告。“日本の時計から世界の時計へ”のキャッチフレーズと共にスイスクロノメーター規格と同じテストを経ていることを訴求し、魅力をアピール。

実はプラチナケースモデルは時計としては存在しているにもかかわらず、発売に関する確固たる証拠が長年見つからなかったため、セイコーファンたちのあいだでも謎の存在となっていた。だが、本誌で何度も取材に協力いただいているヴィンテージウォッチディーラーの本田義彦氏が2010年ごろ、時計販売店向けに作られた1963年度版の定価表にプラチナケースモデルの小売価格が14万円と記載されていることを発見した。これによってこのモデルが実際に販売されていたことが明らかとなったのだ。当時の上級国家公務員(いわゆるキャリア)の初任給が1万2000円とされた時代に、14金張りケースのグランドセイコーが2万5000円(当時)であったことを踏まえると、プラチナケースモデルは破格の高級品であったことがうかがえる。

 だが、このモデルには今もなお謎が残る。たとえば、その製造本数だ。歩度証明書などでわかるのはムーブメントの機械番号などであって、外装に関する情報は記載されることはなく、一体どれほどの本数が作られたかは付属の書類ではわからない。これはあくまでも前述の本田氏が関係者から口頭で聞いた話だそうだが、発売当初は100本ほどしか作っておらず、100本ロット単位で3年の製造期間を見込んでもトータルで300本程度ではないかと推測している。グランドセイコーの公式情報でも“ごく少数のみ”ということしかわかっておらず、その詳細はいまだ不明のままだ。

 ディテールにも謎は多い。初代グランドセイコーではケースバックのメダリオンやリューズなどに製造時期によるものと思われる違いがあるが、特に顕著なのはダイヤルのブランドロゴだ。本田氏の研究からわかったこと(公式情報ではない)だが、大別すると、プリントロゴと彫刻ロゴ(標準型と後期型)、そして浮き出しロゴ(前期型と後期型、そしてSGP硬質金メッキないしはロジウムメッキを施したAD=Applique Dialタイプ)の3タイプが存在する。これはプラチナケースモデルにおいても同様だ(ただし、プラチナケースモデルではプリントロゴ仕様は今も確認されていない)。付け加えると、プラチナケースの素材にはプラチナ900の前期型と950の後期型の2種類ある。こうしたディテールの違いも、初代グランドセイコーのコレクション性をさらに高めている。

とあるコレクターが所有する初代グランドセイコーのプラチナケースモデル。ダイヤルは前期型の浮き出しロゴ仕様。箱や歩度証明書なども残った極上のコンディション。喉から手が出るほど欲しい人も多いだろう。

 初代グランドセイコー以降も、セイコーは開発の軸に高精度の追求を置いた。その最たる例は、天文台クロノメーター検定合格モデルであろう。製造本数の少なさでいえば、その希少性は初代グランドセイコーのプラチナモデルをも上回る。

 前述のとおり、初代グランドセイコーは国産として初めてスイスのクロノメーター検査基準の優秀級規格に準拠したモデルである。しかしこれはスイスのクロノメーター検定を実際にクリアしたわけではなく、それと同等の精度基準を満たしたにすぎない。そこで、セイコーにおける次なる目標となったのが、実際に世界的に権威のあるスイス天文台クロノメーターコンクールに出品し、そこで結果を出すことだった。

 スイスでは古くからヌーシャテルとジュネーブの両天文台で精度コンクールを行っていた。本来、この精度コンクールはスイス製の時計の精度向上を目的としていたもので、当初は天文台が属する州の時計製造業者だけのためだったが、のちにほかの州、そして外国にも開放されるようになる。たとえば、ヌーシャテル天文台の精度コンクールに国外メーカーが参加できるようになったのは1959年のことだ。天文台コンクールの審査を受けて合格したものにクロノメーターの称号が与えられ、そのなかでコンクール規定が決める一定点以上の点数を得たものが“天文台コンクール入賞”の栄誉を得ることができる。これを受けて、セイコーは1963年からヌーシャテル天文台コンクールに参加した(のちにジュネーブ天文台コンクールにも参加)。

1967年にヌーシャテル天文台コンクールに出展されたムーブメント。当時の最先端技術と技能をもって、企業賞部門で2位・3位を獲得した。ムーブメント写真下の画像は、1967年に入賞した際に発行された証明書だ。

 コンクール用のムーブメントは市販品とは異なり、素材も設計も特別仕様であったが、グランドセイコーは天文台コンクールで得たノウハウや技術をいち早く製品にフィードバックした。それが1968年に発売された自動巻きの61GS(Cal.6145搭載)と手巻きの45GS(Cal.4520搭載)だ。これらはともにセイコー初の3万6000振動/時、すなわち10振動のハイビートムーブメントを搭載しているが、高振動の実用化こそ、天文台コンクールでの上位独占に寄与した技術だ。ただし、天文台に出品されたムーブメント(R-67)は、15&20振動とさらに高振動だったことを付け加えておきたい。セイコーはこの技術を量産モデルに転用。手巻きの45GSに搭載した量産ムーブメントのCal.4520に特別調整を施して、ヌーシャテル天文台のクロノメーター検定に出品。合格したムーブメントをケースに収めて発売した。それがくだんの天文台クロノメーター検定合格モデルというわけである。

