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Dispatch ジロ・ディ・マンケイ、オーストリアの頂を駆け上がる二輪の旅

過酷なヒルクライム、けたたましく鳴くマーモット、そしてすべてを結びつける1本の時計。

これはレースではない。レースであるはずがない。なぜなら私たちは皆、これはレースではないと合意しているからだ。にもかかわらず、私はここにいる。

 私の頭のなかで真っ赤な5つのライトが点滅し、維持不可能なペースと持続不可能な心拍数を警告している。前走者のホイールと自分のホイールをつなぐ見えないゴムが伸び、今にも切れそうになるあの切迫感が胸を締めつける。道は緩やかに左へカーブし、さらに空へと伸びていく。カーブを抜けた瞬間、オーストリアのホーエ・タウエルン山脈が雲のなかから姿を現し、岩と氷河が彫り上げた上腕二頭筋のようにその全貌を広げた。その驚きは一瞬で消え、車輪を失う恐怖と、本当の苦しみはまだ始まったばかりだという冷酷な現実が押し寄せてくる。

 イタリア語で“大いなる走り”を意味する“グランフォンド”は、サイクリング界の口語表現でまさに大きな1日を指す。通常は何百人、何千人という参加者が集まり、多くはこれはあくまでレジャーライドであり、“レースではない”という暗黙の紳士協定を結んでいる。だが、その先端には別の層が存在する。全体のわずか1%、真逆の協定、これは絶対に疑いなくレースであるという協定に従う者たちだ。彼らはニュートラル走行からすでにポジション争いを始め、序盤の逃げを作るために同盟を組む。補給所を強行突破してアタックを仕掛け、先頭付近に近づこうとする者すべてに可能な限り過酷な1日を強いるのだ。

bikes

新しくオープンした F.A.T. インターナショナル マンケイ アルパインハット。

 国内で最も標高の高い舗装道路として知られるグロースグロックナー山(大まかに訳せば“大いなる鐘楼”)は、標高2428mのフィッシャテール峠と2504mのホーホトール峠を結び、約50kmにわたってヨーロッパ屈指の絵葉書のように美しいアルプスの舗装道路が続く(HODINKEEでも以前紹介した道だ)。

 サイクリストにとって、公式のストラヴァ区間(北から南へ、ツェル・アム・ゼー郊外を経由)は標高差約5500フィート(約1675m)に及ぶ途切れのない登坂で、勾配は6〜15%の範囲を行き来する。頂上のエーデルワイスヒュッテへ向かう最後の区間では、エーデルワイス・シュピッツェの石畳のつづら折りが待ち構え、滑りやすく涙が出るほどの激坂がサイクリストの自尊心を完全に打ち砕く。ヨーロッパ全土、いや世界中を探しても、この道に匹敵する道路はほとんど存在しない。それゆえ、この伝説的な道がポルシェの高性能マシンにとって最初期のテストコースのひとつとなったのも不思議ではない。

cobblestone road

 このライドはいわばグランフォンドのようなものだ。繰り返すが、私たちはレースをしているわけではない。具体的にはジロ・ディ・マンケイ(the Giro di Mankei)と呼ばれる、比較的新しい80kmのポイント・トゥ・ポイントライドで、ツェル・アム・ゼー湖畔からオーストリア最高峰へと向かい、恐るべきグロースグロックナー高山道路を経て、頂上にあるポルシェのF.A.T. インターナショナル マンケイ マウンテンハットに至るものだ。私がこの道を走るのは、ポルシェデザインのクロノグラフのダイヤルに描かれた怒れる小さなマーモットのモチーフの意味を探すためである。読者の皆さん同様、GT3の助手席に乗っていけばよかったのでは? と思うかもしれない。

 ポルシェといえば、このジロ・ディ・マンケイはフェルディ・ポルシェ氏(Ferdi Porsche/2022年の素晴らしい『Talking Watches』は必見だ)が、遊び心にあふれたウィーン拠点のサイクリングコレクティブであるBBUCと協力して考案したイベントであり、自動車と自転車の両方を祝福するハイブリッドなサイクリングイベントとなっている。そしてそれは、すでに象徴的存在となった冬のアイスレース(かつて私たちはそれを“冬でもっともワイルドなモータリングイベント”と呼んだ)など、F.A.T. インターナショナルのライフスタイルイベントを補完するものでもある。

