Photos by Gishani Ratnayake
1967年製のランドローバーを手に入れてから数週間後、私は右ハンドルの運転席に滑り込み、チョークを引き、アクセルを数回あおり、ギアレバーをニュートラルで揺すり、キーを回した。何も起きなかった。燃料は満タンで、バッテリーも新品である。では原因は何なのか。結論を先に言おう。スターターモーターが、ついに寿命を迎えていたのだ。数日後にUPSで新しい部品が届くのを待つあいだ、これが私にとって最初の修理作業となるわけだが(2日目に起きたハンドブレーキレバーの固着は別として)、私は必ず下り坂に向けて駐車するようにし、“押しがけ”という昔ながらの確実な方法をすっかり身につけた。このクルマ界隈における黒魔術を知らない人のために説明すると、これはマニュアルトランスミッション車でしかできないものだ。イグニッションをオンにし、2速に入れたまま下り坂を転がし、クラッチペダルを離す。そして、バン! 一気に走り出すというわけだ。最も安全でも便利でもない始動方法だが、今乗っているのはランドローバーである。利便性や安全性を求めて買ったわけではない。
ランドローバーのオーナーがよく語る言葉がある。「販売されたランドローバーの75%はいまも走っている……、つまり途中で壊れたり止まったりして、修理されたりレッカーされたり、とにかく“路上でなんとか生き延びている”。ちゃんと家に帰り着いたのは、残りの25%だ」。自虐的でありながら、自己認識に満ちたジョークである。こうした英国のアイコンを愛する私たちは、どこかマゾヒスティックな集団だ。私自身、1台ではなく2台の年老いた“ランディ”を所有している。前述の1967年製シリーズスリーと、それよりはやや若い1993年製のディフェンダーだ。つまりこれは経験に基づく話である。大雨のあとにルーフから水が漏れて膝が濡れることもあれば、配線の不調で、時折ウインカーを昔ながらの手信号で示さなければならないこともある。さらに“ノイズ・バイブレーション・ハーシュネス”の具合は、クルマというよりソビエト時代のヘリコプターに近い。私はまた、大きな段ボール箱を溜め込む癖もついた。平らにして、狭いガレージにできるオイル溜まりを吸わせるためだ。ここで思い出すのが、もうひとつ有名なランドローバーの格言である。「下にオイルが垂れているなら、中にもオイルが入っている」。漏れているということは、少なくともエンジンがオイル切れではないという安心材料なのだ。多くのクルマなら致命的となる問題をこれだけ抱えながら、なぜ私はこれほどまでにこの機械を愛しているのか。答えは単純だ。これが、まさに“機械”そのものだからである。
押しがけの腕前が熟練の域に達するころでも、必ずしも下り坂で、しかも前方が開けた場所に駐車できるとは限らなかった。そこで気づいたのが、シート後方のバルクヘッドに取り付けられた曲がったスチールロッドである。スタータークランクだ。なるほど、フロントバンパーにある鍵穴はこのためだったのか。エンジン側の溝にクランクを噛み合わせ、ギアボックスをニュートラルに入れ、イグニッションをオンにし、アクセルを2、3回あおり、反動に注意しながら一気にハンドルを回す。毎回、必ずエンジンはかかった。新しいスターターモーターを取り付けたあとでも、私はときどき手動でクランキングすることを楽しんだ。それはちょっとした一芸のようなものであり、週末の“カーズ・アンド・コーヒー”の集まりで披露するのが好きだった。エンジンを自分の手で回すという行為そのものが力強く、そして文字どおり私をモーターとつないでくれた。これは、機械式のクロノグラフを作動させたり、ミニッツリピーターのスライドを引いたりすることに等しい。そのクルマ版の体験である。スマートウォッチには同じ満足感はなく、現代のクルマもまた同様である。
話を続ける前に、ひとつはっきりさせておきたい。ここで私が言うランドローバーとは、高価で装備の整ったラグジュアリーSUVになる以前の時代のものを指している。称賛される現行ディフェンダーの系譜についても、しぶしぶながら評価するようにはなってきたが、私が知り、所有し、愛してきたランドローバーとは共通点がまったくない。私が最初に手に入れたランドローバーは、1967年製のシリーズ3であり、これは当時“ランドローバー”という名称しかなかった時代のモデルだ。そして現在の私の足は、1993年製のディフェンダー110である。どちらもかなりくたびれており、いかにも農機具然とした佇まいで、何十年にもわたる酷使により十分な経年変化をまとっている。私はそれが気に入っている。40年代後半から90年代初頭まで(派生モデルであるレンジローバーというラグジュアリーSUVを除けば)、ランドローバーは農家や職人、そして軍のために作られたクルマだった。快適性への配慮はほとんどなく、物を運び、牽引し、人や家畜を荒れた地形の向こうへ連れていくことが求められていたに過ぎない。
私はクルマいじりをしながら育ったわけでもなければ、自分を機械に強い人間だと思っているわけでもない。これまでに何台かの古いクルマ──フォルクスワーゲンを数台、サーブ、アルファ ロメオ──を所有し、長年にわたってひととおりの定期的なメンテナンスはしてきた。しかし、クレイグズリスト(アメリカ発祥の地域密着型のクラシファイド広告サイト)の売り手から最初の古いランドローバーを買ったときは、興奮と同時に、かなりの不安も抱いていた。ランドローバー、ひいては英国車全般は、信頼性において決して評判がいいとは言えない。毎週のように故障して立ち往生することになるだろうと覚悟していた。だが実際には、約14年にわたる2台の所有期間と数万マイルの走行で、立ち往生したのは一度きり、リアのハーフシャフトが折れたときだけである。
