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グラスヒュッテ腕時計100周年に振り返る、ドイツ時計の変遷とグラスヒュッテ・オリジナルの現在

2026年8月に銀座で開催された「グラスヒュッテ腕時計100周年記念展」。来日した55本のアーカイブと独占インタビューを通じ、グラスヒュッテ・オリジナルの前身であるGUBをはじめ、ドイツ・グラスヒュッテにおける時計製造の歴史を辿る。

時計ブランドの歴史を紐解く際、グラスヒュッテ・オリジナルほど数奇でありながら、時計製造の実体を伴う連続性を持つブランドは稀有である。多くの名門が時代の波に飲まれて休眠や消滅を経験するなかで、その時計製造の技術や知識は政治体制により組織の形を変えながらも、グラスヒュッテという町で連綿と受け継がれてきた。

 2026年8月、銀座のニコラス・G・ハイエックセンター 14階「Cite du Temps GINZA(シテ・ドゥ・タン ギンザ)」にて「グラスヒュッテ腕時計100周年記念展」が開催された。本国ドイツの全面的なサポートのもと、ここ日本に55本の希少なアーカイブピースが集結したのである。その構成は、単なるひとつの時計ブランドの製品史という枠を超えた壮大な歴史のタペストリーであった。そこには現在のグラスヒュッテ・オリジナルやその直系の前身であるGUB(グラスヒュッテ時計工場)のモデルだけでなく、ユリウス・アスマン(J. Assmann)やユニオン、そしてUFAG/UROFA(ウーファグ/ウーロファ)といった、時計製造のメッカとして現在知られるグラスヒュッテの地にかつて独立して存在していた名門や組織のタイムピースが、ひとつの連続した系譜として展示されていたのだ。

Courtesy of Glashütte Original

Courtesy of Glashütte Original

 異なるメーカーのもとに製造された時計群が、今回なぜグラスヒュッテ・オリジナルというひとつの歴史のなかで語られることとなったのか。その背景を明らかにするため、日本に集められた55本のアーカイブリストをもとに、グラスヒュッテ・オリジナル本社およびドイツ時計博物館グラスヒュッテへインタビューを実施した。本稿では彼らからの回答を手がかりに、ドイツにおける時計製造の変遷をたどりながら、現在のグラスヒュッテ・オリジナルを構成する実像について考察していく。


懐中時計から腕時計へ。過酷な時代が鍛え上げたドイツ時計の定義

まずはドイツ時計の歴史、特に懐中時計から腕時計への変遷について読み解いていこう。

 1845年、フェルディナント・アドルフ・ランゲがグラスヒュッテに時計工房を設立して以降、ユリウス・アスマンやモリッツ・グロスマンといった先見の明を持つ時計師たちがこの地に集った。彼らは独自の分業制ネットワークと時計学校を構築し、グラスヒュッテをドイツ時計製造の中心地へと押し上げた。展示された1865年製のユリウス・アスマンの懐中時計は4分の3プレートや美しいエングレービングを備えており、まさにこの黎明期における卓越した精密加工技術、それらに裏付けられた高級時計製造を象徴する存在となっている。

 しかし、この町の歴史は美しい装飾や、精度追求、複雑機構の開発といった時計製造における煌びやかな一面だけで紡がれたものではない。この点についてドイツ時計博物館グラスヒュッテは、次のように語っている。「グラスヒュッテの名前は長く高級時計製造と結びついてきましたが、その歴史にはそれとは異なる側面も存在します。1920年代末の経済危機におけるラグジュアリー需要の激減や、二度の世界大戦による軍用計器への移行など、時計師たちは変化する市場への適応を余儀なくされました」

1865年製、ユリウス・アスマンによる懐中時計。

 事実、今回の展示リストに並ぶ1930年代のUFAG製女性用腕時計(UROFA製Cal.522搭載)は、この過渡期の現実を如実に物語っている。金メッキやクロームメッキが施されたこれらの時計は、もはや一部の富裕層に向けた一点物の工芸品ではない。経済危機による需要の変化に対し、グラスヒュッテの時計産業がより手ごろで実用的な“日常使いの腕時計”へと大きく舵を切った証にもなっている。

