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自社製、汎用を問わず、現行のムーブメントは2万8800振動/時(8振動、4Hz)が大半を占めている。またかつては極めて稀であった3万6000振動/時(10振動、5Hz)の新キャリバーが近年、複数のブランド各社から登場しており、さらには5万7600振動/時(16振動、8Hz)や7万2000振動/時(20振動、10Hz)という超ハイビートまでもが発表されつつある。
しかし、ハイビート化が機械式時計にとって必然的な進化である……、と断ずるのは早計である。今でもロービートを選択する名門老舗メゾンや実力派の小アトリエ系メゾンが、決して少なくはないのだから。後述する素材や技術の進化で、ハイビート化は容易になった。しかしロービートは過去の遺物では決してなく、そうでなければならない理由が明確にある。
写真は2025年にリリースされたグランドセイコー SBGH349 “氷瀑”。3万6000振動/時(10振動、5Hz)で駆動するCal.9S85を搭載している。
振動数(Hz)とはそもそも何を指すものなのか
3万6000振動/時(10振動)で駆動する、グランドセイコー Cal.9SA5のデュアルインパルス脱進機。Courtesy of SEIKO WATCH
同じ長さの振り子は、振れ幅や重さに関わらず一定時間で往復する──1583年、ガリレオ・ガリレイが「振り子の等時性」を発見したことで、人類は短い時間周期を正確に計る術を得た。現在の機械式時計も、この法則を利用している。腕時計用のムーブメントで振り子に代わって時をカウントするのは、ヒゲゼンマイが備わるテンプ。そして設計の段階で、テンプが何回振れたら1秒となるかを決める。このテンプが単位時間あたりに振れる回数が、振動数である。大半は5~10回、すなわち5~10振動で1秒となるよう設計され、脱進機で制御することで秒針は1秒のあいだをその振れ数分、ステップ運針する。
この秒間5~10振動を1時間周期に換算してみよう。60分=3600秒なので、かける3600で1万8000振動/時~3万6000振動/時となる。うち2万1600振動/時以下をロービート、それより上をハイビートと呼ぶ。また振動数はどちらに振れても1回とカウントするが、欧米で多用されるHz(ヘルツ)は、テンプが元の位置に戻る周期を表しているため、数値は秒間振動数の2分の1換算となり、3Hzがロービートとハイビートの境となる。
ロービートからハイビートへ、時計史における“振動数”の話
2019年にオメガは、19 ライン キャリバーの125周年を記念して復刻している。当時と同じ、1万8000 振動/時 (5振動、2.5Hz) で動作。Courtesy of OMEGA
柱時計の振り子や置き時計のテンプの大半が1秒間で1~2振動であるのは、固定された状態で動き、外的影響をほぼ受けないから。しかし携帯される懐中時計や腕時計は、振動や姿勢差といったさまざまな外的影響を受ける。それを軽減するため、クロックと比べてはるかに高い振動数としているのだ。独楽(こま)が回転速度が速くなるほど安定するのと同じだ。テンプも振動数が上がるほど振動は安定し、外的影響を受けづらくなる。しかし一方で、振動数が上がるにつれて同じ主ゼンマイであれば駆動時間は短くなり、またパーツの摩耗はより速く進み、潤滑油の拡散も生じる。ゆえに1960年代初頭まで腕時計のムーブメントは、1万8000振動(5振動、2.5Hz)のロービートが主流だった。さらに言えば、当時多用されていた鋼製の主ゼンマイは、ハイビート化するには非力でもあった。
しかし、まずは1940年代後半に、鋼よりもはるかに弾性に優れる……、つまり力強い主ゼンマイ用の合金が登場。そして1960年代になると、潤滑油がそれまでの動物性や植物性から粘度が安定して調整できる化学合成油に変化し、主流となっていく。さらにパーツの表面に飽和脂肪酸のひとつであるステリアン酸皮膜を形成し、潤滑油の拡散を防止するエピラム処理が確立されたことで、ハイビート化の道が開かれた。工作機械も進化し、パーツのより細かな歯切りができるようになったことも、ハイビート化を後押しした。
