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歴代大統領を称える日(2月18日)を記念して、アメリカ大統領の時計をできるだけ包括的にリストアップしようと考えた。G.ワシントンからD.トランプまで、タイメックスからパテック フィリップまで。時計を愛する大統領もいれば、必要に迫られて身に着けていた大統領もいた。読者は、合衆国の歴代大統領のポケットや手首に収まっていた品々に驚くかもしれない。では、ぜひ楽しんでいただこう。
編注:本記事は2014年2月にUS本国版で執筆され、2016年に加筆されたものの翻訳です。
ジョージ・ワシントン(初代大統領)
ワシントン大統領は、メーカー不明のスイス製懐中時計(後に友人に贈った)、ジャン-アントワーヌ・レピン、ジェームズ・マッケイブの懐中時計を所有していた。
ノーブランドのスイス製クォーターリピーター懐中時計
ワシントンが入手したのは、おそらく1775年と思われるクォーターリピーター(15分刻みでチャイムを鳴らすことができる)付きの金無垢の懐中時計で、ケースにヌーシャテルの刻印があることから、スイス製と思われる。ムーブメントの内側のカバーには、次のような刻印がある。"1775 / G. ワシントン "と、美しい文字で書かれている。
時計の外側には次のようにエングレービング(彫細工)が施されている。"Trenton N.J. / 1777年12月10日/ 私の友人/マサチューセッツ州のThos. Johnson(ジョンソン)大佐に贈った/ 記念として/私から最高の敬意を込めて/ ジョー(ジ)・ワシントン"
古典時計協会によると、“ジョンソンは大陸議会のメンバーであり、メリーランド州の初代知事、メリーランド州民兵の准将でした。1777年初め、彼はメリーランド州からニュージャージー州でワシントンと合流するために部下を率いました"
この懐中時計は、ダイヤルの裏に「HM / 522」と書かれている以外は刻印がないが、それが誰だったのかも明らかになっていない。分針は交換されたようだが、時針はオリジナルの可能性が高い。興味深いことに、この懐中時計は、ハンマーが起動する際にチャイムではなく、金無垢のケース内のポストに振り下ろされる"ダムリピーター "だった。これによって、より大きな衝撃が発生するのだが、着用者はポケットの中で振動を感知して時刻を知ることができ、チャイムを鳴らすことを避けることができたのだ。
目立たないように覗くことができる腕時計が登場するずっと前の時代には、これはかなり便利で人知れず時間を知る方法だったのではないかと想像される。金の懐中時計を引っ張り出して時刻を確認することは、かなり目立ったことだろうから。
この時計はニューヨーク歴史協会の所蔵品だ。この時計を分解して調べる様子をご覧になりたい方は、こちらをクリックして欲しい。
ジャン-アントワーヌ・レピン 懐中時計
ワシントンは大統領在任中にジャン-アントワーヌ・レピンの懐中時計を所有していたことでも知られる。1778年11月28日、ワシントンはマウントバーノンの自宅から後世、合衆国建国の父のひとりに並び称されることになるガバナー・モリスに手紙を送った。モリスはおそらく、ヨーロッパでビジネスをしている間に何か入手して欲しいものはないかワシントンに御用聞きしたのだろう。ワシントンは次のように返信した:
"拝啓 今月12日付の貴君からの手紙を受け取り光栄に思います。ヨーロッパで私のために仕事をしたいとの申し出に大変感謝します。お言葉に甘え、ひとつだけお願いを聞いていただけますでしょうか。私は自分用の金時計を手に入れたいと思っているのです;小さいものではなく、くだらないものでなく、細かい装飾が施されたものでもなく、職人技の光る仕上げがよく、(トーマス・)ジェファーソン君が(ジェームズ・)マディソン氏のために手に入れたものと同じサイズの時計で、大きく薄いタイプのものです。どのようなものかはジェファーソン氏が最高のアドバイスを与えてくれるでしょう。私が聞いたところでは、この種の時計はロンドンよりもパリの方が安くて良い時計が作れるらしいのです" ワシントンは伝えられるところによると、モリスに時計購入のために25ギニー送金したということだ。
かくしてモリスはトーマス・ジェファーソンに連絡して、ジェームズ・マディソンの時計をどこの時計屋から購入したのか、彼の助言を求めたと伝えられている。ジェファーソンはモリスにマディソンの時計職人に近づかないように忠告し、代わりにロミリーという時計職人を紹介した。ロミリーもまた、評判が悪いことが判明した。モリスはある商人にアドバイスを求めたが、この商人はグレグソンという時計師を勧めたが、またしても不満を覚えたのだった。
最後にモリスはジャン-アントワーヌ・レピンのもとを訪れた。レピンは当時ルイ16世のお抱え時計師であり、ルイ15世やナポレオン・ボナパルトも顧客であった。また、ヴォルテールがフランス国境を越えたフェルニー(現在のフェルニー=ヴォルテール)でジュネーブ製の時計の競合を創り出そうという活動に一時期、関わったとされている。レピンは、それまでよりも薄い時計を開発するなど、時計製造分野で多くの重要な開発を行った。
1789年、モリスは薄型金時計をワシントンにメッセージを添えて送った。"レピン氏はこの地における当代きっての職人で、その業績から引く手あまたの職人です。そのため、私はレピン氏に頼み込んで全く同じ時計を作ってもらうことにしました。一つは貴君、もう一つを私のために"
磁器製ダイヤルの12時位置下に小さなフォントで "LEPINE "と書かれており、6時の位置の上にはわずかなカーブに沿って "INVENIT ET FECIT"("発明し、製作した")と書かれている。聞き覚えがあるとすれば、それは今日のF.P.ジュルヌの時計に見られる決まり文句だ。レピンにとっては、この時計の薄型キャリバーは、レピンが完全に発明して作ったものだったのだ。
裏蓋の内側上部には3つのフルール・ド・リス(アイリスの花を様式化した意匠)があり、その上に刻まれたのは "No.5378 / Remontez à droite / Tournez les Equilles / Lepine Hger du Roy / A Paris / S"の文言だ。ケース番号は863である。ワシントンが懐中時計にフランス王室御用達(Hger du Roy)と彫刻されたことや、ケースバックや時針の先端にフルール・ド・リスが配されたデザインに眉を顰めなかったか謎が残るところだ。
レピンの時計は極めて過小評価されているように思われる。2008年に9985ドル、2007年に1万3375ドル、2010年に7411ドルなど、ここ数年の間にクリスティーズで売却されたものを見てみよう。興味深いことに、クリスティーズが2014年3月5日にロンドンで販売するレピンのマントルクロックの推定価格は1332~1998ドルとなっている[編注:既に終了]。
この時計はペンシルバニア歴史協会のコレクションで、現在フィラデルフィア州アットウォーターケント博物館に所蔵されている。ワシントンのレピンの時計を分解する様子は、こちらの動画をご覧いただきたい。
ジェームズ・マッケイブ 懐中時計
ワシントンは大統領在任中にフィラデルフィア州のエフライム・クラークからシンプルな金製懐中時計を購入した。当時、政府はフィラデルフィアにあった。この時計は、ロンドンに移住していたアイルランド出身の時計職人、ジェームズ・マッケイブによって作られたものだった。ケースの刻印から、1793年から1794年の間に作られたと思われる。ケースはジェームズ・リチャーズが製作を担当した。マッケイブとリチャーズが自分たちの作品がワシントン大統領に購入されることを知っていたとは考えにくい。
ジョージ・ワシントン・パーク・カスティス(マーサの孫)はワシントンについて次のように回想している。"時間厳守を信条とした男は、常に良い時計に囲まれていることに喜びを感じていた。フィラデルフィアでは、初代大統領は定期的に贔屓の時計店(2番街のクラークの店)まで歩いて行き、自分の時計の歩度を比較したものだ。"
この時計はマウントバーノン協会のコレクションだ。この時計については、キャロル・ボーチャート・カドゥ著「The George Washington Collection: Fine and Decorative Arts at Mount Vernon(ジョージ・ワシントンのコレクション:マウントバーノンの美術と工芸)」で詳しく紹介されています。
ジョン・アダムス(第二代大統領)
アダムス大統領はリピーター機構付きの金時計を所有していたことで知られている。
ノーブランドの懐中時計
これはアダムスがアメリカの駐仏全権大使を務めていた時に手に入れた時計と思われる。アダムス家に受け継がれた時計だが、ムーブメントや針はオリジナルではない。ケースも交換されている可能性がある。もともとリピーター機構が付属していた可能性もあるのだ。どうやらダイヤルだけが生き残っているようだ。
この時計は、マサチューセッツ州クインシーのアダムス国立史跡のコレクションとして所蔵される。このアダムスの時計を分解する様子に興味があれば、ここをクリックして動画をご覧いただきたい。
トーマス・ジェファーソン(第3代大統領)
ジェファーソン大統領はダニエル・ヴォーシェ社製のゴールドの懐中時計を所有していたことで知られている。
ダニエル・ヴォーシェ 懐中時計
ダニエル・ヴォーシェはパリに拠点を置き、非常に優れた時計を製作していた時計師だ。この時計はジェファーソンがパリ滞在中に手に入れたものと推測される。後にジェファーソンはこの時計をジェームズ・モンローに贈った。この時計は風防とアウターケースが欠けている。また、日付を示す中央の小さな針も欠落しているようだ。
2010年、クリスティーズはトルコ市場向けに作られた素晴らしいヴォーシェの時計を71万2758ドル販売した。オーレル・バックスによる時計の解説をこちらで聞くことができる。