1934〜1943製造、UFAG製女性用腕時計。ストラップは日常使いに適したファブリックである。ケースはクロームメッキ。

1934〜1943製造、UFAG製女性用腕時計。ケースにはまだ金メッキが綺麗に残っている。

1936年製造のUFAG製女性用腕時計。本モデルのケースはメッキではなく、ゴールド製である。

 そしてこの腕時計の普及と量産化への移行において技術的な決定打となるのが、懐中時計から腕時計への本格的な移行期に登場したCal.58だ。今回の展示リストにも1938年ごろのモデルが名を連ねているが、これはムーブメント製造メーカーであるUROFAが開発したもので、完成品部門であるUFAGの腕時計に搭載された。ドイツ語で“Raumnutzwerk(空間効率に優れたムーブメント)”と呼ばれたこのキャリバーは限られたスペースを最大限に活用し、懐中時計に用いられてきた比較的大型の香箱や脱進機の設計思想を生かしながら、それらを腕時計サイズのムーブメントにまとめあげた。特筆すべきは、これが量産化を前提に設計されていたという事実だ。

1938年製のCal.58搭載モデル。

こちらも同様に、Cal.58を搭載。

 手作業を中心とした高級時計製造から、部品の標準化を取り入れた効率的な量産体制への移行。それは単なる合理化ではなく、時代に適応するための生存戦略であった。精度と品質への意識という根幹を保ちながら、生産構造を柔軟に変容させていく適応力。それこそがドイツ時計の輪郭を決定づけ、華やかな装飾性だけでなく、堅牢な設計と高い信頼性を重んじる現在のグラスヒュッテ・オリジナルの哲学の原点となっているのである。


GUBへの統合。受け継がれた“時計製造”の実体

戦後、ドイツが東西に分断されると、グラスヒュッテの時計産業は決定的な構造変化を迎える。現代のグラスヒュッテ・オリジナルを理解するうえで避けて通れないのが、同社が直系の前身として自らを位置づけるこの時代に誕生した国営企業GUB(Glashütter Uhrenbetriebe:グラスヒュッテ時計工場)だ。1951年、東ドイツの社会主義体制下において、町に残存していた時計会社や工房のほぼすべてがこの組織に統合された。

 この時GUBに統合されたのは、A.ランゲ&ゾーネをはじめ、ムーブメント製造を担っていたUROFAや、その完成品部門として時計製造を行っていたUFAGなど、かつてグラスヒュッテで独立して存在していた名だたる企業群である。

 一見すると断絶にも思えるこの出来事だが、ユリウス・アスマンやユニオンの遺産が現在のグラスヒュッテ・オリジナルの歴史として紐づけられる理由は、まさにここにある。同博物館は「国営企業であるGUBがかつて独立していた時計会社を統合し、その後継者となった」と説明する。つまりGUBは、グラスヒュッテに存在した各社の技術、設備、そして人材を物理的に吸収し、一極集中で保存する受け皿となったのだ。

  GUB体制下では限られた資源のなかで生産プロセスを合理化し、精度を妥協することなく量産化を推し進めた。戦後の復興期にあたる1950年代に作られた手巻き・自動巻きのCal.60系を搭載するモデルは、夜光塗料を備えていたり、ステンレススティールケースを採用したりするなど、実用性と堅牢性を最優先とした当時のGUBの姿勢を如実に表している。

Cal.60.1搭載の1950年代製。インデックス部分に夜光塗料がドットであしらわれている。

1950年代製のステンレススティール使用モデル。

 さらに、1960年代から70年代にかけてGUBを象徴するヒット作となった自動巻きのスペツィマティック(Spezimatic)は、精度と量産性を高い次元で両立させた名機として語られている。また1970年ごろのモデルにはワールドタイムベゼルが備わっているものもあり、社会主義体制下にあっても、実用一辺倒ではない機能的な多様性を追求していたことがうかがえる。

 また歴史の数奇な縁として、冷戦下にあっても西側との技術的な繋がりが完全に絶たれていたわけではない。東ドイツ体制下のGUB時代から文字盤を供給し続けていたのが、西ドイツのプフォルツハイムにあった文字盤メーカー、T.H.ミュラーである。東西分断の時代でさえ、彼らは良質な時計作りのためのサプライチェーンを水面下で維持し続けていた。この歴史的なパートナーである文字盤工場は、のちにグラスヒュッテ・オリジナル(スウォッチ グループ期)の参加に入ることで自社工場となり、2025年にはついに工場の設備と人員ごとグラスヒュッテの土地へと移設された。

1970年製のスペツィマティック搭載ダイバーズウォッチ。現在のSeaQコレクションにその面影を強く宿す。

両方向回転式のワールドタイムベゼルを備えた、スペツィマティック搭載モデル。1970年代製。

 現在グラスヒュッテ・オリジナルは、ムーブメントの微細なパーツから精巧な文字盤に至るまで、最大95%を自社で製造するマニュファクチュール体制を誇る。その背景には、こうしたGUB時代から蓄積されてきた製造基盤と長年にわたるサプライヤーとの関係が、現代の組織にも引き継がれているという歴史がある。