当時、多くの時計ブランドが目標としていたのは、スイスの天文台での精度コンテスト入賞であった。外的影響を受けづらいハイビートムーブメントは、高精度が得やすい。ロンジンはこのコンクール向けに、3万6000振動/時のハイビートムーブメントCal.360を1959年に開発。その2年後に見事優勝を果たしている。1965年にはジラール・ペルゴから量販型ムーブメント初の3万6000振動/時をかなえたクロノメーター HFがリリースされ、市販モデルでもハイビート時代が開いた。
1969年に開発されたゼニスの高振動クロノグラフムーブメント、エル・プリメロ 3019PHC。
日本の諏訪精工舎(現セイコーエプソン)と第二精工舎(現セイコーインスツル)も当時、天文台コンクールに挑むべくハイビート技術を研鑽していた。1967年にまず諏訪精工舎が3万6000振動/時のCal.5740Cを開発。同じ年、ロンジンから同じく3万6000振動/時のハイビート機であるCal.431を搭載したウルトラ-クロンが登場。さらに翌年には、第二精工舎も3万6000振動/時のCal.45系の開発に成功している。
そして1969年、現代にまで至るハイビート機の傑作が生まれる。一体型クロノグラフ初の自動巻きにして3万6000振動/時を誇るゼニスのエル・プリメロである。ハイビート化によって、機械式時計の新時代が開く……と誰もが思っていたのだが、クォーツ式ムーブメントの登場で一気に流れが変わってしまう。クォーツショックによりいくつものブランドやメーカーが消滅し、多くの機械式時計製造技術が失われた。しかしムーブメント会社の統廃合によって、巨大なエボーシュエーカーETAが誕生。やがてスイス機械式時計冬の時代が明ける気配が見え始めた1990年代、多くのブランドがETAを頼った。同社のキャリバーの大半は、ハイビートに分類される2万8800振動/時だった。これは、精度と駆動時間、パーツの耐久性、量産のしやすさといったトータルバランスに優れると判断したから。そして他社もこれに追随し、2万8800振動/時は業界標準と呼べるほど主流となっていったのである。
“ロービート”の特徴、メリット・デメリット
2025年に復活を果たした、ゼニスのCal.135。
- ロービートのメリット:パーツが摩耗しにくく、ムーブメントの寿命を伸ばすことができる
- ロービートのデメリット:精度を出すためには高度な調整技術を要する
これまで繰り返し述べたように、外的影響を受けづらいハイビート機は高精度が得やすい。翻ってロービート機は精度が劣る……というわけでは、ない。オメガの19 ライン キャリバーや、2025年に復活を遂げたゼニスのCal.135は、いずれも1万8000振動/時ながら高精度機として数々の輝かしい実績を残している。さらに復活した新Cal.135はC.O.S.C認定クロノメメーターを取得し、高精度であることを証明してみせた。正確さを追求するA.ランゲ&ゾーネのキャリバーも、一部を除き2万1600振動/時である。
ロービートはハイビートと比べ、香箱からガンギ車までの各歯車のギア比が小さい。歯車の伝達トルクはギア比に反比例するため、ロービートであるほど大きなトルクがガンギ車に伝達できる。結果ロービート機は、より大きなテンプを動かすことができ、その慣性モーメントの大きさで外的影響に抗うことで高精度を叶えているのだ。ロービート機からチクタクという打刻音が大きく聞こえるのは、強いトルクで脱進機を動かしているから。しかし巨大テンプを組み込むには技術力が必要で、調整もより難しい。ロービート機が、手間と時間が掛けられる高級機に多いゆえんである。
A.ランゲ&ゾーネ、F.P.ジュルヌなど一部のブランドがあえてロービートを選ぶ理由
2015年のランゲ1に搭載されていた、Cal.L121.1。2万1600振動/時(6振動、3Hz)で駆動する、手巻きムーブメントである。
高級機を主力とするA.ランゲ&ゾーネやオーデマ ピゲ、F.P.ジュルヌ、H.モーザーなどがロービートを選択しているのは、機械への負荷が少なく、その分製品の寿命が延びるからというのが一番の理由だ。ハイビート機における潤滑油の拡散問題は完璧には解決されていないし、オイル劣化も速く進む。前述した4ブランドは、ムーブメントパーツのすべてを伝統的な金属製としている。パーツの摩耗やオイル劣化の観点から、ロービートを選択するのは必然だと言えよう。対してA.ランゲ&ゾーネやオーデマ ピゲと同じ老舗名門メゾンであるパテック フィリップとブレゲは、シリコン製パーツの積極的な導入によりハイビートに舵を切っている。