この時計は、バージニア州フレデリックスバーグのジェームズ・モンロー博物館に所蔵されている。このジェファーソンの時計を分解する様子に興味があれば、ここをクリックして動画をご覧いただきたい。
ジェームズ・モンロー(第5代大統領)
モンロー大統領は、トーマス・ジェファーソンから贈られたダニエル・ヴォーシェの時計に加え、ガブリエルの懐中時計を所有していたことで知られている(上図)。
ガブリエル作の懐中時計
モンロー大統領が所有していたゴールドのガブリエル懐中時計は、親戚から譲り受けたと言われている。この時計の製造年は1700年代半ばと思われる。ムーブメントには“104”の刻印があり、スイスかフランス製で、ロンドンに送られた後、Gabriel of Londonのシグネチャーが刻印された。状態は良好のようだ。ケースバックには、人々が描かれた精緻なリポウズ(エンボス彫り)が施されている。
この時計はバージニア州フレデリックスバーグにあるジェームズ・モンロー博物館に所蔵されている。このジェファーソンの時計を分解する様子に興味があれば、ここをクリックして動画をご覧いただきたい。
アンドリュー・ジャクソン(第7代大統領)
ジャクソン大統領はウィリアム・ハンターの懐中時計を所有していたことで知られている。
ウィリアム・ハンターの懐中時計
ジャクソン大統領は、ウィリアム・ハンターのゴールド製懐中時計を愛用していた。ハンターはリバプールの時計職人だった。ケースの裏には刻印がある。"アンドリュー・ジャクソン・エルミタージュ 1826" 。ムーブメントには“1817”と刻印されている。チェスター1820年のホールマーク刻印があり、ケース製造はN.L.によるものだ。
この時計のストーリーは非常に興味深いものだ。私がオンラインで見つけた "アンドリュー・ジャクソンの金時計の謎 "と呼ばれる本(興味があればこちらを参照してほしい)によると、時計は家族を介して1924年3月に最後のオーナーであるアルバート・マーブル・ジャクソン(アンドリュー・ジャクソンのひ孫)に受け継がれた。彼が1925年1月8日以降、ニューヨークで消息を絶つ前のことだった。しかし、若いカップルが1980年にニューヨーク地域の古い家を購入し、改装を行い、壁の後ろに木製薬棚を発見した時に再び時は刻み始めた。キャビネットの中には、1924年に発行されたニューヨーク・タイムズ紙に包まれた21本の密造ウイスキーが入っていた。キャビネットの底には小さなダンボール箱があり、中にはジャクソンの懐中時計が入っていたのだ。1984年末にレディース・エルミタージュ協会が寄付を募って購入し、1985年に再び展示されるに至った。
この時計はジャクソンの自宅であるザ・ハーミテージ(博物館)のコレクションになっている。
エイブラハム・リンカーン(第16代大統領)
リンカーン大統領はいくつかの懐中時計を所有していたことで知られている。その中には、ジョージ・チャタートンから購入したゴールド製懐中時計、ノーブランドのスイス製ゴールド懐中時計、ウォルサム製Wm.Ellery(ウィリアム・エラリー)、デンマーク製ゴールド懐中時計などが含まれる。
ジョージ・チャタートンから購入した懐中時計
1850年代、リンカーンは、イリノイ州スプリングフィールドの宝石商ジョージ・チャタートンから、イギリス製とされるゴールドの懐中時計を購入した。
この時計にまつわるストーリーは、歴代大統領の時計にまつわるクールなストーリーのひとつに列せられる。2009年、スミソニアン博物館は、時計師で博物館のボランティアでもあるジョージ・トーマス氏にこの時計の文字盤を外してもらい、ムーブメントにメッセージが書かれていないかどうか調査を依頼した。なぜだろうか?2009年2月12日、59歳の弁護士ダグラス・スタイルズ氏は、リンカーンの時計にメッセージが書かれているかどうかをスミソニアンに電話をかけて尋ねたからだ。スタイルズ氏は自身の家系図を調べていて、1906年のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された、南北戦争勃発時リンカーンの時計を調整していたディロンという人物がリンカーンの時計に彫刻を施したという話を見つけたからだった。
スミソニアン博物館はこの話を聞いて、トーマス氏にスタイルズ氏を同席して見てもらうことになった。驚いたことに、文字盤の下のムーブメント側にはこう書かれていた。"ジョナサン・ディロン/4月13日-1861年/サンプター砦[原文ママ]が攻撃を受けた/反乱軍によって/Jディロン/4月13日-1861年 ワシントン/政府へ神の祝福あれ/ジョンス・ディロン" さらに、"LE Grofs Sept 1864 Wash DC. "と読める別の刻印も発見された。そしてレバーを横書きに、 "Jeff Davis(訳注:ジャファーソン・デイビス、アメリカ連合国大統領) "と刻まれている。グロフスは南軍シンパだったのか、それとも後から追加されたものか謎が残る。
この時計はスミソニアン博物館に所蔵されている。
サインの無いノーブランドの懐中時計
1861年、リンカーンがスプリングフィールドからワシントンに向かう旅に出ていたとき、彼の大統領就任を支持していたイリノイ州の共和党派の出版社、イリノイ・ステート・ジャーナルから金製懐中時計とチェーンを贈られた。表蓋にはリンカーンのイニシャルが刻印されている。時計フォーラムでスイス製ではないかという議論を見たことがあるが、それを確認する術はない。
この時計はシカゴ歴史博物館に所蔵されている。
ウォルサム エラリー懐中時計
リンカーンは、1863年1月製造のウォルサム・Wm.エラリーモデル1857を所有していた。これら1857系モデルは、工業化されて最初に成功を収めた時計であった。それは時計の歴史の中で重要な出来事であった。すなわち、大量生産に成功すると、価格は大幅に手頃となったため、このシリーズは北軍兵士のお気に入りとなったのだ。リンカーンの伝記作家もこの懐中時計について触れている:1939年に出版されたエイブラハム・リンカーン:戦時(第3巻)には写真も収められている。Google Booksの抜粋頁で、著者サンドバーグ氏が“リンカーンが三度の戦争に跨って使用した時計、銀製自社ケースNo.E279、ウィリアム・エラリームーブメント、鍵巻上げ機No.67613、1864年にデニス・ハンクスにリンカーンから贈られたもので、右にチェーン、下にはカリフォルニア州代表団からリンカーンに贈呈された金のチェーン、と書かれている。現物はバレット・コレクションに所蔵されている”と記述している。この時計は1863年に製造され、1864年にリンカーンの母方の従弟であるデニス・ハンクスへ譲られたため、サンドバーグがこの時計を“3つの戦争に跨って”使用したというのは間違っているようだ。複数の情報筋によると、この時計はリンカーンが1863年11月19日に行ったゲティスバーグ演説のために贈られたものではないかと示唆しているが、これについての確たる文献を見つけることはできなかった。
バレット・コレクションとは、当時最も多額のリンカーン・コレクターの一人であったオリバー・R・バレットが収集したリンカーン所縁のコレクションのことを指す。1950年にバレットが亡くなった後、コレクションは1952年に競売にかけられた。1955年に出版されたチャールズ・H・コールマンの著書「エイブラハム・リンカーンとイリノイ州コールズ郡」には、この時計についての詳細が記載されている。
ワシントンに向かう途中、ペンシルバニア州アルトゥーナで列車を乗り換えた際に、ハンクスがスリに時計とお金を奪われたそうだ。彼はリンカーンに紛失の事実を伝えた。それから何年も経って、デニス・ハンクスの孫であるT・B・ショーフがオリバー・R・バレットに宛てたデニスの死を知らせる手紙の中でこの事件について述べている。“リンカーンは振り返って机の上から、イリノイ州の地元スプリングフィールドからワシントンまで携えていた古い銀色の時計を取り出し、「デニス、この時計を持っていってくれ。長い間大切にしてきたものなんだ。家に持って帰って面倒を見てくれ」と言った。」そして、彼はワシントンの支持者から贈られた金時計をデニスに見せた。その古い銀時計は、1892年10月21日の死の直前までハンクスが所有していた。彼は1889年1月にエレノア・アトキンソンからインタビューを受けた際、その時計を見せた。"シカゴにエイブに心酔する男がいて 500ドルで買いたいと言ったんだ "と その "シカゴの男 "はチャールズ・F・ガンターという名で、ハンクスの孫娘でイリノイ州パリのM・M・バーニー夫人を通じて実際に500ドルで時計を購入した。ガンター氏はこの時計をシカゴの古いリビー刑務所の建物に展示し、1893年の万国博覧会の際に一般公開した。ガンター氏は最終的にこの時計をオリバー・R・バレット氏に売却した。1952年2月にバレット氏のリンカニアーナ(リンカーン所縁の品)コレクションがオークションで売却された際、この時計はウォルサム・ウォッチ・カンパニーによって購入された。
この時計と一緒に売られたのは、1891年5月14日付けの証明書で、デニス・ハンクスは次のように書いた。"この時計は1864年にエイブラハム・リンカーンからイリノイ州チャールストンの暴動に際し、仲裁に入った功績を労い、ワシントンD.C.でこの時計を贈られた。彼がくれた時計は銀製のウォルサムケース E279 Wm. エラリームーブメント キーワインダー No. 67613、マサチューセッツ州ボストン製だ。私はリンカーンの実の従弟で、彼に読み書きを教えた。"
ウォルサム社は廃業し、その時計が現在どこにあるのか行方知れずだ。あるウェブサイトではスミソニアン博物館が所有していると伝えられているが、未確認情報だ。もし誰か知っている人がいれば、教えていただけると嬉しい。でなくば、私は引き続きeBayを漁るしかないからだ!
