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Photos by Mark Kauzlarich
今年は時計史を形作る発見が特に多い年だった。フィリップスのジュネーブでのJ. Player & Sonsの“ハイパー コンプリケーション”の売却はきわめて好調で、223万8000スイスフラン(当時のレートで4億2600万円)を達成した。これは昨年、ウルバン・ヤーゲンセンのためにデレク・プラット(Derek Pratt)が製作した懐中時計が369万スイスフラン(当時のレートで6億4300万円)で売却されたことに続くものだ。これらの時計はそれぞれ、イギリスの複雑時計製造の全盛期の終わりと、独立系ブランドの再興にとって時代を定義するひとつのピースだった。しかしそれらは既知の時計でもあった。発見には特に魅力的な何かがある。
以前は一般に知られていなかったパテック フィリップの懐中時計、ジョン・モトリー・モアヘッド ダブルムーブメント ミニッツリピーター スプリットセコンド(John Motley Morehead Double Movement Minute Repeating Split Seconds)。Photo courtesy Sotheby's
今は亡き偉大なアメリカの時計愛好家、ロバート・M・オルムステッド(Robert M. Olmsted)のコレクションは12月8日にニューヨークでサザビーズによって出品される予定で、近年のいかなる啓示よりも時計学の歴史に対する私たちの理解を変えるものだ。私たちは複数の未知のパテック フィリップの時計と、ジェームズ・ワード・パッカード(James Ward Packard)やヘンリー・グレーブス(Henry Graves)のために作られた類似の時計を技術的に凌駕する未知のパテック置時計の発表を報道した。
これらは単に未知であるだけでなく、パテック フィリップの台帳以外には記録されていなかった技術的驚異である。パテック フィリップ Ref.1518と同じようには着用できるものではないが、これらは古参のコレクター(そして一部の新しいコレクター)が喉から手が出るほど欲しがる類の発見だ。
フィリップス ジュネーブでのJ. Player & Son'sのハイパー コンプリケーション。Photo courtesy Phillips.
功績を称えるべきは称えよう。私はJ. Player & Sonsを見て、その時計の持つ意味について素晴らしい記事を書いた“Watches by SJX”の同僚を羨ましく思った。それは、この“グロース・ピエス(Grosse Pièce)”で同様の試みをする気にさせてくれた。ただし、技術的ではない面についてだ。製作に携わった時計師たちによって、そのように(または“Large Piece”と)名付けられたこの時計は、オーデマ ピゲの“ユニヴェルセル”と並び、製造の歴史のなかで最も複雑な懐中時計であり、現存する同ブランド所有の最も複雑な懐中時計だ。
これはまた、オーデマ ピゲの歴史上、星図の複雑機構を特徴とする唯一の懐中時計であり、この時代の同ブランドのトゥールビヨン懐中時計として現存が確認されている唯一の例だ。ユニヴェルセルが文字どおりミュゼ アトリエ オーデマ ピゲの中心に位置している一方で、この時計は50万ドルから100万ドル(日本円で約7750万から1億5500万円)の推定価格で売り出されている。
グロース・ピエスの誕生
時計の歴史的文脈において、オーデマ ピゲのユニヴェルセルはほかの両方の時計に先行しており、1899年に作られ、19の異なる複雑機構すべてを備えていた。J. Player & Sonsのハイパー コンプリケーションは、ジュウ渓谷を拠点にする複雑機構の専門家兼、エタブリスール(編注;組立メーカー)のルイ=エリゼ・ピゲ(Louis-Elysée Piguet)によるエボーシュ(ムーブメント素材)として始まった。ベースムーブメントは1902年12月9日に、ロンドンを拠点とするニコル ニールセンのスイスでのパートナー、ル・ソリアを拠点にするキャプト社に届けられた。
グロース・ピエスを注文する書簡。 Photo courtesy Sotheby's
1914年、ロンドンを拠点とする著名な時計製造会社S. Smith & Sonは、最も重要な顧客のひとりのために、天体の複雑機構を搭載した特別な時計を製作を依頼すべく、オーデマ ピゲのロンドン代理店、ギニャール&ゴレイ(Guignard & Golay)に連絡した。ジュウ渓谷が“複雑機構の渓谷”としての評判を築いていたため(そして維持している)これは理にかなっている。オーデマ ピゲは、谷のなかでこれほど複雑なプロジェクトに取り組むことができる数少ない企業のひとつだった。