民営化と再生。現在のグラスヒュッテ・オリジナルを形作るもの

1989年のベルリンの壁崩壊、そして1990年の東西ドイツ統一を経て、GUBは民営化の道を歩む。ここからの歩みは、前述した過去の遺産をいかに現代のグラスヒュッテ・オリジナルとして再構築していくかという挑戦の歴史でもある。

 新たなブランド名が誕生する前夜の1993年に製造されたのがスペツィマット(Spezimat)である。今回もそれに該当するモデルが展示されていたが、特筆すべきはこの個体にチタンケースが採用されている点だ。当時の同コレクションには金メッキやステンレススティールなど複数の仕様が存在したが、東ドイツ体制下のGUB製品で長く用いられてきた素材から脱却し、当時の時計市場においてモダンな高付加価値素材として普及しつつあったチタンを一部のモデルで選択肢に加えていたことは、同社が国際的な自由競争市場に適応すべく、素材調達や加工技術のアップデートを具体的に推し進めていた事実を示している。そして翌1994年、新体制のGUBのもとで現在のグラスヒュッテ・オリジナルというブランド名が正式に採用された。

スペツィマットの名前を冠した、チタンウォッチ。1993年製。

 民営化後、同社が直面したのは市場経済への適応と、東ドイツ時代には優先順位が下がっていた伝統的なオートオルロジュリーの復興だった。当時の経営陣は、すでに引退していた熟練時計師やエンジニアを現場に呼び戻し、若い世代に高度な時計製造の知識を継承させた。GUB時代に培われた堅牢な設計思想やマニュファクチュールとしての自社一貫生産体制に、伝統的な仕上げや複雑機構が再び融合した瞬間である。  

 では、こうした過去の遺産を、彼らは現代の製品にどう取り入れているのだろうか。この問いに対し、グラスヒュッテ・オリジナル本社は次のように答えている。「過去の時計の外観や機構を単に複製することは、私たちの意図するところではありません。真のヘリテージとは、過去からインスピレーションを得ながら、それを創造的に現在へと翻訳する能力にあると信じています」

1980年代製のスペツィクロン。デイデイト付きのCal.11-27を備える、TV型ケースモデルである。

 その創造的な翻訳の具体例が、今回の展示リストに並んでいた1970年代から80年代初頭のGUB製スペツィクロン(Spezichron)と、それにインスパイアされた現代のセブンティーズコレクションの関係性だ。丸みを帯びたTV型ケースやデグラデーションカラーといった当時のデザインコードを受け継ぎつつも、オリジナルがクローズドケースバックであったのに対し、現代のモデルではサファイアクリスタルに変更され、精巧に仕上げられた自社製ムーブメントを鑑賞できる仕様へとアップデートされた。

上に同じく、色彩豊かなグラデーションダイヤルを備える1980年代のスペツィクロン。

グラスヒュッテ・オリジナル アスマン3。Courtesy of Glashütte Original

 また、1865年の懐中時計に由来する2002年のグラスヒュッテ・オリジナル アスマン3も象徴的な存在であった。これは単なる懐中時計のクラシカルな復刻ではない。ワンタッチで外装ケースとストラップを外し、腕時計から懐中時計へと姿を変える独創的な構造を持っている。つまり、懐中時計から腕時計へというグラスヒュッテの時計製造の進化の歴史そのものを、ひとつの時計のなかに機能として表現しているのだ。さらに、ブランドの象徴であるパノラマデイトや、35のタイムゾーンに対応するセネター・コスモポリトなど、過去から得たインスピレーションを独自の技術で表現することこそが、現在の同社のアイデンティティとなっているのである。

 政治体制や市場環境が変わるなかでも、時計製造の技術、人材、そして生産基盤がグラスヒュッテの地で継承され続けてきた100年。特定のブランド名ではなく、グラスヒュッテという町そのものの時計製造の歩みを背負う彼らの特異な立ち位置は、こうした客観的な史実の積み重ねによって裏付けられている。過去のアーカイブをただショーケースに並べるだけでなく、そのDNAを現代のコレクションの機能や、圧倒的な内製率を誇る製造ラインのなかに落とし込み、現代的な“翻訳”を行うこと。それこそが、今グラスヒュッテ・オリジナルが取り組んでいる挑戦なのだろう。

Photographs by Yusuke Mutagami