デンマーク製と思われる懐中時計
リンカーン大統領が所有していたのは、“J. Jacqueson, Copenhagen”と刻印されたケース付きのゴールド製懐中時計で、1860年頃にティファニー社から購入したとされる。それが最近、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『リンカーン』で効果音として挿入するために巻き上げられ、録音されたことで話題になった。しかし、このことは物議をかもした。どうやら時計師による状態の確認がないまま、時計を開け、潤滑油を差し、操作した可能性があるからである。時計の破損を心配する一部の人々の間で怒りの声が上がった。それにまつわる記事はこちらでご覧いただける。
ムーブメントとダイヤルにはサインがない。チェーンにはイエローゴールドのフォブが付属しており、シーリングスタンプ用のオニキスにゴールドのイニシャル「AL」が彫られている。ケンタッキー歴史協会によると "この時計はエイブラハム・リンカーン大統領が愛用していました。1865年にリンカーン大統領がフォード劇場で暗殺された後、ロバート・トッド・リンカーンがこの時計を相続しました。彼はそれを、従弟のベンジャミン・ハーディン・ヘルムJr.に贈りました。1943年にヘルムは、リンカーンの生涯を語るアメリカの第一人者の一人であるウィリアム・H・タウンゼントに誕生日プレゼントとしてこの時計を贈りました。タウンゼントの死後、時計は彼の娘メアリー・タウンゼント・マーフィーに受け継がれました。マーフィー家はリンカーンが暗殺された夜に懐中時計を携帯していたと信じていましたが、それを裏付ける証拠はありません。その夜のリンカーンのポケットの中身は議会図書館に保管されています。" しかし、ポケットの中には時計は入っていないと報告されているので、その可能性は低いだろう。
アンドリュー・ジョンソン(第17代大統領)
テネシー州立博物館は、アンドリュー・ジョンソンが所有していたとされる金の懐中時計を所蔵している。博物館では、1855~1875年頃のものと推定している。
この時計は、1980年代初頭にマーガレット・ジョンソン・パターソン・バートレットによって博物館に寄贈された。彼女はジョンソン大統領のひ孫娘だった。この時計は、衣類、帽子、ジョンソン大統領の弾劾裁判のチケットなどの書類など、他の多くのアイテムと一緒に展示された。この時計は秒針が欠けており、風防がひび割れている。
デハート氏は、蓋に彫られた像を調査した結果、フリーメーソンの第三階級を表していることを発見した:アカシアの小枝を右手に、もう片方の手で壺を持ち泣いている処女の前には壊れた柱があり、その上に憲法の写しが置かれている。その後ろで彼女の巻き毛を解こうとしているのは時の翁である。メイソンの会員であった事実から、これがジョンソン大統領の時計であったことは合点がいく。
この時計はテネシー州立博物館に常設展示されている。
ユリシーズ・グラント(第18代大統領)
歴史家のケイト・ハヴリンによると、グラント大統領は、妻と3人の子供たちへのクリスマスプレゼントを買うために、1857年12月に金の懐中時計を22ドルで質に入れたことで知られている。これは、グラントがセントルイス近郊の農家になろうと奮闘していた時の最後の貴重品だった。
ラザフォード・B・ヘイズ(第19代大統領)
ヘイズ大統領は、E.ハワード&カンパニーの懐中時計を所有していたことが知られている。
E. ハワード&カンパニー懐中時計
1866年9月14日、義母マリア・ウェブからラザフォード・B・ヘイズに贈られたE.ハワード&カンパニーの金製懐中時計。表蓋の内側にはヘイズの妻ルーシーの写真が貼られている。
このヘイズの時計を分解して調べる様子に興味があれば、こちらの動画をご覧いただきたい。
この時計は現在、オハイオ州フリーモントにあるラザフォード・B・ヘイズ・プレジデンシャル・センターが所蔵している。
ウィリアム・ハワード・タフト(第27代大統領)
タフト大統領は1912年、ニューヨーク宝石商組合から金の懐中時計を贈られた。ジェームズ・マクファーソン編集の書籍「To the Best Of My Ability」(2000年)に紹介されている。これ以上の情報はなく、Amazon.comのブックプレビューからメーカーを特定することはできなかった。
ウッドロウ・ウィルソン(第28代大統領)
ウィルソン大統領はプラハが出自の懐中時計を所有していた。
ジジュラフスキーの懐中時計
最近、ザ・プレジデント・ウッドロウ・ウィルソン・ハウスのアソシエイト・マネージャーでキュレーターでもあるステファニー・ダガーティ女史から、チェコスロバキアはプラハのコレクションの中にある珍しい銀製懐中時計について照会があった。中央の文字盤と裏蓋の上にあるチェコ語でプラハを意味する "Praha "の前には "Žižlavský "と書かれているが、これはチェコ人が会社を設立した町にちなんで社名をつけたことから、おそらくこの時計のメーカーではないかと推測される。
裏面の碑文はチェコ語で書かれている。"1918年ドイツ降伏を記念して ウッドロウ・ウィルソン大統領へ" 1918年に独立したチェコスロバキア共和国の設立を支援したウィルソン大統領への感謝の気持ちを込めて贈られたものだろう。時計の文字盤には世界の60の都市と国の名前が表示されている。まだ世界で1時間単位のタイムゾーンが普及していない時代に、ワールドタイマーに挑戦した時計だったのだろうか。
この時計は現在もワシントンDCのウッドロー・ウィルソン大統領邸のコレクションとして保管されている。
ウォーレン・G・ハーディング(第29代大統領)
ハーディング大統領が所有していたのはハイラム社のフリーメーソン(メイソニック)懐中時計だ。
ハイラム メイソニック懐中時計
ハーディングのメイソニック懐中時計は、ホールマーク社製のムーブメントを搭載したハイラム社製懐中時計だ。14Kイエローゴールド製で、表と裏には様々なメイソンのシンボルが描かれている。メイシーズで販売され、ハーディングは普段使いしていたようだ。
時計は15石のムーブメントを搭載し、シリアル番号3364074が打刻されている。ケースには145と記されている。
この時計は、オハイオ州コロンバスのオハイオ歴史協会のコレクションです。このアダムスウォッチを分解して調べる様子に興味があれば、こちらの動画をご覧いただきたい。
フランクリン・デラノ・ルーズベルト(第32代大統領)
ルーズベルト大統領は、スケルトン化されたミニッツリピーターの懐中時計やティファニーのサイン入りモバード社のトリプルカレンダーを所有していたことで知られている。
A. フランクフェルド ダイヤルがスケルトン化されたミニッツリピーター機構付懐中時計
1942年1月30日、ハバナのライオンズクラブで、キューバの元教育大臣であったボルダン博士が、ルーズベルト大統領にA.フランクフェルドのスケルトン加工されたミニッツリピーターを贈呈した。フランクフェルドはジュネーブに拠点が存在した。文字盤はトランスパレント(透明)で、裏面に鏡文字塗装が施されている。
この時計はニューヨークのハイドパークにあるフランクリン・D・ルーズベルト大統領図書館・博物館に所蔵されている。このFDRの時計を分解して調べる様子に興味があれば、こちらの動画をご覧いただきたい。
ティファニー&Co.サイン入りモバード社トリプルカレンダー
FDRの最後の時計は、14Kゴールド ティファニーサインのモバード社トリプルカレンダーRef. 44776、ケース番号T249743である。この時計は1944年に製造された。FDRの義理の息子が1944年にクリスマスプレゼントとしてこの時計を受け取り、その後FDRに再び贈ったと言われている。この時計は、1945年のマルタ会議とヤルタ会議でFDRが身に着けていたと言われていることから、FDRは人生の最後の数ヶ月間を共にした時計といえる。
この時計は2009年にアンティコルムのオークションに出品されたが、落札されなかった。この時計の所在は不明である。
ハリー・トルーマン(第33代大統領)
トルーマン大統領は、Gallet(ギャレット) フライングオフィサー、ユニバーサル・ジュネーヴ トライコンパックス、ヴァルカン クリケット、アメリカンアカデミー デンバー懐中時計を所有していたことで知られており、ホイヤーのゴールド製クロノグラフも所有していたとされている
