王冠を戴く頭は重いと言われるが、この特定の小冠の威厳は常に熱望されてきた。時計業界はコレクタブルなものに対する評価の多様化を見てきたが、ロレックスのカルト的人気は長きにわたり持続している。ほんの先日、数百人の人々がニューヨークで開催された、間違いなくコレクターミートアップの頂点であり、世界中からゲストを引きつけたローリーフェス 2025でロレックスに歓喜した。そのうちのひとりは、この夏をかけて自らのロレックス讃歌を完成させた人物だった。200本を超えるヴィンテージロレックスを、親密な雰囲気の展示空間に並べ、完全予約制で公開したのである。
ひと握りのバブルバックは決して悪くない。
イングランド北部のリバプール郊外を拠点とする長年の時計コレクター、マイク・ウッド氏(Mike Wood/インスタグラムは@theoldwatchshop)が、“For Exhibition Only”と的確に名付けられたヴィンテージロレックスのショーケースを主催した。この2ヵ月にわたる展示には、彼の個人的なコレクションのすべてである数百本のロレックスウォッチ、アクセサリー、装飾品、そしてそのあいだにあるすべてが、招待されたゲストのために披露された。希少な宝物で満たされたガラスケースから隅々に詰め込まれた遺物、壁のヴィンテージ広告、さらには70年代のロレックス サービスセンターにあった時計師のベンチに至るまで、このショーケースはロレックスに関するすべてを集積する、ウッド氏の絶え間ない追及心を反映している。
手首にロレックスを着用したい人、そしてフレグランスとしての“Perpetually Yours”。
そしてすべてと言えば、私は文字どおりにすべてを意味している。数十年にわたるロレックスのボックスの際限ないコレクション、COMEXのダイビングスーツやブランドのワークショップで所有・使用されていたクロックから、ハンス・ウィルスドルフ(Hans Wilsdorf)が個人的にビジネスパートナーに贈呈したギフトまでだ。これらのミュージアム級のアイテムは、ロンドンから北へ3時間の海辺の町にある控えめなドアの裏に謙虚に隠されていた。
「私はいつだってまずコレクターなのです。多くの場合、私はひとつの時計を所有し、そのあと同じモデルの少しよい個体を購入すると、なぜか最初の個体が金庫の奥に追いやられてしまうのです」とウッド氏は私に共有する。
バブルバック、ミルサブ、初期のデイトジャスト、宝石がセットされたデイデイト、そして捕虜(POW)のピースさえも期待できる。しかしウッド氏にとって、この展示を開催することは、それ以外の時間を金庫や保管場所で隠されて過ごす時計を見せることだけが目的ではなかったし、その時計学的な意義がすべてでもなかった。
1967年製のMk 1 “Patent Pending(特許出願中)” ダブルレッド シードゥエラー Ref.1665、マークII エディション Ref.1665、そして1971年製のレッドサブマリーナ ー Ref.1680。
「この展示を主催する喜びの大きな部分は、若いコレクターが多く訪れ、彼らがこれまで実際に見たことのない時計を目にしたことです。バブルバック、プリンス、初期の小さなオイスター。私は彼らに、ロレックスというブランドの歴史的文脈に当てはめ、その物語を説明することに多くの喜びを見出してきました」。
「今や私は、時計コレクターとしては少し時代遅れのような存在かもしれません。しかし20歳または30歳も年下の世代にこうした時計を見せたり、実際手に取ってもらったりすることで学んでもらう。その経験の一面は、私にとっても大きな喜びなのです」とウッド氏は言う。
スピードキングの無数の個体。
ここには多くの発見があるので、画像とウッド氏からの言葉、そして時計に語らせることにする。
COMEXコーナーには時計だけでなく、ダイビングスーツ、オリジナル広告、ライター、そしてダイブの映像も含まれていた。
このサブマリーナーで満たされたデスクは、展示全体を見渡すための絶好の場所(これについては後で詳述する)だ。
展示室に最初に入ったとき、どこから見始めるのが正しいのかを定めるのは難しかった。
完璧に名付けられた展示。
時計を収めるために改造されたルイ・ヴィトンのトランクの山と、ダイビングヘルメットのどちらに心を奪われるだろうか?
