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Photos by Isaias Sanchez
タンクとそこに属する多様なバリエーションのなかでも、タンク バスキュラントと呼ばれるモデルが今もっともおもしろい。ダイヤルを引き出すと複雑なカブリオレ機構が現れ、ケースバックを見るためにケースを裏返すことができる。バスキュラントの量産は、ジャガー・ルクルトのレベルソが発表された直後となる1932年に始まった(タンク “レベルソ”もある)。時計のダイヤルを反転させる方法としては異色のものだが、カルティエのファンならそのほうが“エレガント”だと主張するに違いない。
バスキュラントのケースは、レベルソと同じ会社が製造していた。しかし、レベルソとは異なりタンク バスキュラントはカルティエブランド全体にとって重要なモデルとは言い難く、何百(何千?) 本ほどしか存在しない。今日バスキュラントはカルティエの現行コレクションにすら含まれていないが、私たちが調べた限りでは、カルティエは1990年代から2000年代初頭にかけてこのモデルを数多く製造していた。そのなかにはクォーツ式や機械式のバリエーションもあり、人とは違うものを探しているのであれば比較的入手しやすい時計といえるだろう。
これまでに作られたタンクのなかで、もっとも重要なものでも意義深いものでもないが、そのおもしろさとユニークさ、そしていくつかの歴史について知っておく価値はある。ここでは、タンク バスキュラントをコレクションするために知っておくべき6つのことを紹介しよう。
(1) 1932年、カルティエがカブリオレ機構を開発
フランコ・コローニ(Franco Cologni)氏が『The Cartier Tank Watch』で記したところによれば、バスキュラントの製品化が始まったのはレベルソから1年後の1932年である。バスキュラントは独自のカブリオレ機構(フランス語で変換、転換可能なという意味。フェラーリ355カブリオレのような感じだが、どうだろう)により、ダイヤルを上下反転させることができる。12時位置にあるタブを引っ張ると(近年のモデルではここにブルーのカボションがあしらわれている)アームが伸びて、ケースバックをくるりと縦に回転させられる。
アームを伸ばしたままにしておけば、バスキュラントはちょっとした デスククロックにもなる(記事最上部の写真のように)。
また、特に古いオークションのカタログなどでは、初期のモデルが“タンク カブリオレ(Tank Cabriolet)”、“リバーシブル バスキュラント(Reversible Basculante)”、あるいはそれらの組み合わせによって呼ばれているのを目にすることがある。1999年にカルティエがこのモデルを再び大量生産するようになると、タンク バスキュラントという名称に統一された。
一方、タンク バスキュラントとはケースのデザインが異なるが、同様の反転機構を採用したヴィンテージのカブリオレモデルもある。
この反転機構は、レベルソの水平スライド式ケースも開発したスペシャリテ・オルロジェル(Spécialités Horlogères)が開発したもので、その後すぐにジャガー・ルクルトに事実上統合された(同社は、私のほかのお気に入り時計であるモバードのパースウォッチ、エルメトも開発している)。
(2) タンク バスキュラントは“形態は機能に従う”ことを実証している
通常、カルティエの時計はデザインがすべてである。タンク バスキュラントは、昔ながらの壊れやすいプラスチック製クリスタルを保護するという機能を念頭に開発されたというが、現在ではそれはほとんど仮説に過ぎない。後述するように、これはちょっとした創造性を発揮するためのもうひとつのキャンバスになっているのだ。
初期の時計ライターであるウォルト・オデッツ(Walt Odets)氏が2002年にタンク バスキュラントをレビューした際、彼はこの時計について “形態は機能に従う”例だと評した。「タンク バスキュラントは、伝統の一端と素晴らしい魅力、そして驚くべき品質を全体を通して実現している。この時計のデザイン的な完成度は、現代のスイス時計の大半に決定的に欠けているものだ」と。彼は、ケースとフレデリック・ピゲベースのキャリバーに加え、カルティエを特徴づける典型的なデザインのディテールに感銘を受けたという。