ギャレット フライングオフィサー
トルーマンのフライングオフィサーは、初の防水クロノグラフであるギャレット クラムシェルラインの一部でした。ケースバックは4本のネジで固定されており、丸いプッシャーが付いていた。フライングオフィサーは、世界の時間を表示することができる最初の時計として差別化されたモデルだ。ベゼルはホームタイムの都市に設定する必要があり、そこからダイヤルの端にある都市に加え、ベゼルは世界中の主要読むのに。ギャレット フライトオフィサー私が主要都市の時間を読むのに使用する。ギャレット フライトオフィサーの詳細については、以前に私が書いたこの記事をご覧いただきたい。
ケースバックに刻まれたシリアルナンバーは64112。トルーマンのものは、現存することが知られている最も古いものではないにしても、最も古いフライングオフィサーの一つのようだ。この時計は、ミズーリ州インデペンデンスにあるハリー・トルーマン大統領図書館・博物館に所蔵されている。
ユニバーサル・ジュネーヴ トライコンパックス Ref.12551
トルーマン大統領は、1945年のポツダム会議で18Kイエローゴールドのユニバーサル・ジュネーヴ トライコンパックスを着用した。裏面には "ポツダムで着用 / 1945年7月 / by / ハリー・トルーマン "と刻印されている。解像度は十分ではないが、Ref.12551(裏蓋下方の2行の数字の下側がリファレンスナンバーだ)で、シリアルナンバーは1045753に見えるが、最後の一桁が解読不能だ。そのシリアルナンバーから類推すると、1943年から1945年の間に製造されたものだ。
1950年に朝鮮戦争へのアメリカ参戦宣言に署名したトルーマンの写真を見たが、その時もトライコンパックスを着用していたようだ。アップで見ると、細く傾斜したラグの特徴から、明らかにクロノグラフであることがわかる。
このトライコンパックスは1994年にアンティコルムによって23,500スイスフランで販売された。この時計の現在の所有者は不明だ。
ヴァルカン クリケット
1953年、ホワイトハウスの報道写真家たちは、退任時にトルーマン大統領に「One More Please(もう一期続けて下さい)」と裏面に刻印された金無垢のヴァルカン クリケットを贈った。これは、トルーマン大統領図書館・博物館に保管されている。
アメリカンアカデミー デンバー懐中時計
デンバーにあるアメリカンアカデミーの学生たちがトルーマン大統領のために14Kゴールドの懐中時計を組み立て、1949年2月4日にトルーマン大統領に贈った。裏蓋にはこう刻まれている。"この / ハンドメイドの時計は / 寄贈された / ハリー・S・トルーマンに敬意を込め / アメリカ合衆国大統領 / 第一期卒業生一同 / 時計技術部 / アメリカンアカデミーInc. / デンバー、コロラド州、ワシントンD.C.、1949年2月4日"
ムーブメントには "アメリカンアカデミー / デンバー "と "No.1 "の刻印がある。
この時計はハリー・トルーマン大統領図書館に所蔵されている。
ヴァシュロン・コンスタンタン Ref.6108(クロノメーター・ロワイヤル)
ヴァシュロン・コンスタンタンには、トルーマンがRef.6108 クロノメーター・ロワイヤルを所有していたという記録が残っている(ヴァシュロン&コンスタンタンとサインされていた時代だ)。このモデルはゴールド製、センターセコンドムーブメントを搭載し、ケース直径は34mmだった。この時計について、ヴァシュロンが保持していたこの写真の記録以外にはほとんど知られておらず、現在の行方も分かっていない。
ホイヤー クロノグラフ
ハリー・トルーマンがホイヤーのゴールド製クロノグラフを着用していたということがNAWCCの記事に書かれているが、モデルなどの詳細については確証が得られていない。しかし、トルーマンは、朝鮮戦争へのアメリカの関与を開始した国家緊急事態宣言に署名した際、ゴールド製クロノグラフと思われるものを身に着けていた。トライコンパックスの可能性が高いが、ホイヤーの可能性もある。
ベイラー プレジデント
この14Kホワイトゴールドのベイラー プレジデントは、1948年9月26日にトルーマン大統領がサンアントニオを訪問したことを記念した碑文が刻まれている。伝わるところによると、1948年の選挙では、トルーマンは有名な 「ホイッスル・ストップ (小さな駅)」活動を敢行し、その結果、人気者のトーマス・E・デューイに逆転負けを喫した。9月26日にサンアントニオを訪れ、旧総督邸とアラモを見学した。その夜は、ボーフォード・ジェスター知事、アルフレッド・キャラハン市長、サム・レイバーン下院議員を含む来賓の前で演説した。スピーチの中でトルーマンはサム・レイバーンに向かって、レイバーンは“厳格なバプテスト派”であり、トルーマンは“足の軽いバプテスト派”であると指摘したが、安息日にスピーチをしていたことを考えると、その違いに説明はつかないはずで、他の日であれば説得力があったことだろう。この腕時計は、この時、トルーマンが訪問した記念品として贈られたものに違いない。"
ティファニー懐中時計 by C.H.メイラン
このダイヤルにティファニーのサインが入ったゴールド製懐中時計を2014年2月にドイルニューヨークから2500ドルで購入したバイヤーは、2014年5月にHeritage Auctionsにて3万5000ドル(プレミアム含む)で売却し、短期間で大きな利ザヤを稼ぎ出した。
この時計にはティファニーのオリジナルボックスが付属する。
表蓋には美しい“H.S.T.”のエングレービングが施されている。ムーブメントには“C. H. Meylan Watch Co. スイス”と記されており、ムーブメント番号は36957、ケース番号は69159と刻まれている。。
モバード セントクリストファー コインウォッチ
この小さなスターリングシルバーコインの時計には刻印があります。内側のカバーには "To Our Chief Truman Dem. Club Xmas 1952"と刻印されている。コインの両面には"St. Christopher Protect Us"と書かれ、イエスを背負って川を渡る聖クリストファーの姿が描かれている。聖クリストファーは旅人の守護聖人であることから、旅のお供にという意味合いがあったのかもしれない。
その他トルーマンが所有したと思しき時計
ドイルニューヨークとHeritage Auctionsでは、トルーマン大統領夫妻の一人っ子であるマーガレット・トルーマン・ダニエルの遺品から、他にも多くの時計が落札された。これらの時計のどれがトルーマン大統領のものであったか断定できない。詳細はこちらをご覧いただきたい。
ドワイト・D・アイゼンハワー(第34代大統領)
アイゼンハワー大統領はホイヤー クロノグラフ、ロレックス デイトジャスト、ヴァルカン クリケット、文字盤に家族の顔が描かれたハミルトンを所有していた。
ホイヤー クロノグラフ
アイゼンハワー大統領は、1945年に12時間表示のスチール製のホイヤーのクロノグラフを購入したと言われている。この時計を身に着けたアイゼンハワーの鮮明な写真はないが、1946年のカーサ・マッソン(ブラジル リオデジャネイロの正規代理店)のホイヤーの広告に彼の写真が掲載されている。
ブラックダイヤルの時計を身に着けているアイゼンハワーの写真が1枚残されているが、これはおそらくホイヤーのクロノグラフだろう。
ヴァルカン クリケット
アイゼンハワーは在任中、ヴァルカン クリケットを着用していた。面白い話として、スイス製時計へ新たな関税を発表する記者会見の際に、彼がクリケットを着用していたという逸話がある。記者会見中にアラームが鳴り、誰もがそれがクリケットであることを知っていて、ユーモアとしては、かなり偽善的だった。
この時計が今どこにあるかは不明だ
ロレックス デイトジャスト
アイゼンハワー大統領は、ロレックスを持っていたことで知られる最初の大統領である。金無垢のロレックス デイトジャストは同社からアイクにプレゼントされたもので、同社の公式認定クロノメーターとしては15万本目となる。アイクはこれを快く受け入れた。パーソナライズの希望を尋ねられたアイクは、ロレックスに自分のイニシャルと元帥としての地位を示す5つ星を刻印してほしいと頼んだ。ケースバックには“12-19-1950”の日付も刻印されている。ロレックスはジュビリーブレスレットのバックルの外側にも“D.D.E.”と刻印した。