このプロジェクトは完成までに7年を要し、社内外から集められた最良の頭脳が投入された。オーデマ ピゲのアーカイブに残る1915年1月26日付の記録には、“SSSの依頼”に関連する、特別な天文表示機構の可能性についての記述が見られる。“SSS”とはロンドンの名門時計商、S. Smith & Sonsを指している。
そのメモは最終的に時計に組み込まれることになる可能性のある複雑機構と、コンパス、黄道十二宮のサイン、夏至、冬至などの採用されなかった多くの複雑機構についてさらなる研究を提案している。要するに、信じられないほど複雑で、天体を意識した懐中時計を作るための任務があってこそ扉が開かれたのだ。
ゴレイ&ギニャール社の台帳。Photo courtesy Sotheby's
現代において、このような重要なプロジェクトを促進するために外部の請負業者を使用することを公に認めるブランドは珍しいが(ヴァシュロン・コンスタンタンとフランソワ・ジュノー/François Junod氏による最近のオートマタ付き時計は注目に値する例外)、オーデマ ピゲはここで、1901年に当時世界で最も複雑な時計であったルロワ01を作成したのと同じ専門家システムに頼った。エタブリサージュ(編注;組み立て作業)と呼ばれるこのシステムは、専門分野の個々の生産者を起用することに依存していた。グロース・ピエスの製作には、オーデマ ピゲのアーカイブ(サザビーズが共有)によると次の人々を依頼した。
グロース・ピエスの製作に貢献した製作者の一覧
- シャルル・ピゲ(Charles Piguet)/ル・ブラッシュ拠点 ― ベースムーブメント、エボーシュ
- アミ・メイラン(Ami Meylan)/ル・ブラッシュ拠点 ― 石留め
- マリウス・キャプト(Marius Capt) ― ひげぜんまいの巻き付け
- アンリ・ゴレイ(Henri Golay)/ル・ブラッシュ拠点(オーデマ ピゲ所属) ― 脱進機
- キャプト社のジュール・セザール・キャプト(Jules Cesar Capt of Capt & Co.)/ル・ソリア拠点 ― トゥールビヨン
- ルイ=エリゼ・ピゲ(Louis-elysée Piguet)社の息子たち/ル・ブラッシュ拠点 ― チャイム機構
- レオン・オベール(Léon Aubert)/ル・ブラッシュ拠点 ― 天文、パーペチュアルカレンダー、および均時差
- アルフォンス・メイラン(Alphonse Meylan)/ル・ブラッシュ拠点(オーデマ ピゲ所属) ― 時刻設定
上記リストはこの時代の時計製造の偉人たちの“名簿”だが、ジュウ渓谷ではいつものことながら共通の姓が人々を混乱させる可能性がある。シャルル・ピゲと彼の父、ジョン=セザール・ピゲ(John-César Piguet)もオーデマ ピゲが今も本社を置くル・ブラッシュの工房でルロワ01のエボーシュを制作した。リストにあるほかのピゲ、ルイ=エリゼ・ピゲの息子たちは複雑機構の専門家であり、パーペチュアルカレンダーの才能に加えて、ソヌリの達人でもあった。アンリ・ゴレイはルイ=エリゼ・ピゲの師匠であったといくつかの書類に記載されており、オーデマ ピゲに届けられたエボーシュから省略されていたトゥールビヨンを時計に取り付ける責任を負っていた。
フランス・ブザンソンのパレ・グランヴェルにある時計博物館に収蔵されているルロワ01も、グロース・ピエスを製作した時計師の一部によって作られた。Photo courtesy FHH
顧客の明確な要求であったため、疑いなく時計の最も重要な部分である天文複雑機構はレオン・オベールに委ねられた。オベールの一生については渓谷を研究した著名な歴史家、ダニエル・オベール(Daniel Aubert)の文書(渓谷に関する彼の4巻の著作は歴史愛好家にとって必携であるが、フランス語でのみ入手可能)のおかげで多くが知られている。
オベールはイギリスに納入された別の注目すべきスイス製の時計であるデント 32'573(2020年にサザビーズで80万スイスフラン/当時のレートで約9000万円で落札)の天文複雑機構を担当した。これは以前、ボストン在住の著名で重要なイギリス時計のコレクターであったエリオット・カボット・リー(Elliot Cabot Lee/1920年没)が所有していた。彼は当時のイギリス時計界において、いわばヘンリー・グレーブスやジェームズ・ワード・パッカードに相当する存在だった。もっとも、彼の時計の多くは依然としてスイスの技術力と部品に依存していた。
2020年にサザビーズで80万スイスフラン(当時のレートで約9000万円)で売却されたデント 32'573。 Photo courtesy Sotheby's.