 ジロのフォーマットは至ってシンプルだ。山を登り、パーティをし、そして下る。まだ始まったばかりのイベントだが、その光景はラファ プレステージのセミコンペティティブなチームスピリットと、グラインデューロのライド&リラックスの雰囲気を融合させ、さらにヨーロッパでしか味わえない山頂での“アプレ”フィニッシュを加えたものだ。そして3年前に歴史あるマンケイ アルパインハットを購入・修復したフェルディ・ポルシェ氏は、サイクリストやモータリング愛好家にとっての活動拠点に最適な場を手にした。そこは、夏のハイマウンテントレックを目玉に訪れる多くのドライバーにとって、単なるカフェや休憩所以上の存在となっている。

winding mountain road

 集団の前方で声が上がり、チェーンが大きなギアを必死に探す金属音が響く。ここが計測区間の始まりなのだろう。私たちは“ザ・ホーン”と呼ばれる特徴的な岩の突起の下をくぐり抜ける。ヘッドユニットが一斉に鳴り響き、この日の本当の勝負区間、サイクリング用語で言うKOM(キング・オブ・マウンテン)の目には見えないスタートラインを告げる。私はすでに限界を超えていた。もう出せる力は何も残っていない。それでも山小屋までは少なくとも6kmある。

 私はリップコードを引く。見えないゴムは切れ、集団からドロップした。

downhill cycling

 後方へと漂うように下がっていくと、集団はあっという間に数バイク分先へと離れていった。私は彼らを追うのをやめた。狭まっていた視界が徐々に広がり、意識を取り戻しながら周囲の景色を確かめる。耳の奥で188bpmの鼓動が激しく鳴り響き、荒い呼吸の音以外の感覚を奪っていく。しかし188は183へ、そして179へと落ち、172になるころには聴覚が正常に戻った。高山の小川が道路の下を流れ、そのせせらぎがほかの感覚を呼び覚ます。急速に薄くなる空気のなかに、土のような濃い匂いが漂う。滑らかな舗装路をタイヤが奏でるハミング、34Tチェーンリングが90rpmで回転する規則正しい唸りが耳に届く。

 私のペースは滑らかでゆったりとしたものに変わり、すでに逃げグループからは大きく遅れ、2024年ツアー・オブ・オーストリア第4ステージでベン・オコナー(Ben O'Connor)が記録したストラヴァKOMからもはるか彼方にいる。谷を隔てた向こう側では、朝日に温められた東向きの緑豊かな斜面に、カウベルの軽やかな音が点々と響いていた。

cycling in mountains

一団がザ・ホーンを通過していく。この日のKOMチャレンジのスタート地点だ。(Photo by Ruben Best)

 およそ90年前の1934年9月22日、グロースグロックナー高山道路が初めて自動車で全線踏破された。ステアリングを握ったのはザルツブルク州知事フランツ・レール(Franz Rehrl)と道路技師フランツ・ワラック(Franz Wallack)で、彼らはオーストリア製の大幅に改造されたシュタイヤー100を駆り、5時間かけて登頂を果たした。一方で2024年、ベン・オコナーはカーボンファイバー製のヴァンリーゼル・RCR プロを駆り、このグロースグロックナー区間をわずか1時間強で走破した。もっとも公平を期すならツアー・オブ・オーストリアは北から南へ下るルートであり、開拓者たちの挑戦は峠の南側からの登坂だったのだが、ここでそれを議論しても意味はない。重要なのは、このほぼ1世紀にわたりグロースグロックナーが自動車愛好家の遊び場であり、サイクリストにとっては憧れの挑戦であり続けてきたということだ。

 頂上が近づくと、その理由は容易に理解できる。

group of cyclists

フェルディ・ポルシェ氏がGT3を駆り、山頂へと迫るチームBBUCを鼓舞する。 (Photo by Ruben Best)

bike and car on mountain road

グロースグロックナーに挑むならどちらを選ぶ? ポルシェ GT3か、それともSRAM Red AXSとジップ303ホイールを備えたスペシャライズド ルーベ S-ワークスか。

 背後から間違えようのない唸り声が迫ってくる。フラット6エンジンがシンクロしてシフトダウンしているのだ。オークグリーンのGT3を操るフェルディ・ポルシェ氏と、その後ろに続くのはピンクがかったダスティカラーの992(F.A.T. インターナショナル)。イベントの象徴ともいえる四輪は、SRAM、Zipp、Specialized、BBUCのデカールがパッチワークのように貼られ、そこに鮮やかなブルーで描かれた“叫ぶマーモット”があしらわれている。実際のマーモット(現地では“マンケイ”と呼ばれる)は大人しく草食の動物であり、こんなに獰猛な姿ではない。それでもフェルディ・ポルシェ氏と彼のチームによる遊び心あふれるクリエイティブは、ポルシェ流の秘密の握手のような役割を果たしている。