残念ながら、文字盤はどこかのタイミングで交換されてしまったようだ。それも、おそらくアイゼンハワーがまだ所有していた間に。ダイヤルには“T Swiss T“と表記されているが、これは1960年代初頭まで存在しなかった表記である。どこかの時点で、アイゼンハワーはこの時計を付き人のジョン・モアニー軍曹に譲った。
この時計は有名な1952年7月21日発行のLIFE誌の表紙を華々しく飾った。この時計についての詳細は、こちらの記事をご覧いただくとしよう。
この時計は現在ローリー・デギア・エイミックス氏のコレクションとなっている。彼はジョン・モアニー軍曹の未亡人からそれを受け取った。この時計は2014年にRRオークションに出品されたが、落札されることはなかった。売れなかった理由についての分析をご覧いただきたい。
カスタムオーダーされたハミルトン
アイゼンハワー大統領は、ダイヤルに家族の顔が入ったハミルトンを着用していたことで知られているが、その写真は見つかっておらず、現在の場所もわかっていない。
ジュリー・ニクソン(後のジュリー・ニクソン・アイゼンハワーはアイクの孫デビッドと結婚した後)がその時計を気に入ったと発言したことから、アイクはデビッドが婚約した後に、ダイヤルに彼女の家族の写真が入った特別なハミルトンをプレゼントすることになった。
ヴァシュロン・コンスタンタン
1955年のジュネーブサミットに出席した世界のリーダーたちに、スイスの民間人グループがヴァシュロン・コンスタンタンのパーソナライズされた時計を贈った。その時計には、"これらの時計は、自分自身、祖国、世界平和に良い影響を与えるに違いない "というメッセージが刻印された。上のヴァシュロンのアーカイブは低解像度な画像しかなく、アイゼンハワーが着用していたかどうかは不明だ。また、それが何を示しているのかもわからず、これらの時計の現在の所在もわかっていない。
その後、これはRef.6032であり、カンザス州アビリーンのアイゼンハワー図書館に保管されている可能性があるとの情報を得た。詳細は調査中だ。1955年のジュネーブサミットでフランスのエドガー・フォール首相に贈られたRef.6032プレゼンテーションウォッチは、1997年にアンティコルム社から8,050スイスフランで販売された。
グリュエン カーベックス
そして最後に、新たに発見されたものをご紹介しよう。つい最近、アイゼンハワーがエレガントなドレスウォッチを身に着けている画像を見つけた。1943年6月4日、アルジェ連合軍司令部(AFHQ)で撮影されたもので、グリュエン カーベックスに似ている。
ジョン・F・ケネディ(第35代大統領)
ケネディ大統領は、ブローバ、オメガ、ナストリックス、マリリン・モンローから贈られたロレックスのデイデイト(すぐに手放されたが)、カルティエ(タンクではない)を所有していたことで知られている。
ブローバ
昨年、オークションに出品されていたJFKに贈られたブローバをご紹介した。サーモンピンクの文字盤で、ブレスレットには“JFK / 1941”と刻印されている。
詳しくはこちらの記事をご覧いただきたい。この時計はRR Auctionにて2万5428ドルで落札された。
オメガ
おそらくJFKが所有していた最も有名な時計は、友人のグラント・ストックデールがJFKに贈った小型のオメガだ。グラントは大統領選挙前の1960年にJFKにこの時計を贈ったが、裏蓋に“President / Of The / United States / John F. Kennedy / From His Friend / Grant”と刻印して勝利を予言した。
1961年の大統領就任式でJFKはこの時計を着用した。
この時計は、2005年に英ガーンジー代官管轄区で開催されたオークションにて35万ドルでオメガが落札した後、現在同社のコレクションになっている。その後、オメガは記念すべき限定復刻版をリリースした。詳しくはこちらをご覧いただきたい。
ナストリックス
JFKは1963年、デビッドとエヴァンジェリン・ブルースから14Kゴールドのナストリックスの時計を贈られた。彼は泳いでいる時に身に着けるのを好んだと言われている。この時計のムーブメントは何と55石である。不思議なことに、ブルース夫妻ではなく、"From The / Evangelines "と刻印されている。おそらくそれは内輪のジョークで、エヴァンジェリンが費用を負担していると言おうとしていたのだろう。この時計についてはこちらをご覧いただきたい。
JFKが亡くなった後、ジャッキー・ケネディはこの時計をアリストテレス・オナシスにプレゼントし、ラグの間に“FALJ”(For Ari Love Jackie)の文字が刻まれていた。2009年、アンティコルムはこの時計を12万ドルで売却した。
ロレックス デイデイト
もっとも物議を醸している時計のひとつに、JFKが決して手首に着けなかったものがある。それはマリリン・モンローから贈られたゴールドのロレックスのデイデイト。時計には“JACK / いつものように愛を込めて / マリリンより / 5月 29日 1962年”と刻まれている。時計の箱には詩も入っていた。
モンローはこの時計をJFKの側近だったケネス・オドネルに渡したと言われている。ケネディがそれを見た時、オドネルに "処分しろ "と言ったとされる。このシーンは ミニシリーズ「ケネディーズ」の第7話で描かれているが、JFKがRFK(弟ロバート)に“処分するように”と指示している。
アレキサンダー・オートグラフは2005年にこの時計をオークションにて12万ドルで販売した。東海岸在住のコレクターが購入したといわれている。
カルティエ
ケネディ大統領は、1957年の結婚4周年記念にジャッキーから贈られた薄いカルティエの時計を所有していた。カルティエは一般的に、この種の丸型でタンクではない時計を他のスイスメーカーからOEMしていた。この時計の外観からして、ヴァシュロン・コンスタンタン製であっても不思議ではない。ケースバックの写真では、ラグの裏蓋に刻まれた数字が確認できる。どうやら156番のようだ。
これが暗殺された時に身につけていた時計で、病院で手首から外され、ジャッキーに手渡されたと言われている。その後、ジャッキーはこの時計をJFKの秘書であるエブリン・リンカーンに渡し、彼は他の多くのJFKのアイテムと一緒にロバート・L・ホワイトに渡した。このカルティエの腕時計については、ロサンゼルス・タイムズやボルチモア・サンを含む多くの出版物で言及されている。
オンライン情報源の多くは、JFKがカルティエ タンクを着用していたことを示唆しているが、カルティエを着用していたとされる写真には、実際には形がよく似たオメガを着用していたと私は確信している。ニューヨーク・タイムズによると、JFKは1963年に“To Jackie. Love, Jack”と刻印されたカルティエのタンクを1963年にジャッキーにプレゼントした。
この記録によると、JFKのカルティエの時計は現在、個人のコレクターの手元にあるようだ。
リンドン・ベインズ・ジョンソン(第36代大統領)
ジョンソン大統領は、文字盤に "Do Unto Others As You Would Have Them Do Unto You (自分が人にしてもらいたいことを、自分も人にしてあげよ)"と書かれたパテック フィリップのRef.2526、ダイヤルにLBJのイニシャルが入ったヴァルカン クリケットカレンダー(カレンダーのない別のヴァルカン クリケットも所有)、裏蓋に大統領シールが刻印されたジャガールクルト メモボックス、ハミルトン パッカー、ロレックス デイデイトを所有していたことが知られている。
パテック フィリップ Ref.2526
リンドン・ベインズ・ジョンソン(LBJ)は、パテック フィリップを間違いなく所有していたと私たちが知る唯一の大統領である。彼が所有していたのは、ティファニーを通じて注文された18Kイエローゴールド製のRef.2526で、イエローゴールドの特別なティファニーブレスレットが付いていた。これらのRef.2526は非常に収集性が高く、特にLBJの時計のように美しく、非常にこわれやすい繊細なクリーム色のエナメルダイヤルを持つ。エナメルダイヤルの中央付近には、"Do Unto Others As You Would Have Them Do Unto You "と書かれており、処世における黄金律としても知られている。サザビーズによると、LBJパテックのムーブメント番号は760134、ケース番号は682113だ。ムーブメントの写真を見ると、明らかにHOXのインポートマークがあり、ニューヨークのHenri Stern Watch Agencyによって輸入されたことが示されている。