私が修理することになった機械的トラブルの多くは、信頼性の欠如というよりも、年式によるものだとわかってきた。腐食したボルト、ショートした配線、硬化したシール類、そして長年の摩耗と消耗である。シリーズ3は最初の40年間をスコットランドの農場で過ごし、私のディフェンダーは英国陸軍で荷物運び役として酷使されたあと、放浪気質のキャンパーたちの手に渡った。リアウィンドウに残されたステッカーを見るかぎり、ヨーロッパ中を旅していたようだ。どちらも私が本格的に走らせる前から酷使され、ずぶ濡れのまま扱われてきたクルマである。そして私自身も、決して手加減してきたわけではない。
私が何に乗っているかを人に話すと、ミネソタの冬はクルマにとって過酷だと知られているだけに、冬のあいだは保管しているのかとよく聞かれる。その考えももちろん理解できるが、それは私の流儀ではない。きわめて高い走破性を持つ四輪駆動トラックを、一年のうち6カ月間、むしろ最も役に立ち(本格的な暖房がないことを除けば)楽しい時期に、なぜしまっておく必要があるのか。たしかに錆や凍結防止剤の問題はあるが、私はこれらのクルマを本来の用途どおり走れるかぎり、そして公道を走れる状態であるならば使い続けたい。永遠に残るものなどない。誰かや何かのために保存しているわけでもなく、コレクター向けのショーカーでもない。どんな年代のダイバーズウォッチであれ深く潜らせるべきであるのと同じように、ランドローバーも走らせ、使われるべきなのだ。私は2台ともでマルチや造園用の石、薪、建築資材を運び、ディフェンダーではキャンプをし、何度もの冬に、雪の吹きだまりにはまったクルマを牽引して引き出してきた。
ある4月、季節外れの春の猛吹雪のあと、私は古いランディで外へ出て轍だらけの脇道をガンガン突き進んでいた。すると、パトカーのSUVが雪の吹きだまりにはまって動けなくなっているのに出くわした。私は「助けが必要か?」と声をかけたのだが、彼は私の古めかしいトラクター同然のクルマを見て最初は半信半疑といった顔をしていた。それでも最終的には喜んで受け入れた。私たちは牽引ロープをフォード エクスプローラーのフロントに掛けた。私は小さなローバーをローレンジの4WDに入れ、渾身の力で思い切り引っ張った。作業完了だ。私はそのときの写真を、いつか“牢屋行き回避の切り札”として使えるようにスマホに入れてある。もっとも、私はスピード違反で止められることなどないのだが。
私はずっと古いトラックが欲しかった。鍵をかける必要もなく、どこにでも停められて、荷物を放り込めて、洗車もしなくていい――そういう存在に憧れていた。たまの擦り傷や雹嵐のことを気にしなければならないのも好きではない。ディフェンダーは忠実なそり犬のように、1年中屋外で眠っている。イギリスでしばらく過ごしたあと、泥だらけの古いランドローバーが農家や警察に使われ続け、海沿いの町で救命艇を牽引し、人里離れた小さな農場で羊を運び、山でハイカーを救助している光景が、私のなかの何かを強く揺さぶった。私は救いようのないロマンチストで、多少なりとも冒険家でもある。そしてランドローバーが、異国の過酷で近寄りがたい土地へ探検家を運んできた歴史──ロンドンからシンガポールへ! アラスカからティエラ・デル・フエゴへ!──は、抗いがたい魅力を放っていた。古いランドローバーには、どこか平等主義的なところもある。小さな子どもから、いかついピックアップトラックのオーナー、アフリカ系移民まで、私は声をかけられ、親指を立てられ、笑顔を向けられる。これらのクルマには、気取ったところも威圧感もない。砂場に転がる大きなおもちゃのように見え、それを見る人それぞれに何かしらを呼び起こすのだ。
私にとって、古いものを手入れし続け、使い続けるという行為には、心揺さぶられるものがある。1969年のドクサで潜ることも、古いレッドウィングを履いて庭仕事をすることも、50年もののトラックで材木を運ぶことも同じことだ。これは私の自己正当化なのかもしれないが、ディーゼルのディフェンダーを運転することに対して感じる罪悪感は、「古いものを走らせ続けるほうが、新しいものを買うよりいい。新車には環境に悪いプラスチックも、バッテリーも、塗装もつきものなのだから」という考え方で薄めている。おまけに保険は安く、燃費は1ガロンあたり25マイルで、自分でメンテナンスをするから維持費はほとんどかからない。
使い捨てが前提になり、クルマをスマートフォンと同じくらい頻繁に買い替える時代において、長く使い続けられる実用品はひときわ際立つ。私は機械式腕時計について詩的に語るのが好きで、それは人間が作り出したもののなかでも、世代を超えて使い続けることができ、しかも日々変わらず機能的で実用的であり、あらゆる場面で身につけられる、ほとんど唯一の存在だからである。
ランドローバー──あるいは、古いトラック全般も同様だと思う。少なくとも私がハンドルを握れるかぎり、私は必ず1台は所有し続けるだろう。たとえ、いつも下り坂に向けて駐車しなければならなかったとしても。
話題の記事
Introducing オメガ スピードマスター ムーンウォッチ プロフェッショナル ブラック&ホワイトが登場(編集部撮り下ろし)
Recommended Reading ロレックスに関する2冊の教本と、ホイヤーのクロノグラフを深く掘り下げる1冊
Essays 2026年は、人間の手仕事を取り戻すためにAIスロップと戦う年