またETAを率いるスウォッチグループは、もっとも広く普及した自動巻きの名機Cal.2824/A2をフリースプラング化し、テンプの加工精度を上げることで、正確さはそのままに2万8800振動/時から2万1600振動/時のロービートに改めたCal.C07.811をグループ内で共有している。これは数少ない量産型のロービート機であり、低振動とすることでパワーリザーブを伸ばすことを目的に開発された。
さらに言えば、テンプと脱進機を内包したキャリッジを回転させるのに大きなトルクが必要なトゥールビヨンの多くが、ロービートだ。大きなトルクが得られる一方で機械への負荷が少なく、駆動時間が伸ばしやすい。ロービート機は決して時代遅れではなく、機械式時計にもたらすメリットはまだまだ多い。
“ハイビート”の特徴、メリット・デメリット
グランドセイコーの誕生から60周年の節目に登場した、Cal.9SA5。3万6000振動/時(10振動、5Hz)で駆動する。
- ハイビートのメリット:ビートエラーが起きにくく、高い精度を出しやすい
- ハイビートのデメリット:ロービートと比較するとパーツの摩耗が早く、パワーリザーブが少なくなりがち
前述したように、パーツの摩耗やオイルの飛散といったハイビート機のデメリットは1960年代に大幅に軽減されたが、完璧ではない。駆動時間に関しても、ロービートを凌駕できない。にもかかわらずETAを筆頭に2万8800振動/時のハイビートが主流となっているのは、なんといっても量産化が容易だからだ。
高速駆動により振動が安定し、振り角も落ちづらい。そのためハイビート機のテンプは、言葉を選ばなければ少々乱暴に組み込んでも良好な精度が得易い。調整も、ロービートよりも気を使わなくて済む。1990年代以降、ムーブメント組み立てのオートメーション化が進んだのは、それらがハイビート機だったからだ。そしてオートメーション化によってコストは抑えられ、機械式時計を広く普及させることに貢献もした。
さらにシリコン製パーツの登場が、パーツの摩耗やオイルの飛散を解消。軽量であるため駆動効率が高まり、パワーリザーブを伸ばすことができるようになった。またグランドセイコーは、長いガンギ車の歯先がアンクルに加えてテンプの振り座を直接打つ、高効率なデュアルインパルス脱進機、そしてツインバレルの搭載によって3万6000振動/時でも80時間駆動を実現してみせた。このCal.9SA5は、職人が手組みする高級機である。また前述したパテック フィリップ、ブレゲに代表されるように、ハイビートな高級機は他社にも存在する。
高級ブランドがハイビートを選択するのは、ロービートよりも耐衝撃性に優れているから。またクロノグラフにおける精密計時も、ハイビートが勝る。デメリットの多くが解消された今、機械式時計のハイビート化はさらに進むかもしれない。
技術の進歩により変わりつつある、ハイ&ロービートの常識
F.P.ジュルヌ クロノメーター・スヴランの2025年モデル。2004年に初出となったこのモデルには、現在まで変わらずロービート(2万1600振動/時)のCal.1304が組み込まれている。
ETAのCal.C07.811という例外もあるが、ロービートの大半は高級機である。巨大なテンプがゆったりと時を刻む様子は、いつまでも見飽きない。またハイビートのようにテンプの空気抵抗を気にしなくてもいいから、古典的なチラネジ付きテンプが存在するのも、ロービートならではの魅力だ。
対してハイビート機の優れた耐衝撃性能は、特にスポーツウォッチにおいて有利に働く。高級機も存在するが、多くが量産型で低価格のモデルが選べる。ロービートの大半は、古典的で趣味的な要素が大きい。ハイビートは頑強でモダン。さらに高級機から普及機まで含めると、選択肢はハイビートのほうがはるかに多い。
どちらが優れているかの論争かは、不毛でしかない。ここまでに語ってきたそれぞれの個性に目を向け、自分の用途と好み合ったモデルを選ぶのが、時計趣味における最良の道である。
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