Ref.2526は、パテック最初の自動巻きだ。それは有名なキャリバー12-600、間違いなくこれまでに作られた最も美しい自動巻きムーブメントの一つを搭載していた。興味深いことに、LBJの時計は、J.B.Championに販売されたシリアル760000のRef.2526からわずか134番しか隔てていない。そう、かのJ.B.チャンピオンのことだ。
実際、存在が知られている“Do Unto Others~”の文字盤を持つRef.2526とRef.2552パテックのモデルが多数存在する。1953/1954年にティファニーから注文されたものと1956/1957年にティファニーから注文されたものだ。一部の人々やオークションハウスは、これらの文字盤を持つ時計を "メイソニック "パテックと呼んでいる。これは、LBJが1937年にフリーメーソンに入会したとされているので、誤りではないが、彼は入会後は活動に熱心ではなかった報告されている。しかし、本当のところは、LBJは単に黄金律のファンだったようで、公私ともに頻繁に黄金律について言及していた。
私たちが見てきたこのダイヤルを持つパテックは全て、もともとティファニーを通じて販売されたもので、Ref.2526またはRef.2552のいずれかであり、イエローゴールドのケースに入れられているという事実が知られている。また、多くはパテック純正のゴールドブレスレットを装着していた。LBJはティファニー製の贈り物を惜しみなく与える人物としても知られていた。
時計に関して言えば、ティファニーからの購入品には以下が含まれる:
- LBJ自身のRef.2526(ムーブメント760134、ケース682113)
- Ref.2526(ムーブメント760620、ケース682107 - LBJのパテックの5番手前)、ダイヤルにTiffany & Co.サインとティファニー製ゴールドブレスレットはアルバート・トーマス下院議員(テキサス州選出)に1954年にLBJから贈られた。2012年にサザビーズにて6万8500ドルで落札された。
- Ref.2552(ムーブメント762499、ケース693476)1956年にLBJがジョージ・スマーザーズ上院議員(フロリダ州)に贈ったゴールドのティファニー ブレスレットを、2010年にボナムズが3万3500ドルで売却。
- 2012年にクリスティーズによって2万4270ドルで売却されたゴールドPPブレスレットに "Tiffany & Co. "のサインが入った文字盤のRef.2526(ムーブメント760490、ケース682029)。
- 以前ボブ・マロンが販売していたRef.2526。
- Ref.2526(ムーブメント763479、ケース695979)、ゴールドブレスレット、2000年にアンティコルム社にて81,600スイスフランで販売された。注:これは、ここで紹介したアンディ・ウォーホルのRef.2526(ムーブメント763541、ケース695960)に非常に近いものだ。
- Ref.2552(ムーブメント 763197、ケース 696655)、ゴールドのティファニーブレスレットに "Tiffany & Co. "とサインされたダイヤル、クリスティーズが2005年に3万4274ドルで、再び2009年に1万8630ドルで販売したもの。
- Ref.2552(ムーブメント760644, 682140)のダイヤルに "Tiffany & Co. "のサインが入っている(残念ながらダイヤル交換済み)。2008年、2009年5月、2009年12月にヘリテージオークションで販売を試み、最終的にはeBayで2011年に数回出品された。こちらはケースバックに“Rhea Foust / November, 1956 / From W. West”とサインが入っている点が少し変わっている。ヘリテージの説明によると、ファウスト(Foust)の家族は、この時計は“カリフォルニア州オレンジ郡の沖合の油井を掘削する許可を得ようとしていた企業家”であるウェストリー・ウェストからレアに贈られたものだと述べている。ファウストはバルボア館とカリフォルニア沖のギャンブル船を所有していた。この時計はおそらく1954年にLBJが注文したもので、LBJのパテックから27本しか出ていない。ウエストが1956年11月にこの時計をファウストに渡したことを考えると、おそらくウエストはLBJからこの時計を受け取ったか、あるいはLBJから受け取った誰かから何らかの形でこの時計を手に入れたのだろう。当時ウエストが石油に関わっていたのであれば、テキサスに頻繁に出入りしていたか、テキサスを拠点にしていたと推測できる。
- 先月、たまたまマイアミビーチで見かけたゴールドブレスレットにTiffany & Co.とサインされたダイヤルのRef.2552(元記事はこちら)
この時計の分解に興味がある読者は、こちらの動画をご覧いただきたい。NAWCCのビデオによると、LBJ博物館には別の "Do Unto Others... "時計が所蔵されているそうだが、詳細は不明だ。LBJがこのパテックを着用していたとは考えにくい。写真や文書での証拠はないからだ。彼がこの時計を博物館に贈ったことは判明しているので、彼が身に着けていたか、あるいは贈答品の余りだったのかもしれない。
この時計はテキサス州オースティンのリンドン・ベインズ・ジョンソン図書館・博物館に所蔵されている。
LBJは、1964年にハミルトン エレクトリックの時計に似たようなダイヤルを付けてプレゼントした。この時点で、LBJは大統領職に就いていた。そのためか、ダイヤルには彼のイニシャルが入っている。したがって、"Do Unto Others... "の表記のあるパテックは全て当時のジョンソンが上院議員時代に特別に注文したものだと確信を私は強めている。
ハミルトン ペイサー
1958年、LBJはウェストバージニア州のマクダウェル郡の民主党を訪問した際に、電動10Kゴールド充填のハミルトン ペイサーを贈呈された。"贈呈 / 上院議員 / リンドン・B・ジョンソン / 一同 / マクダウェル郡 / 民主党支部 / Welch, WV / 1958年10月18日". 記録によると、彼はその日に確かに彼らを訪問した。
時計は黒のダイヤルを持ち、映画「ブルークラッシュ」でエルビス・プレスリーが着用していたことで有名なハミルトン ベンチュラを彷彿とさせる、非常に個性的なハミルトンのデザインだ。ぺーサーは、ホワイトゴールドのラグとイエローゴールドのボディのツートンカラーで、通常モデルは全てゴールドメッキだ。
1960年の選挙運動中にLBJが着用していた写真が残されているが、1961年の就任式の頃には着用しなくなったようだ。
ヴァルカン クリケットカレンダー Ref.3105004
LBJはヴァルカン クリケットを愛用したといわれている。彼は自分の大統領博物館に、金メッキの日付入りクリケット(Ref.3105004)を贈った。クリスタルには日付の上に拡大鏡が付いていて、ダイヤルには彼のイニシャルが刻まれている。また、オリジナルの金メッキのヴァルカン純正バックルも付属する。
LBJが別の、カレンダー無しのヴァルカン クリケットをブレスレットにつけている写真が残されている。こちらはツートーンダイヤルのようだ。カレンダー無しのクリケットには、カレンダー付バージョンよりもかなり大きな音のアラームが付いていた。
LBJはヴァルカンに手紙を書いた。"クリケット アラームウォッチを私に用意してくれた御社に深く感謝しています。これがないと物足りなさを感じているほど、とても大切にしています。" LBJはクリケットのファンだったと言われており、彼が会議でジュネーブにいるときには、スタッフに頼んで贈答用にクリケットを買い占めるよう指示した。
この時計はテキサス州オースティンにあるリンドン・ベインズ・ジョンソン図書館・博物館に所蔵されている。
ロレックス