オイスターケースの物語をスタートするのにこれ以上よい場所はない。5本の時計を通して語られるその歴史は、1922年ごろに登場したロレックス初の防水時計、シルバー製の“サブマリン(Submarine)” エルメティックである。
1926年製のクッションケースのオイスターへ移動する。
メルセデス・グライツ(Mercedes Gleitze)がヴィンディケーション・スイム(Vindication Swim、イギリス海峡再横断泳)のあいだ、首に着けていた1926年製のゴールドオイスター。
信じられないような、クッションケースを持つゴールドオイスターの懐中時計。
そして2022年製の1万1000m防水のディープシー チャレンジで終わる。そこには王冠からの100年間の防水性の歴史が見て取れる。
「ここを訪れた若いコレクターの多くは、現代のロレックス サブマリーナーを身に着けていました。しかしこのラインナップをとおして、私は彼らのためにその物語を築き、その系譜とその時計がどのように誕生したかを伝えることができたのです」
これは70年代にロレックスが、新しい時計師とセールスコンサルタントに“世界的に有名なオイスター(The World Famous Oyster)” ケースについて学ばせるために製作した訓練用キットだ。
これは私の個人的な傑作だった。1946年製、18Kのロレックス バブルバック Ref.3372で、ピンクダイヤルにVergaのサインが入っている。それとマッチするピンクのブレスレットも18Kで、オリジナルだ。ウッド氏によると、これはドアをくぐったほとんどの人々のお気に入りだったという。
“750”。
そのホールマークがどれほどシャープかを見て欲しい。
「1度も見たり扱ったりしたことがないにもかかわらず、バブルバックに恋に落ちた人々の数は本当に目を見張るものでした。その外観とダイヤルのバリエーションから、バブルバックは本当に人々の想像力をかき立てるのでしょう」。
もうひとつのお気に入りはフーデッドラグ(覆い付きラグ)とドットのアワーマーカーを備えたダイヤルを持つ、1930年代後半製ツートンのバブルバック Ref.3203だ。
1937年製のオリジナル(そして手つかずの)エナメルダイヤルを備えた、信じられないほどクリーンなロレックス サイエンティフィック Ref.3009。
“常にケースバックを読むこと”。
きわめて特別な3本のクロノグラフ。1942年製のスティール製のRef.3525 “捕虜(POW)”、1944年製ツートンのRef.3668、そして1938年製ピンクゴールド(PG)製のRef.3525だ。
中央のRef.3525のケースバックには“Capt E. Blow”と記されており、第2次世界大戦中のANZAC捕虜だったエリック・ブロウ(Eric Blow)大尉が所有していた。
タイムレスな話だが、このPG製Ref.3525はほとんど100年近く経っているが、依然として信じられないほど素晴らしい。
ウッド氏のポール・ニューマン Ref.6239。彼はポール・ニューマン(Paul Newman)自身のポール・ニューマン デイトナのオークションに、以下のストラップを着けて参加した。
時計の元の受取人で、ポール・ニューマン本人から個人的に譲り受けたジェームズ・コックス(James Cox)氏からゲットしたクラシックなクロコダイル のブンドストラップ。
このシルバーのシガレットケースは、ハンス・ウィルスドルフが1917年のクリスマスに、ビジネス パートナーであり義理の兄弟でもあるアルフレッド・デイヴィス(Alfred Davis)に個人的に贈呈したものだ。
“AJD”、これはミュージアム級の話だ。
ウッド氏のロレックス リングをチェックしたあと、立ち止まって読むこと。
ヘリウムガスエスケープバルブが付いたCOMEX Ref.5513、COMEX Ref.5514、そして“Pisani” COMEXロゴ付きMk 1ダイヤルを備えたシードゥエラー Ref.1665。
COMEXモデルのケースバックは、ロレックスのスポーツモデルのなかで最もクールなものかもしれない。
「私はオマーンのマスカット沖で難破船ダイビングをしたことがあるのですが、そのときRef.5517を着けていました。潜る前にミルサブをセットする動作を経て潜水し、手首の時計と、湾曲したプレキシガラス越しに水が歪んで見える様子を目にすることができたのはきわめて特別に感じられました。言葉にすると少しばかばかしい体験のようですが、実際にその場にいて身をもって感じると、これらの時計が少しだけ特別な存在に思えてくるんです」とウッド氏は語る。
型番をチェックすると確かだ。このミルサブはまさに“5517”だ。
1967年と1971年のダブルレッド シードゥエラー サブマリーナーの、“Patent Pending(特許出願中)”と刻印されたケースバックがふたつ。
ここで予想される名前ではないかもしれないが、このオメガ プロプロフは、COMEXダイバーに厳密なテストのために与えられたプロトタイプのひとつだ。
“PROTOTYPE 4-513”。
もうひとつのケースバック、もうひとつのCOMEX。
このディプロワイヤントバックルは、あなたがどこにでもあるサブマリーナーで見るものとは異なるのだ...