 ヌーシャテル天文台コンクールは1967年を最後に、そしてジュネーブ天文台コンクールも1968年以降は開かれることがなくなってしまうが、天文台でのクロノメーター検定とその認定は継続して行われた。セイコーは1968年に103個のCal.4520をクロノメーター検定のためにヌーシャテル天文台へ提出し、そのうち73個が認定された。そして1969年に30個、70年には150個をテストのために提出し、前者は25個、後者は128個と計153個が検定をパス。こうしてセイコーは、226個の天文台クロノメーター認定を受けた。当時、こうした天文台テストに出品されるのは、認定されることだけを目的とするような専用機が少なくないが、驚くべきは量産ムーブメントに調整を施したものということであろう。

 なお、この天文台クロノメーター検定合格モデルのなかでも、最初に認定を受けた1968年のムーブメントを用いて73本だけ発売されたモデルには特別調整したCal.4520をそのままの番号で搭載、これ以降に発売されたモデルにはCal.4580のナンバーが与えられ、専用の仕上げが施された。前者を前期モデル、後者を後期モデルと呼ぶが、合わせても226個しか天文台クロノメーター検定に合格したムーブメントは存在しないため、いずれもきわめて希少である。なお、18金無垢ケースはRef.4520-8020/45GSNとして18万円で、SSケースはRef.4580-7000/45GSVFAとして10万円(ともに当時の価格)で販売された。

 精度は言わずもがな、この天文台クロノメーター検定合格モデルは外装においても目を見張るものがあった。たとえば、18金無垢モデルのダイヤル(下写真)にはリネンテクスチャパターンが採用され、ケースには金槌を打ち付けたような槌目(つちめ)模様が施されている。ちなみにSSモデルのダイヤルはこのような凝ったパターンのダイヤルではない。天文台クロノメーター検定合格モデルを筆頭に、当時の超高級ラインにあたるモデルには手の込んだ外装仕上げが見られた。手仕上げで小さな槌を表面に当てこのような凹凸のある面に仕上げることで、国産の最高級品にふさわしい外装や仕上げの美しさも与えようとしたのではないだろうか?

こちらもコレクターが所有する、きわめてコンディションのよい天文台クロノメーター検定合格モデル。経年でケースの変色やダイヤルに焼けのある個体が少なくないが、本モデルは貴重な当時の姿を今に伝える。


精度の頂点を極めた機械式グランドセイコー

1969年、セイコーにおける機械式の精度追求は頂点に達した。その集大成といえるのが、グランドセイコー V.F.A.である。

 初代グランドセイコー(1960年)が5姿勢で平均日差-3秒から+12秒というスイスのクロノメーター基準を達成したことで、セイコーは1966年にこれよりも厳しい独自の精度基準であるグランドセイコー(GS)規格を導入した。このGS規格を満たすモデルは、平均日差-3秒から+6秒(携帯日差)という精度を実現したが、GS規格のさらに上をいく精度基準を定義した規格があった。ひとつはGSスペシャル規格、そしてもうひとつの規格がGS Very Fine Adjusted(V.F.A.)規格だ。

 前者は平均日差-3秒から+3秒というもので、自動巻き10振動の61GSをさらに入念に仕上げて、61GSスペシャル(1970年)として発売された。一方、後者のV.F.A.規格はこれよりもさらに厳しい平均日差-2秒から+2秒。さらにV.F.A.規格の時計は購入後2年間、月差1分以内の精度を保証するという特別なもので、“グランドセイコー特別調整品”と名付けて発売された。V.F.A.は機械式腕時計としての正確さを極限まで追求したまさに超高精度モデルだった。

希少な61GS V.F.A.、通称“銀パラ”のブレスレット仕様。精度を極めたグランドセイコーが外装、ブレスレット一体のデザインなど、精度以外のさらなる魅力を模索していたことを物語るもので、資料的な価値も高い。

 セイコーが提供する腕時計のラインナップや特徴、仕様などを網羅的に紹介したセイコーウオッチカタログなどのさまざまな資料を見る限り、V.F.A.は1969年から1974年まで製造されていたことがうかがえる。ラインナップは主に3つ。10振動の自動巻きムーブメントを搭載した61GSV.F.A(デイト付きがCal.6185、デイデイトモデルはCal.6186を搭載)、10振動の手巻きムーブメントを搭載した45GS V.F.A(Cal.4580のみ)。これらはともに1969年に登場。そして1972年に女性用として発売された19GS V.F.A(Cal.1984を搭載)もある。