ジョンソン大統領といえば、イエローゴールドのロレックス デイデイトが最も連想されるかもしれない。彼はそれを身に着けていたが、現在では "プレジデント "ブレスレットと呼ばれ、デイデイトは頻繁に "ロレックス プレジデント "と呼ばれるようになった。LBJがこのロレックスを身に着けていた写真は多く残されており、特に執務室内での写真が多い。
このロレックスの現在の所在は不明だ。
ケースバックに大統領シールが刻印されたルクルト メモボックス ワールドタイム
昨年(2013年)のeBayに、ケースバックに大統領シールが刻印された特別な14Kイエローゴールドのメモボックスが出品された。売り手によると、以前はLBJが所有していたそうだ。ジャガールクルトではなく、ルクルトのみのサインが入っていることからも、アメリカ市場向けであったことがわかる。
この時計についてはこちらの記事をご覧いただきたい。
この時計は2013年10月にeBayで落札された。9万9500ドルで出品されていたが、それ以下のオファーで売却された。
リチャード・ニクソン(第37代大統領)
ニクソン大統領はヴァルカン クリケットを着用していたことで知られている。彼とスピロ・アグニュー副大統領は、月面着陸後に18Kゴールドの限定モデル オメガ スピードマスターをプレゼントされたが、二人とも辞退してしまい、それらは現在、オメガのコレクションに収蔵されている。ニクソンの時計はオメガ ミュージアムに展示されている。
ヴァルカン クリケット
1955年5月20日、全米時計収集家協会(National Association of Watch and Clock Collectors)は、ニクソン副大統領(当時)との会談後、ヴァルカン社のクリケットを贈った。1960年、彼はヴァルカンに修理を依頼し、“過去5年間、素晴らしいサービスを提供してくれ、世界中で私の目覚まし時計として活躍してくれました”と述べている。
ジェラルド・フォード(第38代大統領)
フォード大統領はパルサー3376デイトコマンドを所有していたことが知られている。また、フォード大統領は1995年にヘルシンキ合意20周年を祝っている間に、ケイヨ・パーヤネンからヴァルカン クリケットをプレゼントされた。彼が着用したかどうかは不明だが、その時計にまつわる話こちらで読むことができる。
パルサー3376デイトコマンド
フォード大統領がニクソンの恩赦に関する下院小委員会の公聴会で着用していることが話題になったのが、ゴールドのLEDパルサーだった。当時、この時計はかなり高価だったが、金無垢のバージョンほどではなかった。マスコミはそれが贈り物かどうか知りたがっていた。もしそうであれば、それは贈答品の限度を超えていたかもしれないからだ。実際、贈答品ではあったが、フォードの親友であり、かつてフォードの法律顧問を務めていたホワイトハウス法律顧問のフィリップ・D・ブッヘンが大統領になる前に贈ったとされている。パルサーの時計ケースを製造していたミシガン州ルディントンのスターウォッチケース社の取締役を務めていたブッヘンが、最初にこの時計を贈られたことから、この時計は再寄贈されたものだった。ブッヘンはすでにひとつ所有していたので、フォードに譲ったのだった。
フォードは報道の注目を浴びるため着用を中止したと言われたが、沈静化すると再び着用を始めた。
この時計の現在の所在は不明。
ジミー・カーター(第39代大統領)
カーター大統領がどんな時計を身に着けていたのか正確にはわかっていないが、彼が手首の内側に時計本体、手首の外側にバックルというスタイルで身に着けていたこと、そして今もそうしていることがわかっている。彼と同世代の一部の人々は、そのようなスタイルで時計を着用しており、私が聞いたことのあるその理由に、会議中や公の場で話しているときに、他の人に知られずに時間を確認しやすいからだというものがある。また、風防に傷がつかないようにするためという人もいるということだ。
より最近の写真では、カーターは何らかの種類のアナログデジタル時計を身に着けている。おそらく古いタイメックスだろう。詳細についてご存じの方はコメントからフィードバックしてほしい。
さらに、カーター大統領は1997年にケイヨ・パーヤネンからヴァルカン クリケットを贈られている。彼が身に着けたかどうかは不明だが、この時計の詳細について、こちらで読むことができる。
ロナルド・レーガン(第40代大統領)
レーガン大統領はロレックスのデイトジャストを所有していたことで知られている。また、レーガン大統領は1988年にケイヨ・パーヤネンからヴァルカン クリケットをプレゼントされた。実際に着用していたかどうかは不明ですが、この時計の詳細について、こちらで読むことができる。
ロレックス デイトジャスト
1965年に撮影されたロナルド・レーガンの写真には、ジュビリーブレスレットにスチール製のロレックス デイトジャストと思われる時計を身に着けている姿が写っている。
この時計の現在の所在は不明。
ジョージ・H・W・ブッシュ(第41代大統領)
ジョージ・H・W・ブッシュがどんな時計を身に着けているのか定かではないが、1992年の大統領討論会では何度も時計をチェックしていたことで有名だ。その姿は視聴者に、違和感、疎外感、非常識さを強烈に印象付けた。以降、大統領候補者は討論会中に時計を見ないように躾けられることとなった。
さらに、ブッシュ大統領は1990年のヘルシンキサミットの際に、ケイヨ・パーヤネンからヴァルカン クリケットを贈られた。身に着けていたかどうかは不明だが、詳細についてこちらで読むことができる。興味深いのは、ミハイル・ゴルバチョフも同じ時期にクリケットを贈られ、後にタイム誌の表紙にそれを着用している写真が掲載されたことだ。
ブッシュ大統領も息子もゲイリー・クレア氏からクレアウォッチ(ダラスに本拠地を置く時計会社)をプレゼントされているが、彼が着用しているかどうかは不明だ。
懲りないのか、彼は2008年の共和党全国大会でのローラ・ブッシュ発言の際に、再び時計に視線を落としているところをキャッチされている。
ビル・クリントン(第42代大統領)
時計を追跡するのが難しい大統領がいるとすれば、それはビル・クリントンだ。クリントンは在任中にタイメックスのアイアンマンとLIPの時計を所有していたことで知られている。オフィスを去った後、彼はジャガールクルト、ロジェ・デュブイ、ロレックス(PVD加工されたプロハンターサブマリーナ)、オーデマピゲ、パネライなどの時計を含む驚異的な数のコレクションを擁しており、ここに挙げたのもほんの僅かである。
タイメックス アイアンマン
クリントンは大統領としてタイメックス アイアンマンのデジタルウォッチを身に着けたことで物議を醸した。ニューズウィーク誌はそれを "テクノロジー・オタク "と表現した。クリントンは1993年の就任舞踏会にも着用し、ワシントン・ポスト紙のスタイリングに関するコーナーでは「見苦しい汚点」と「歪な物体」と揶揄された。この時計はまた、ヨーロッパの時計愛好家を怒らせたようだ。クリントンはそれ以来、初期のアイアンマン ウォッチをスミソニアン博物館に寄贈し、国立アメリカ歴史博物館の大統領コレクションの一部となっている。
1994年、クリントンはDデー・ノルマンディー上陸50周年を記念してLIPの腕時計を贈られたが、正確な内容は不明だ。その後、クリントンは大統領在任中に、おそらくタイメックスのアナログ時計を身に着けるようになった。
さらに、クリントン大統領は1997年にケイヨ・パーヤネンからヴァルカン クリケットを贈られた。下のクリントンの写真は間違いなくヴァルカンだが、彼に贈られた時計そのものであるかどうか100%確証は得られていない。
A. ランゲ&ゾーネGrosse Langematik Gangreserve (ランゲマティック・ビッグ・パワーリザーブ)
クリントンは、高級時計販売店ヴェンペ100周年記念に作られた限定モデルA.ランゲ&ゾーネ ランゲマティック ビッグ・パワーリザーブを身に着けている姿も目撃されている。クリントンの手首に装着されているのは、プラチナ製の100本のうちの1本だ。
大統領職退任後
クリントン大統領は退任後、非常に印象的な時計を身に着け始めた。クリントン大統領は実際コレクターであり、その好みや好みを詳しく調べてみる価値があるので、ここでは全てをリストアップするのではなく、将来別の機会に譲るとしよう。
ジョージ・W・ブッシュ(第43代大統領)