オベールは、ル・ブラッシュにある彼の工房(1872年設立)で約50年働いたあと、カボット・リーと同年に亡くなった。彼は生涯で、均時差の新たな機構を発明し、それをパテック フィリップなどのブランドに販売した。これには、彼の見習いであったポール・オーギュスト・ゴレイ(Paul Auguste Golay)と共に作られたパテック フィリップ No.111'505とパテック Ref.198'023が含まれる。その後、彼はゴレイ フィル&スタール(Golay Fils & Stahl)のために、番号28,432のような機構を作成した。これは1992年にサザビーズ ジュネーブで落札された。この時計はパティアラのマハラジャのために作られ、パーペチュアルカレンダー、ミニッツリピーター、日の出・日の入りの表示、そしてムーンフェイズを特徴としていた。要するに、オベールはその仕事に適した人物だったのだ。
ムーブメント(番号16869)は26リーニュ(約58.65mm)で、4分の3プレートを備えたより伝統的なイギリス様式で仕上げられていた。スイスが好むレバー式脱進機を使用し(イギリスが好むデテント式“クロノメーター”脱進機ではない)、時計が正式に完成する前、1920年にオーデマ ピゲはジュネーブ時計見本市でそれを展示した。これはのちにバーゼルやWatches & Wondersのような見本市の前身となる展示会のひとつだ。時計はいくつかの仕上げが未完成であり、当初は異なる恒星時のダイヤルを備えていたが、視認性向上のため、のちにアラビア数字のダイヤルに置き換えられた。
グロース・ピエスのほぼ完成したバージョン。 Photo courtesy Sotheby's
ダイヤル下のムーブメント。Photo courtesy Sotheby's
1920年のジュネーブ時計展の写真。 Photo courtesy Sotheby's.
1921年、時計はついにS. Smith & Sonsに届けられ、同社がダイヤルにサインを施し、“Trafalgar Square”を追加した。ベゼル内部には、フレデリック トムズ(Frederick Thoms)のホールマークであるFTと、ロンドンのホールマークが施されている。トムズは、最高級の複雑なケースに特化した著名なイギリスのケースメーカーだった。巨大な18Kゴールド製ケースは、チャイムモードをオンからサイレントへ、時から四半時へ、またはミニッツリピーターを鳴らすためのスライダーを特徴としている。ケースに残っている突起は、時計の設定を行うスイッチだ。
オーデマ ピゲ “グロース・ピエス”。
そこからグロース・ピエスは公の場からほぼ姿を消し、ロンドンを拠点とする出版物『The Graphic』の1921年11月19日号にのみ登場した。時計史家で作家のギズベルト・L・ブルーナー(Gisbert Brunner)氏は、1990年に『The Horological Journal』の記事の調査中にのちにこのピースを再発見し、その後その所有者であるロバート・オルムステッドとつながり、彼はブルーナー氏が1993年に発行した、クリスチャン・ファイファーベリー(Christian Pfeiffer-Belli)氏とマーティン=K・ヴェールリ(Martin K. Wehrli)氏との共著『オーデマ ピゲ(Audemars Piguet)』のための写真撮影を許可した。
ロバート・オルムステッドへの売却の領収書。 Photo courtesy Sotheby's.