1979年製シードゥエラー Pisani COMEX Ref.1665。
ロレックスの最も希少で切望されるコレクタブルなふたつ、WaterlilyとTrident fish bowlディスプレイは、1960年代の展示会でオイスター ケースの防水性を示すために使用された。
ウッド氏はWaterlilyもTrident fish bowlも所有していないが、ダイビングヘルメットを着用した表情豊かなタコは所有している。
オリジナルロレックス エアキングの広告プリント用スタンプ。オリジナルの広告を所有するよりクールだ。
このクロックは1870年にさかのぼるピースであり、ロレックスの歴史の初期に入手され、工房でマスタータイムピース(基準時計)として使用された。そのため、ミュージアムに収められるべきもうひとつのピースなのだ。
“The Rolex Watch Company”。
心配はいらない、見るべきエクスプローラーもたくさんある。
デイデイトのためのひととき。
プラチナ製デイデイト Ref.118346と、そのセンターリンクのダイヤモンド。
ロレックスの灰皿が必要だとは、この瞬間まで気づかなかった。
“エベレストへのトリビュート”、プレ エクスプローラーとも呼ばれるPRECISION”表記を持つRef.6150はそのストラップによって完成されている。マイク氏が、エドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)の息子ピーター(Peter)、シェルパ テンジン・ノルゲイ(Sherpa Tenzing Norgay)の息子ジャムリング(Jamling)、そしてジョージ・バンド(George Band/1953年のオリジナル英国エベレスト遠征隊の最年少メンバー)のサインを入れている。
ドミノ・エアキングは手つかずの状態で、オリジナルオーナーから直接手に入れた。
プリンスモデルは確かに見過ごされている。あのヒョウ柄のストラップに特別な言及を贈る。
1930年代のきわめてよく風化したドクターズ ウォッチと、同様に風化したストラップ。
1944年製のオイスター インペリアルRef.3359、そしてPGがスティール製センターリンクの外側に配置されているという慣例に反した拡張できるツートンブレスレットに注目して欲しい。
初期のデイトジャストのディスプレイと、ウッド氏の最初のロレックスであるデイトジャスト Ref.16013。
1953年製のロレックスによるパネライ ルミノール Ref.6152/1で、エジプトに配属されたイタリアコマンド部隊のダイバーに支給された。
第2次世界大戦時代のパネライ ラジオミール Ref.3646で、イタリア海軍のフロッグマンに支給された。
時計に気を取られることは簡単だったが、この第2次世界大戦時代のパネライ製ダイビングトーチのような付属のアクセサリーも注目に値する。
パンナムのバッグは、ひとつのことしか意味しない。
左からRef.1675、Ref.6542。そしてRef.6542は素敵なブラウンのニップルダイヤルを備えたイエローゴールド(YG)製だ。ここからひとつを選び取るのはほとんど不可能である。
1963年製の、アンダーラインの入ったダイヤルを備えたRef.1675。
1977年製の18KYG GMTマスター Ref.1675はブラックのニップルダイヤルとマッチするジュビリーブレスレットという組み合わせ。なんと素晴らしい外観なのだろう。
ベークライトベゼルを備えた、リューズガードのないRef.6542。
“ジャン=クロード・キリー(Jean-Claude Killy)” Ref.6236、これはロレックスのなんと素晴らしい時代だったことか。
キリーは本当にキラーだ。
ロレックスではないかもしれないが、70年代/80年代のパテック製ナビクォーツ搭載クロックはこの場所にかなりなじんで見えた。
当然のように、チューダーの時計とアクセサリーもいくつかコレクションに加わっている。
これらのレザー製ウォッチボックスがほとんど100年近く経っているのに、このような状態で残っていると考えると驚異的だ。
時計師のデスクのミニチュア...