ジョージ・W・ブッシュはタイメックスを着用していたことで知られている。彼は2000年の選挙運動中にタイメックス i-コントロールを着用していたと報告されているが、その後、白い文字盤と黒い数字のシンプルなスチール製タイメックス インディグロに切り替えたようだ。時計の写真では、12時位置にアメリカ国旗が描かれている。
もし自分用に一本ご希望であれば、ジョージ・W・ブッシュ大統領センターで、実際にGWB自身の時計をベースにした金メッキバージョンを59.98ドルで購入することが可能だ。これはちょっとした安物ではあるが、オンラインで購入することができる(編注:現在は販売中止)。
ブッシュ大統領在任中の注目すべ瞬間といえば、2007年にアルバニア人ファンのグループと握手をしていた時のこと。ブッシュ氏の腕時計が突然手首から消え、盗まれたのではないかと報じられたが、ホワイトハウスは先に腕時計を外してポケットに入れていたと後に弁明することなった。この事件の様子の動画はこちらで見ることが可能だ。
さらに最近では、中国 上海でデヴィッド・ブレイン氏がブッシュ大統領の手首から腕時計を盗んだ事件が起きた。
ブッシュ大統領と父親は、ゲイリー・クレア氏からクレアウォッチ(ダラスに本拠地を置く時計会社)をプレゼントされたが、ブッシュ大統領が着用したかどうかは不明。
バラク・オバマ(第44代大統領)
バラク・オバマの時計は、多くの人が調査済みだ。彼はヨルグ・グレイのクロノグラフ、タグ・ホイヤーのシリーズ1500ツートンダイバーウォッチ、ニューバランスN7を所有し、着用していることで知られている。子供の頃はかなり大きなカフストラップにメーカー不詳の時計を着けていたらしく、この写真とこの写真をご覧いただくとわかる。
彼の時計に関する全ての情報はOnTheDash.com/docs/obamaで見ることができる。このサイトは、オバマのヨルグ・グレイのクロノグラフを最初に特定した著名なホイヤーのコレクターである友人のジェフ・スタインによって運営されている(現在は運営停止)。私たちは別のオバマの時計を調査している。さらに、ヴァルカンはオバマ当選時に、特別にエングレービングされたヴァルカン クリケット アニバーサリー ハートをオバマ氏に贈った。
タグ・ホイヤー シリーズ1500 ツートンダイバー
バラク・オバマは、1997年から2007年までの10年間、タグ・ホイヤー1500ツートンダイバーをほぼ毎日着用していたことで知られている。大統領になってからも非常に稀ではあるが着用することもあった。ブラックのレザーストラップを装着していたようだ。
ヨルグ・グレイ クロノグラフ
2007年8月4日の誕生日を記念して、シークレットサービスがギフトショップで購入した、ダイヤルにシークレットサービスのロゴが入ったヨルグ・グレイと、白いステッチが入ったブラックのレザーストラップの腕時計をプレゼントした。ムーブメントは日本製。キャンペーン期間中、ジェフ・スタインが謎を解くまで、誰もこの時計が何なのかを知ることができなかった。時計はベゼル以外スチール製で、クロムメッキが施されている。
素晴らしい宣伝のおかげで、ヨルグ・グレイは急速に事業を拡大し、おそらく企業ロゴ入りの時計を販売するという彼らの夢をはるかに超えることができた。彼らは6500シリーズのクロノグラフを発表したが、文字盤にシークレットサービスのロゴがないことを除けば、オバマ大統領のものと同じだ。
ハイギア エンデューロ
オバマ大統領は大統領就任当初、カジュアルスポーツウォッチとしてハイギアのエンデューロコンパスを着用していた。次の時計のために引退したようだ。この時計についてはこちらのページをご覧いただきたい。
ニューバランス N7
ニューバランスN7は、オバマ氏の現在のカジュアルウォッチだ。スキート射撃の時などに着用していたようだ。
ヴァルカン クリケット アニバーサリー ハート
ヴァルカンは、オバマ大統領の就任を記念して、スチール製ヴァルカン アニバーサリー ハート オートマティックを贈った。ケースバックの周りには、以下のように刻印されている。"President Of The United States Nov. 4th 2008 / Barack Obama "。ムーブメントにも "Barack Obama / Nov 4th 2008 "の刻印がある。
ヴァルカンは2009年8月14日付でオバマ氏から署名入りの手紙を受け取った。“親愛なるバーナード:あなたの親切な贈り物に深く感謝します。書籍と美しい時計をありがとうございます。あなたの思いやりと寛大さには、とても感謝しています。世界が相互依存関係を深めていく中で、米瑞二国間の利益のために協力し合えることを、とても嬉しく思っています。改めて、素晴らしい贈り物をありがとうございました。敬具 バラク・オバマ”
オバマがヴァルカンを着け続けるか興味深いところだが、おそらく彼がオフィスを去るまでは、そうはいかないだろう。
2016年更新:ドナルド・トランプ(第45代大統領)
我々の新しい大統領が就任した - ドナルド・ジョン・トランプ。トランプ氏は、時計に関しては初心者ではない。実際、彼は2005年にクオーツ時計のライン、ドナルド・J・トランプ・シグネチャー・コレクションをリリースしたからだ。残念ながら、我々はまだ彼がこれらの時計を着用する姿を見ていないが、我々は彼が素晴らしい高級時計を着けているのを見てきた。そのリストを紹介しよう。
ヴァシュロン・コンスタンタン ヒストリック ウルトラファイン 1968年
トランプ氏は遡ること2015年、投票当夜に、ピンクゴールドのエレガントなヴァシュロン・コンスタンタンのヒストリック ウルトラファイン1968を着用しているところを目撃された。ヒストリック ウルトラファイン 1968は、厚さ5.4mmの薄型ケースとスクエアケースの形状で知られ、自動巻きムーブメントCal.1120を搭載している。この時計の詳細はこちらからご覧いただける。
イエローゴールドのロレックス デイデイト
ドナルドが着用することが知られているもう一つの時計は、イエローゴールド製のロレックス デイデイトで、この時計のブレスレットは、世界中の有名なリーダーが身に着けたことからそのニックネーム「プレジデント」を得た。これが現代のモデルかヴィンテージモデルかは不明だが、トランプ氏の現在の職位を考えると辛辣な批判を招くに違いない。
ロナルド・レーガンのコリブリ
1999年、アンティコルムとトノーはチャリティーのために「Famous Faces」オークションを開催した。その中には、ロナルド・レーガン元大統領と彼のコリブリも含まれていた。トランプ氏はこの時計(7000ドル)を落札したが、悲しいかな、彼が身に着けた姿の写真は存在しない。
ユニバーサル・ジュネーヴ "セナ" クロノグラフ
トランプ氏とユニバーサル・ジュネーヴは、同じFamous Facesオークションにイエローゴールドの「セナ」クロノグラフを共同で出品した。1997年に発表された「セナ」クロノグラフは、故F1ドライバーのアイルトン・セナにちなんで命名された。オークションでは6000ドルで落札された。
アザド パワー トゥールビヨン
トランプ氏は、2009年にニューヨークのアザド社からステンレススチール製の“パワー トゥールビヨン”をプレゼントされ、テレビ番組「アプレンティス」に出演した際に活躍した。この時計の価格は9950ドル。最近はこの時計を身に着けている姿を見かけることはないが、まだ彼のコレクションの中にあると思われる。
パテック フィリップ エリプス
最後に、トランプ氏は、ブルーダイヤルに一体型ブレスレットのイエローゴールド製パテック フィリップ エリプスを頻繁に身に着けている。この時計は確かにエレガントな時計だが、その形状とデザインは、長年にわたって二極化していることが証明されている。
全米古典時計協会(NAWCC) に格別の感謝の意を表する。2008年に開催されたTime in Office展では、この記事のために多くの資料と写真を提供していただいた。さらに、以前NAWCCの展示を主題について論じたノーマ・ブキャナンに感謝する。
種々雑多な情報源からこれらの情報を全て収集しようとするのは、かなりの長旅となった。私はこの記事を可能な限り包括的なものにしようと試みたが、もちろん、私が見逃してしまったものや、一般的には知られていないものや未発見のものもたくさんあるだろう。もし見逃したものをご存知でしたら、コメントから知らせてほしい。ひょっとすれば記事を更新できるかもしれない。