 カタログにはいくつものダイヤルバリエーションが散見されるために数多く製造されたかのように錯覚するが、V.F.A.はきわめて厳格な精度規格と品質管理のもと、特に選ばれた専門の技術者がその高度な技術を持って入念に組み立て・調整を行うことで最高精度を達成した最上級モデルである。どれほどの数が作られたのだろうか? 前出の本田さんに話を聞くと、市場で比較的見ることができるため、それなりの数が作られたのではないかと推察されるが、具体的な製造本数がわかるような公式な資料は公表されておらず、実際の正確な数字は不明だ。

 このV.F.A.にも希少なモデルが存在している。単純な珍しさだけでいえば、女性向けの19GS V.F.A.は希少なモデルのひとつだ。1972年登場と、V.F.A.の製造期間からすると後発のモデルであり、市場でもそうそう見られるものではない。しかしながら、なんといっても愛好家たちが最も熱い視線を注ぐV.F.A.のレアピースといえば、過去のカタログにおいて61GS V.F.A.の6185-014 AAPC、および6185-024 AAPCとして紹介されていたパラジウム合金モデル、通称“銀パラ”である。カタログには当時の価格も記載されており、ブレスレット仕様の6185-014 AAPCは25万円、レザーストラップ仕様の6185-024 AAPCは17万円の値付けがされていた。先の天文台クロノメーター検定合格モデルの18金無垢ケース(Ref.4520-8020/45GSN)は18万円であり、それと並ぶほどの最高級品として作られたようだ。

こちらは“銀パラ”のレザーストラップバージョン。ダイヤルデザインなどは前掲のブレスレット仕様と同じだが、ケース両サイドの仕上げが明らかに異なり、当時の金無垢モデルなどに見られた、金槌を表面に当てたような凹凸のある槌目仕上げにも似た、キサゲ仕上げが施されているのがわかるだろう。

 呼び名の由来にもなっているが、本モデルにはケース素材にシルバーとパラジウムによる合金(なお、ケースバックにはPALLADIUM 400、SILVER 300との記載がある)が使用されている。その正確な組成ははっきりとわかっていないが、一般的にシルバーとパラジウムの合金は軽くて柔らかく加工しやすい素材でありながら、錆びにくく化学的に安定した汎用性の高い金属とされている。たとえば、銀歯に使用されるのもパラジウムとの合金で、長期間の使用にたえられる素材として使われている。素材の珍しさはもちろんのこと、“銀パラ”をさらに希少なものとしているのが、製造期間の短さである。確認されている個体のシリアルナンバーから“銀パラ”は、1968年12月にのみ製造されたものであることがコレクターたちの研究でわかっている。

 V.F.A.はカタログ初期に掲載されているものを見る限り、ダイヤルにV.F.A.のプリントが見当たらない。1971年のカタログからそういった個体が見られるようになるため、このあたりからダイヤルにV.F.A.の文字がプリントされるようになったようだ。また“銀パラ”に関して興味深いのはケースの仕上げである。本稿で掲載した個体もそうだが、“銀パラ”が掲載されたカタログの画像を含めて現物を確認する限り、ブレスレット仕様のケースサイドはポリッシュ仕上げ、レザーストラップ仕様にはキサゲ仕上げ(“キサゲ”と呼ばれるノミ状のスクレーパー工具を用いた表面加工法)が施されている。これが一体どのような経緯で作られたかは判然としない。

 なお、本稿では付属品までそろったミントコンディションのふたつのV.F.A.、すなわち手巻きの45GS V.F.A. 4580-020と、自動巻きの61GSV.F.A. 6185-030(短針、立体インデックス、V.F.A.プリントあり)の写真を掲載しているが、最高級品とはいえ、実用時計として販売されたグランドセイコーにおいてほぼ未使用状態で見つかることはきわめてまれなこと。歴史を今に伝える貴重な存在である。

 まさに機械式の精度追求の頂点を極めたと言っても過言ではないグランドセイコーであったが、悲しいかな、このV.F.A.を最後に機械式グランドセイコーの灯(ひ)は、歴史から一度消えてしまう。1975年のカタログ掲載を最後に機械式グランドセイコーは姿を消し、“グランド”の名は当時の最高峰モデルとして発売されたグランドクオーツに引き継がれた(ただし公式サイトなどを見るとわかるが、グランドクオーツはグランドセイコーには分類されていない)。

 精度追求のなかで生まれたヴィンテージのレアピースを紹介したが、その魅力は決して高精度だけではない。ここで掲載した個体には、いずれも素材や細部の仕上げ、そして細かなデザインやディテールなどから、細やかな配慮や最高峰の時計を生み出そうとする作り手の思いがひそかに感じられる。そう、グランドセイコーの魅力は決して優れた精度だけではなく、手にする者の感情に訴えかけるような静かだが確かな作り手の思いが垣間見えるところにある。それは復活を遂げて以降のグランドセイコーにも引き継がれており、それこそがいまやグローバルブランドとして確固たるポジションを築くに至った、現代のグランドセイコーにおける成功の鍵にもなっている。

45GS V.F.A. 4580-020(コレクター所蔵品)

自動巻きの61GS V.F.A. 6185-030(コレクター所蔵品)

後編に続く。

Photographs by Jun Udagawa, Styling by Eiji Ishikawa(TRS)