そのミニチュアは、1970年代ごろのロンドンにあったロレックス サービスセンターから来た時計師のベンチの上に置いてある。
ウッド氏が使用するルーペさえもロレックスだ。
1980年代のエジプトをテーマにした小売店の、記憶に残るウィンドウディスプレイ。
ブティックの外で、デスクにウォッチディスプレイがセットされているのを見たことがあるだろうか?
「ある時、私は63本のサブマリーナーを持っていることに気づきました。そしてそれは終わるには悪い数字だと思ったので、あと2本購入して65本にすることを自分に許し、それで引退できると思ったのです。しかし65本のサブマリーナを手に入れたあと多数を売却し、約50本に減らしたのですが、次第に再び戻り始め、もう少し購入しました」
Ref.5508、2本のRef.6536、そしてRef.6202 モノメーター。
1953年製のRef.6202 モノメーター。光沢のあるハニカムダイヤル、ペンシル針、そしてロリポップ秒針を組み合わせている。
1977年製の軍に支給されたミルサブ Ref.5517。
驚異的なトリオだ。光沢のあるTマーク入りギルトダイヤルを備えた59年製ミルサブ Ref.5512、77年製ミルサブ Ref.5517、そして1968年製のオメガ シーマスター 300 英国海軍仕様ミルサブ Ref.165.024。
サブマリーナーのグループの集合名詞は何だろうか。flock? それとも“gaggle”? あるいは“herd”だろうか?
1959年製のスモールクラウンと光沢のあるギルトダイヤルを備えたサブマリーナー Ref.5508。
時計全体として過小評価されている側面はクラスプとバックルだが、ヴィンテージロレックスのクラスプの強いテーパーは触れるたびに喜びを与えてくれる。
もちろんウッド氏は最初の時計を今も所有しており、それは、添えられた写真内で着用している小さなタイメックスだ。“Timex”のロゴが傷ついていることに気づくだろう。彼は若かったころに傷つけ、“Rolex”に置き換えようとしたと私に語る。
“I want a good watch(よい時計が欲しい)”。
これらオリジナルのロレックスボックスはそれ自体が芸術品だ。
スティーブ・マックイーンのRef.1655が2本。2本持つことができるのに、なぜ1本で満足できるのだ?
もしあなたがウッド氏の情熱について少しでも疑いを持つなら、彼の時計をテーマにしたネクタイコレクションをチェックして欲しい。
1930年代の、部品を収めるためにデザインされたロレックスのオリジナル厚紙製ボックス。
マイク氏が最初のロレックスを手に入れるとき、デイトジャスト Ref.16013かデイトナ Ref.6263のふたつの選択肢があった。当時、彼はデイトジャストによりつながりを感じていたためそちらを持ち帰ったが、デイトナをコレクションに加えるには数十年を要した。
このようなコレクションを持つ人の選んだ時計は? チューダー ブラックベイ 58 ブロンズだ。ウッド氏が特定のピースを試着するあいだ、1日を通してまさにこのような視点で見られることが多かった。
マイク・ウッド氏に、彼のコレクションのほんの一部を見せてもらったことに感謝する。すべてを見たい場合は、こちらをクリックして3Dでチェックして欲しい。
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