時計が1921年から1970年までどこにあったかは不明だが、手書きの領収書によるとロバート・オルムステッドは1970年3月にシドニー(“シド”)・ローゼンバーグ(Sydney/“Sid” Rosenberg)氏からグロース・ピエスを2万3350ドル(当時のレートで約840万円)で購入したことが確認されている。この時計にはその出所と遺産を裏付ける一式の書類や、そのほかのアイテムが付属している。付属の木製ボックスには、S. Smith & Son Ltd., Londonによる天文時計とラベルが貼られた銘板が備わっている。また、オーデマ ピゲ ミュゼ・アトリエの元ディレクターであり、1993年のオーデマ ピゲに関する本の共著者であるマーティン=K・ヴェールリ氏によって編纂されたアルバムがある。そのアルバムには作業台帳の記録、登録簿のコピー、および宝石装飾の検査に言及するふたつの文書のコピーが含まれている。また時計を注文したロンドンの代理店ギニャール&ゴレイ宛の1921年の請求書のコピーもある。必ずしも必要ではないものの、この時計にはオーデマ ピゲのアーカイブからの抜粋書も付属している。これは、私が見た懐中時計のなかで最も並外れたセットのひとつを完成させている。
実物について
ほぼすべての超複雑機構を搭載する時計と同様に、グロース・ピエスに近づき、文字を読み取ったり操作したりすることは圧倒的な経験だ。この時計は直径80mmで厚さ34mm、重さ624gという巨大な寸法を持っている。このサイズは威圧的だが、それゆえに視認性が優れているのは当然と言える。6つのインダイヤルを備えたJ. Player & Sonsのハイパーコンプリケーションとは異なり、グロース・ピエスは両面でその表示をいくらか簡素化している。19の複雑機構も、よりシンプルな表示に容易に集約可能だ(例えばパーペチュアルカレンダーとムーンフェイズの全機能だけで6つの複雑機構を占める)。
私はまだ複雑機構の完全なリストを共有していなかったが、以下のとおりだ。
計時機能: 恒星時の時・分表示(2)、均時差、レギュレーター式トゥールビヨン。カレンダー機能: パーペチュアルカレンダー、世紀のうるう年修正、日付、曜日、月、星図、年齢計算、ムーンフェイズ。クロノグラフ機能: クロノグラフ、時積算計、分積算計。チャイム機能: カリヨン付き“グランドソヌリ”、カリヨン付き“プチソヌリ”、ミニッツリピーター、サイレントモード付きチャイム機構。そのほかの機能: 駆動輪列のアップ/ダウン表示(パワーリザーブインジケーター)。
ホワイトエナメルで仕上げられたフロントダイヤルは、青焼きのスペード型およびホイップ型の針で示される標準時または平均時のためのローマ数字を特徴としている。4つのインダイヤルがあり、そのすべてがダイヤルの上部にわずかに傾いている。12時位置にあるムーンフェイズ表示のエナメル製インダイヤルは上部に位置する月齢とムーンフェイズの組み合わせ表示を特徴とし、下部にアップ/ダウン表示が付随している。3時位置には、ローマ数字を用いた、第2時間帯の表示に似た珍しい組み合わせの60分および12時間カウンター付きクロノグラフがある。
時計の委託者の名は、うるう年サイクルの月と年を挟むダイヤルの下半分に記されている。
日付と曜日も見られる。
そして3時位置にあるカウンター付きクロノグラフ。
6時位置のインダイヤルは月とうるう年サイクルのタイミングを表示し、9時位置のインダイヤルは月と日付を示す。ダイヤルの縁には、均時差(日常的に用いられる平均太陽時と、正午が真上にあるときに定義される視太陽時との差)を表示する外周リングに向かって指し示す、太陽を冠した青焼きの針がある。視太陽時は1年のあいだにずれる(約±15分)。
裏側のダイヤルはある意味ではるかに少ない情報を伝えるが、別の意味ではるかに魅惑的だ。星図はロンドン(具体的には北緯51.5072°、西経0.1276°)から見られる星の北半球の景色を示している。昼夜を問わずいつでも星図を参照すると、天球は青いエナメル地に金色で描かれた315個の星と、さまざまなラベル付けされた星座を持って頭上にある星座を示す。参考と方向付けのために、“西の地平線”と“東の地平線”のふたつの銀色のプレートがあり、そしてその日に見られない天球部分を隠す金色のギヨシェ装飾の縁取りがある。ダイヤルの縁には、恒星時のための24時間表示がある。フロントダイヤルはこの時代のほかのグランドコンプリケーションといくらか似ており、多くの点で時代を超越した印象を与えるが、裏側のダイヤルは1900年代初頭に作られたものとして唯一無二に見える。
