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本稿は2021年3月に執筆された本国版の翻訳です。
Lead image: Antonio Olmos
50年前の今月、深い憂鬱に沈んでいたレナード・コーエン(Leonard Cohen)は、3枚目のスタジオアルバム『Songs Of Love And Hate/ソングズ・オヴ・ラヴ・アンド・ヘイト(邦題:愛と憎しみの歌)』を発表した。1969年の『Songs From a Room/ソングス・フロム・ア・ルーム』から2年が経過していたが、コーエンの長いキャリアを通じてしばしば見られるように、批評家たちは彼の音楽を一般的なポップソングの形式にうまく当てはめることができなかった。コーエンは脆弱さと憧れをとおして祈りの光を放つまれな神聖な存在か、ローリングストーン誌が無作法に主張したように“ストリートで踊らせることのない”葬送歌を書く人物のどちらかであった。
『ソングズ・オヴ・ラヴ・アンド・ヘイト』はその路線を貫いた。スパニッシュギターのふわりとした音色の上に、36歳のコーエンは自己非難と精神的苦痛で頭を垂れ、震える孤独と人間の演技の残酷さを詳細に描いている。彼のガラガラとしたバリトンボイスは、リバーブ(残響)に包まれ、聖書のアララト山や地球の中心などまるで遠くから歌っているかのように響く。
『ソングズ・オヴ・ラヴ・アンド・ヘイト』は憂鬱で自由で神秘的なアルバムである。そしてコーエンが全編をとおして何度も自問しているように思える、“今、何時だ?”というひとつの問いがこの作品を支えている。
ふたつのトラックが時計の針を縁取る。“ドレス・リハーサル・ラグ”ではコーエンが“午後4時、あまり気分がよくなかった”と厳かに始める。3曲後の“フェイマス・ブルー・レインコート”はファンにはおなじみの叙事詩的ナンバー(コーエン自身は満足していなかったとのちに述べている)であり、“午前4時、12月の終わりに/今書いているのは君の調子を知りたいから”と歌っている。
コーエンが沈んだ気持ちで座って歌詞を書き始め、タバコを脇に置き、その瞬間を記念するために腕時計を見つめる姿が想像される。『ソングズ・オヴ・ラヴ・アンド・ヘイト』の歌詞を書いているときに、彼がどんな時計をつけていたのかは知る由もないが、彼の伝説が大きくなるにつれて、それが公になるようになった。
1980年代後半、コーエンはカボットの軍用時計、特にCWC G10モデルを好んでいた。夜間の視認性に優れる、黒いダイヤルに白い数字は夜の密会をテーマにした彼の作品にふさわしい。1992年にはビクトリノックス・スイスアーミーの時計を着用している姿をメキシコ人フォトジャーナリスト、アントニオ・オルモス(Antonio Olmos)氏に撮影されている。記事のトップにあるその写真はコーエンの最も有名なポートレートのひとつであり、オルモス氏はこれが自身のキャリアを“新たなレベル”に引き上げたと述べている。よく見ると、その写真が撮影された時間は4時である。
何時だ? 特定の時間を歌詞に書くことで、コーエンの曲は1日の見慣れたスケジュールに閉じ込められる。例えば、“フェイマス・ブルー・レインコート”の歌詞を午前4時に定めたのなら、その15分前の午前3時45分には何をしていたのかと考えるかもしれない。一方で時計の時間が宣言されていても、決して曲は動かない。歌詞は過去と未来、驚きと記憶の内なる領域、友人や敵の想像上の行動に向けられている。時間は遅くなったり速くなったり、飛び跳ねたり完全に止まったりする。彼が1920年代の詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカ(Federico García Lorca)の書いた“すべての時計は私たちを欺く。時間には地平線がある”という言葉に共感するのも、容易に想像できる。
星を眺めることで大空に思いを馳せるように、一瞬の出来事も時間の広がりを意識せざるを得ない。どれだけ個人的な経験によって重みが増したとしても、長い時間の流れのなかのひとつに過ぎないのだ。コーエンのように分を数えることはできるが、秒針の滑らかな動きは、過去や未来において、自分が子どもだったころや自分の子どもが年老いたとき、さらに遠い昔の人類や火星で夏を過ごす未来の子孫とつながるのである。
一瞬の出来事も時間の広がりを意識せざるを得ない
『ソングズ・オヴ・ラヴ・アンド・ヘイト』では、コーエンが古代ローマの闘技場で戦うライオンとキリスト教徒、16世紀ヴェネツィアの高利貸しの娘、バスティーユ襲撃の革命行進を描き、終曲“ジャンヌ・ダルク”では彼女の火刑の瞬間を描いている。これらの歴史的瞬間は、コーエンの巧妙な技術によって暗示され、再構成されている。この手法は興味深い効果をもたらす。“ドレス・リハーサル・ラグ”で歌手が、午後4時にあまり気分がよくなかったと述べたことを考えると、聞き手は、ジャンヌの火刑が始まった時間や、シーザーがコロシアムに入った時間がいつか思い浮かべるかもしれない。こうした考えが始まると、どこに導かれるかわからない。今朝恋人が出発したのは何時だったのか、次の地震はいつ起こるのか、医者が私の誕生を告げたのはいつか、私が死ぬのは何時かといった疑問が浮かんでくる。
一瞬から壮大なものへ、崇高なものから世俗的なものへと広がりを感じることができる。おそらくコーエンが『ソングズ・オヴ・ラヴ・アンド・ヘイト』の“ラブ・コールズ・ユー・バイ・ユア・ネーム”内で“時間と時代の狭間で”迷っていると歌ったのは、こうした感覚を伝えたかったからだろう。特定の時間においてそのときの自分、その瞬間は時代の形をなぞっている。時間を知ることはできるが、同時に自分を形づくるその時代も感じるのである。
1992年のアルバム『The Future/ザ・フューチャー』のリリースに際して、プロモーション材料には青いハート、ハチドリ、開いた手錠のイメージをあしらった腕時計が使われていたが、まさにうってつけだった。このアルバムは広島の壊滅、天安門広場の暴動、ベルリンの壁崩壊などの世界の大きな出来事に向き合っている。表題曲は“世界が混乱し、秩序が崩壊する”と予言している。それでもなお混乱と歴史の猛攻のなかで、コーエンは何が起こっても時計を身につけることをすすめているのだ。
コーエンの時間管理には、もうひとつ大切な要素がある。
『ソングズ・オヴ・ラヴ・アンド・ヘイト』は商業的に失敗し、コーエンのレーベルは彼を契約解除の候補にした。彼の鬱はさらに深まり、のちに彼は“混乱し方向性を見失った”と語っている。彼には新たな解決策が必要だった。そしてすぐに見つかった。1973年、彼はロサンゼルスを拠点に活動していた禅師、佐々木承周と出会い、仏教の学びを始めた。彼らの関係は20年以上続き、『ザ・フューチャー』がリリースされた2年後の1994年、コーエンは佐々木が経営するマウント・バルディの僧院に移り住み、ほぼ毎日座禅を組むようになった。彼は最終的に僧侶としての名を授かり、“ジカン(自閑)”という僧名を得た。この名は“高貴な沈黙”を意味する。
5枚のスタジオアルバムを発表したあと、コーエンは2016年に亡くなった。どこかで彼が身につけていた時計が今も動き続けている。その時計は1日に2度、必ず4時を指し示す。