 よく目を凝らせば、ロースグロックナーの登坂路に立つ道路標識、山小屋のメニュー、さらには2023年にマンケイ小屋のオープンを記念してチタンカーバイド製作の限定モデル、ポルシェデザイン クロノグラフ1 “ユーティリティ”のダイヤルにも、このマーモットがステッカーのように登場する。叫ぶマーモットこそ省かれているものの、ユーティリティ・クロノグラフは1970年代初頭に各国の戦闘部隊に支給されたヴィンテージのポルシェ デザイン“ミリタリー”・クロノグラフへの実にクールなオマージュとなっている。当時の実用モデルを駆動していたレマニア5100は姿を消し、代わってポルシェデザイン自社製のCOSC認定フライバッククロノグラフ、WERK 01.240を搭載。このモデルは250本限定で製作され、価格は253万円(税込)だ。

Porsche Design Chrono 1 Utility

 私はサドルから腰を上げ、使う筋肉を切り替える。いまは上半身の重みをペダルに預けて駆動するのだ。これが、こうした勾配で得られる休息にもっとも近い瞬間であり、上下左右に揺れながらも、ほんの一瞬の安らぎを与えてくれる。汗は借り物のスペシャライズド ルーベのマーブル塗装に飛び散り、強烈な高山の太陽の下で渦巻く印象派の絵画のような模様を描いていく。努力は短く、パワーは計測しながらそれを続ける。

 この先に何が待っているのか正確にはわからない以上、体力を使い果たすリスクは取れない。痙攣を起こすのも、最悪オーバーペースで潰れるのも避けたい。座る。ダンスする。座る。私はFELIX FELIX FELIXと白いスプレーで雑に書かれた路面の文字を踏み越えてダンスする。もうひとつの“オブジェダール”、おそらく同じツアー・オブ・オーストリアのクイーンステージで残された、近隣チロル出身のフェリックス・ガル(Felix Gall)に向けたメッセージだろう。

porsche design watch

フェルディ・ポルシェ氏は、ヴィンテージのポルシェデザイン “ミリタリー”・クロノグラフを着用している。

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porsche design watch

 サイクリングにおいて峠の難易度は、その距離や平均勾配によって4級(易しい)から1級(きわめて厳しい)までの数値で格付けされる。しかし、その上にHC(オークラス)が存在する。これはフランス語で“カテゴリーを超える”という意味で、あらゆる山岳のなかでもっとも過酷な登坂と広く認識されている。長く容赦のない急勾配が続き、多くの場合15km以上にわたり大きな標高差を稼ぐこれらの恐るべき峠は、決して侮って挑むべきものではない。そして時差ボケの脚には、なおさらおすすめできない。

 フランスの雄大なガリビエ峠、イタリアの曲線美を誇るステルヴィオ峠はいずれもアイコニックで、サイクリングにおけるHC級(オークラス)で恐れられる存在だ。そしてグロースグロックナーもまた、山肌に毛細血管のように広がる数多くのつづら折りを備え、彼らと並ぶ敬意に値するオークラスの峠として数えられている。

mountain view
pd chrono 1 utility

 登り始めて2時間近く、初めて勾配が緩み、道が平坦になった。近くのフィッシャテールに翻る赤・白・赤のオーストリア国旗で風向きを確認し、私はハンドルから手を放し、首と肩を伸ばす。薄く冷たい空気のなかでジャージのジッパーを引き上げながら、このひとときの涼風を味わう。

 安らぎは束の間だった。道は大きく左にカーブし、長く険しい下りへと切り込んでいく。その先に初めて峠の東側の広がりが現れ、輝くアルプスの湖のほとりにマンケイ アルパインハットが佇んでいるのが見える。木造の壁の向こうには、エスプレッソと温かなシュトゥルーデル(編注;詰め物を幾層にも巻いた甘い菓子)が待ち構え、そこにはあの叫ぶマーモットの姿もある。

 私は両方のシフターパドルを同時に握り込む。SRAM Redのフロントメカがブーンと応答し、ついにチェーンをビッグリングへと持ち上げる準備を整えた。

ウィーンを拠点とするBBUC Sportsのチーム共同創設者マーヴィン・マンガリーノ氏(Marvin Mangalino/左)とフェルディ・ポルシェ氏(右)、マンケイ・ハットにて。(Photo by Ruben Best)