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先日、人気のクルマブログJalopnikは、"Can Someone Help Me Understand Why Car Enthusiasts Are Often Also Watch Enthusiasts(なぜクルマ愛好家は時計愛好家でもあることが多いのか、誰か教えてくれ)? "というタイトルの記事を掲載した。
その中で、ライターのエリザベス・ブラックストック(Elizabeth Blackstock)氏は、最近のタグ・ホイヤーとポルシェのコラボレーションを例として、2つの趣味のつながりについて考察している。
技術面のクロスオーバーなのか? ギアというものはどこで見つけてもカッコいいだけなのか? 金持ちが微妙な金持ちの車を買うのが好きなのと同じように、共通の趣味をもつ人にしか分からないような、素敵な時計を所有したいという微妙な見栄なのか? 入手困難? 集めることにスリルがあるのか?
我々としては、イエスと言いたい! ただ他にもたくさんの面があるわけだ。
この2つの機械的な駆動からくる趣味は、同じタイプの人に訴求する。なぜなら、私たちのコミュニティは、これらの無生物に精神を吹き込んでいるからだ。つまり、我々にとっては、時計やクルマが設計された目的以上の意味をもっているということである。
HODINKEEスタッフのガレージを開けてみると、そこにはあらゆる種類のエンスージアスト・カーが並ぶ。私たちの多くは、時計の話をしていなければ、BMWの新しいグリルのデザインについての考えから、歴史的なモータースポーツの人物と彼らの時計の話まで、#cars Slackチャンネルで花を咲かせている。
私たちは、時計の世界に片足(膝まで)、自動車の世界に片足(足首まで)をつっこんでいるため、この問題を考えるのに最適なユニークな立場にある。我々の創業者・ベンはカッパーステート100からレポートし、ジェイソン・ヒートンとジェームズ・ステイシーはTGNでオーバーランディングについて議論し、私は最近、ノースカロライナ州のラリーや以前にグッドウッド・リヴァイヴァルで、時計と自動車文化の交差点について調査した。エヘン、2014年にはJalopnikに記事を書いたこともある(楽しい読み物ですよ!)
100km/h以上まで加速したり、100分の1秒までの時間を計測したりと、特定のタスクを遂行するために機械的な物体が一体となって動くのを鑑賞すると、その魅力と喜びを感じる。ランゲのCal.951.1の405個のパーツが一体となって動くのと同様に、空冷式の6気筒水平対向エンジンをで走行するポルシェを見るのは、同じような満足感を得られるわけだ。
黒とオレンジのセイコー"モンスター"を分解して、チャプターリングを交換する喜びは、90年代の三菱4D56TのモーターにEGRバルブがあったところ、ブランキングプレートを取り付けたときの高揚感に似ている。愛でるような気持ちもあれば、いじったり改造したりする喜びもある。新しいNATOであれ、新しいタイヤのセットであれ、この体験は触覚的な、そしてしばしばアナログ的な要素があり、時計やクルマに夢中になり、コネクトされていることを実感できる。ひとつを理解すれば、さらに理解することができるだろう。
そして、時計とクルマには共通してエモーショナルな側面があるので、クロスオーバーを楽しむことができる。HODINKEEは、技術の進歩やスペックについての記事ばかりではひどくつまらないものになるだろうし、自動車業界のガソリン車からEVへの移行だけを見ていたら自動車メディアのシーンが面白くないのと同じなのだ。
我々はクルマと時計の両方で絆を形成している。人生で初めての時計を覚えている人もいるだろうし、初めてのクルマを見ても同じように懐かしさを感じるかもしれない。傷ついたセイコーと手放しで手に入れたポンコツ車は、しばしば我々が趣味への道を見つけるための方法となる。そして、最終的に自分の宝物の時計や、子供の頃、寝室の壁に貼ってあったポスターから、ホイールの新しいセットを手に入れることができたときでさえ、それらは同じように記憶されるものだと思う。
マリオ・アンドレッティは時計のファンだ。スパイク・フェレステンやフィル・トレダーノもそうだ。時計からクルマへ、あるいはその逆のクロスオーバーはよくあること。ブラックストックさん、あなたもクルマからスタートするかもしれないが、いろんな時計サイトを見て回ってみて欲しい。
時計は、クルマと同じように、本来の目的を超越したモノだ。時計は意味のある物語の器となりえる。しかし、時計が驚異的な正確性や精度を達成したり、クルマが加速や最高速度の限界を超えたりすると、さらに面白くなるものでもある。時計は、クルマと同じように、我々の人生の時間を刻むものなのだ。