カルティエのデザインはその多くがフォルムに趣向を凝らしたものであるが(はっきり言えばバスキュラントもそうであり、タンクの伝統的なスタイルを継承している)、この時計は機能を伴った形状をとっている。たとえその機能が今となっては時代錯誤であったとしてもだ。だが、それが機械式時計のすべてではないか。
(3) 1999年まで、バスキュラントは愛好家に発見されていなかった
30年代にバスキュラント カブリオレを発表したのち、カルティエは20世紀を通じてこのモデルを作り続けたが、その数はそれほど多くはない。数週間前に書いたように、1920年から1960年までにカルティエが製造したタンクは2000本にも満たない。複雑なカブリオレ機構を持つバスキュラントのケースが、それほど簡単に製造できたとは思えないのだ。
1996年にアンティコルムで開催された“マジカル アート オブ カルティエ(Magical Art of Cartier)”オークションでは、1930年代から1960年代までにカルティエ パリで製造されたゴールド製タンク バスキュラントが6点だけ出品された。ムーブメントは、カルティエが長年にわたって供給を受けていたヨーロピアンウォッチ&クロックカンパニー(European Watch & Clock Co.)のものだった。私が持っている価格表によれば、このうちの数本はオークションにもかけられている。このバスキュラントは、カルティエの時計のなかでもおそらくもっとも重要なコレクションのひとつであるにもかかわらず、それまでカタログから飛び出すことはなかった。希少価値と無名性のあいだには細い線があり、90年代を通じて、バスキュラントはおそらくその線の後ろ側に位置していた。
その後1990年代に入ると、カルティエはタンク バスキュラントをより恒常的に製造するようになった。1996年のマジカル アート オブ カルティエ オークションでは、ユニークな文字盤を持つそれぞれ1点ものタンク バスキュラントが2点出品され、高値で落札された。
その翌年にカルティエの創立150周年を記念し、ゴールドのタンク バスキュラント150周年記念限定モデルが発表された。ルビーのカボションと文字盤中央のギヨシェ模様が特徴的で、カルティエの典型的なギヨシェ文字盤とは一線を画している。
その後、カルティエはアイコニックなデザインを伝統的なサイズで復活させるというブランドの取り組みであるCPCP(カルティエ パリ コレクション プリヴェ)のために、タンク バスキュラントを数本製作した。
- Ref.2391: 1999年に365本限定で発表されたイエローゴールド製。
- Ref.2499C: 2000年代初頭まで製造されたイエローゴールド製のモデルで、ケースバックがスケルトンになっている。限定モデルではないが、ケースバックには1点1点シリアルナンバーが刻印されている。
これらの現代的なバスキュラントには、いくつかの共通点がある。すなわち、同様のサイズ(縦38mm × 横25mm × 厚さ5.8mm)、改良を施した超薄型のフレデリック・ピゲ製Cal.610(Cal.060MCに改称)を搭載していること、そしてカルティエの“C”モチーフが繰り返し配されたケースバックである。
そのころ、カルティエは同様の特徴を持つバスキュラントを一般の市場に投入していた。
(4) バスキュラントは初のオールスティール製タンクだった
1999年にタンク バスキュラントを通常生産のラインに戻したとき、カルティエは初めてオールスティール製のタンクを製造したのである(この時点では、タンク フランセーズはまだスティール製だけ提供していなかった)。
一部の窮屈な界隈では嫌われるかもしれないが、私はタンクデザインの大衆化が大好きだし、それがこのモデルの価値を下げているとはまったく思わない。1980年代のタンク マストから始まり、タンク ソロ、そして最近のタンク マストの復活へと続いている。約2000ドルから50万ドル近いものまで(日本円で約30万円から約7373万円)、誰もが楽しめるタンクがある。しかも、大のバスキュラント好きだという人のために、入手困難なCPCPモデルも作られていた。
カルティエは90年代後半から2006年ごろまで、スティール製の機械式タンク バスキュラント Ref.2390を製造していた。このモデルはゴールドのスペシャルエディションと同じ寸法で、同じCal.060MCを搭載していた。また、機械式バージョンと並行し、カルティエはクォーツ式のバスキュラント Ref.2405も発表。注目に値する、Ref.2390のスペシャルエディションもいくつか存在する。