時計の分解と研究中に、オーデマ ピゲによって提供された写真からダイヤル下を見ると、ムーブメントの興味深い特徴のいくつかが明らかになる。フルブリッジがトゥールビヨンを支えており、J. Player & Sonsに見られるふたつ目のニールセン様式のスケルトン化されたハーフブリッジとは異なる。トゥールビヨンの採用(この時期のオーデマ ピゲのものでは唯一知られているもの)はそのような時計を好むイギリスの聴衆に語りかけているが、ご覧のとおり、製作者はイギリス式ではなくスイス式レバー脱進機を固持した。クロノグラフの仕組みもJ. Playerのものよりも大幅に簡素化されているが、仕上げは同じくイギリス様式に配慮していることがわかる(特にトゥールビヨンにおいて)。
Photo courtesy Audemars Piguet
Photo courtesy Audemars Piguet
Photo courtesy Audemars Piguet
ケースの見た目はシンプルだが、トムズによって美しく仕上げられている。おそらく最も魅惑的なのは、チャイム機構の音色だ。私は幸運にもリピーターを聞く機会を得たが、それは本当に壮観で、私が聞いたなかで最高のひとつかもしれない。このサイズの時計では、狭いケースではリピーターの音が少し詰まったように感じられることがあるが、26リーニュのムーブメントを包む大きなゴングには大きく丸みのある、温かな音色のための適切な空間がある。ドバイウォッチウィーク中にオーデマ ピゲのセバスチャン・ヴィヴァス(Sebastian Vivas)氏でさえ、リピーターの強さと美しさに完全に打ちのめされたと私に語ってくれた。
そして、出所の話だ。サザビーズ・インターナショナル・ウォッチ部門、名誉会長のダリン・シュニッパー(Daryn Schnipper)氏と話したとき、私はオルムステッドがコレクターとして台頭した時代と、彼のコレクションに対する視点に少し羨望を感じた。オルムステッドは若くして時計を購入し、その多くは1971年以前に購入され、プリンストン大学の寮からディーラーと文通しながら購入していた。彼はすぐに、これまで作られたなかで最も素晴らしい希少な時計のいくつかをコレクションする人物になった。
ムーブメントをふたつ搭載するジョン・モトリー・モアヘッドのパテック フィリップの2個。ダブルムーブメント ミニッツリピーター スプリットセコンドクロノグラフと、極薄のダブルムーブメント ミニッツリピーターを搭載する時計を含む。
ジョン・モトリー・モアヘッドのパテック フィリップ グランド&プチソヌリ クロックウォッチ。パテックによるクロックウォッチはおよそ9つが知られている。
以前は知られていなかったムーブメントをふたつ搭載したパテックのクロックや、パテックの10日間置時計のようなほかのアイテムが最初はより注目を集めたが、この時計は同等の傑作だ。シュニッパー氏は、オルムステッドはコレクターとして自らを見ており、“目にしたものすべてを吸い上げた”ほかのコレクターとは対照的な、純粋な関心を持っていたと私に語った。オルムステッドはクロノメトリーと複雑機構に情熱を持ち、自分のタイムピースと共に真剣に生きていた。
彼はパテックの置時計をベッドサイドテーブルに、懐中時計を寝室の近くに置き、毎日約1ダースの時計を巻き上げ、その精度を計時し追跡していた。1日あたり1秒のずれでオルムステッドはいらだったという。しかし同時に、コレクションはきわめて個人的なものであり、セス・アトウッド(Seth Atwood)などの同時代の人々とも共有していなかったようだ。オルムステッドのような人々は確かにほかにもいるが、Instagramやエゴに駆り立てられるコレクションが主流の現代において、このようなコレクターに嫉妬せずにいるのは難しい。しかし、オルムステッドのコレクションから出てきた発見は10年に1度(またはそれ以下)の出来事のように感じられ、見る価値のあるオークションを生み出している。
“グロース・ピエス”と、オルムステッド コレクションのオークションで出品されるほかの時計についての詳細はサザビーズの公式ウェブサイトから。
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