- パリ ブティック エディション: 正面から見ると、このタンク バスキュラントは通常のRef.2390と同じに見える。しかし、裏返すとケースバックがわずかに開いていることがわかる。コレクターのあいだでは、この特別モデルはカルティエのパリ ブティックでのみ販売されたと信じられている。
- ミレニアム エディション: 1999年から2001年にかけて生産された365本の限定モデル。通常XIIのローマ数字が“MM”に変更され、ケースバックには1999/2000/2001の年号が刻印されている。
- オーストラリア連邦限定モデル: オーストラリア連邦の100周年を記念して、わずか26本のみ製造されたバスキュラントの限定モデルを紹介しよう。ブルーのダイヤルに、オーストラリア国旗にも描かれている南十字星を配したクールなデザインだ。
(5) バスキュラントがあなたの内なるゲイリー・クーパーを解き放つ
理由その5はとてもシンプルで、1930年代に俳優のゲイリー・クーパー(Gary Cooper)氏がカルティエのタンク バスキュラントを着用している素晴らしい古い写真があるからだ。私は、クーパー氏がスクリーン上でもっとも偉大なスターのひとりであったクラシック ハリウッドの時代をロマンチックに語るような人間ではない。しかし、スーツの下にバスキュラントをすっきりとつけこなす彼の姿を見て少しもその気にさせられないというならば、とんでもないことだ。それは古きよき時代の力みのないエレガンスであり、ブランドが今日、世界中のあらゆるマーケティング資金を費やしても手に入れることのできないタイプの広告である。
(6) バスキュラントは機能と本質を兼ね備えている
最後に、バスキュラントの“収集”についてである。カルティエはこのモデルを2000年代半ばに製造中止とし、それ以来生産していない。つまり、ますます手に入りにくくなっているのだ。
しばらくのあいだ、バスキュラントは低迷を続けていた。だが、スタンダードなスティール製バスキュラント Ref.2390の価格が突然、2021年初頭の4000ドル(日本円で約59万円)程度から昨年の市場ピーク時には1万ドル(日本円で約147万円)まで跳ね上がった。その後、価格は少しずつ戻っている。一方、限定版の多くは現在2万ドル(日本円で約295万円)台前半の価格で売られている。
もちろん、この盛り上がりはカルティエの時計に対する世間一般の“熱狂”と重なるものだが、バスキュラントが独自の魅力を備えている理由もよくわかる。バスキュラントを逆さまにしたり、また真横にしたりすると、ちょっとしたSNS映えにもなるし、おもしろい写真も撮れる(この記事のために素晴らしい写真を撮ってくれたイザに感謝!)。
しかしそれ以上にバスキュラントには、おおげさでもなんでもなく不朽の時計に求められる基本的な要素が備わっている。カブリオレケースは、ほかのどのモデルとも異なるものだ。標準的なタンクのサイズよりも少し大きめで、薄型を維持しながら現代的なテイストをアピールしている。
その一方で、オデッツ氏による2002年の機械式バスキュラントに対する好意的な批評が私の頭の片隅にある。ケースのパーツ数はレベルソの約半分であり(そのメリットは長寿命化と防水性の向上だ)、フレデリック・ピゲの手巻きムーブメントは印象的で、(エングレービングではなく)型押しされたブランドイニシャルのCモチーフは唯一の費用削減策である。それでも、少しばかり目新しさを感じるかもしれないが、それが悪いということではない。単にバスキュラントに興味があり、ただちょっと遊んでみたいだけなら、クォーツバージョンが約半額で手に入る。確かに高価なハンドスピナーだが、少なくともクラシックな魅力がある。
個人的にはヴィンテージゴールドの機械式タンク ルイ カルティエに憧れるが、現在の平均的なスティール製バスキュラントの価格を考えると、タンク バスキュラントの魅力は理解できる。そして、もしカルティエが現代的なバスキュラントを発表するとしたら(時間の問題だろう)、スティール製 Ref.2390の価格よりも高額になることは想像に難くない。バスキュラント自体には、数年前のような価値はないかもしれない。しかし、現在に至るまで本物のカルティエのクラフトマンシップを象徴している。