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生きている中で、最高の時計職人をただ一人に決めるのは難しいことだ。偉大でありながら斬新である、F.P.ジュルヌだろうか? それともシンプルさと複雑さを併せ持つルートヴィッヒ・エクスリンだろうか? もしくは手作りへと転向したロジャー・スミスだろうか? この3人の男達全員が条件に当てはまるが、議論を深めるには、「フィリップ・デュフォー」という名前に言及しないわけにはいかない。
例えば、歴史上はじめて腕時計にグランド・ソヌリを搭載した人物でについては、まだ多くが語られていない。そして、腕時計にダブルバランスホイールを取り付けた最初の人についてもだ。そして、グランドソヌリとデュアリティはデュフォーの象徴の2つであり、最高の職人としての称号を得たものといえる。だが、間違いなく彼の真のレガシーとなるのはシンプリシティだ。
デュフォーはそれを、ジュウ渓谷の伝統的なスイス時計製造の究極の表現であると考え、複雑さではなく、自社生キャリバーの仕上げに焦点が当てられている。それは世界で最も洗練された時計の1つと見なされている。
デュフォーは2000年から2014年ごろまで、シリーズとして200本のみ生産した。これは、年産15本の計算になる。信じられない程大変なことだ。これらの時計は、世界で最も目ざとい時計コレクターたちの貴重なコレクションの中にあり、公の場で売買されることは滅多にない。
2016年11月、最初のシンプリシティがオークションにかけられ、実際には2番目、3番目もオークションにかけられた。 2日間(11月28日と29日)にわたって、クリスティーズは1本を販売し、フィリップスは2本を販売。
3本それぞれを見てみよう。
11月28日 シンプリシティNo. 61 37mmホワイトゴールド ギヨシェ文字盤(クリスティーズ)
3つの時計がほぼ同時にオークションにかけられるのは信じがたいことだが、すべて異なる仕様だった。最初の時計は、クリスティーズの香港会場のロット2842で、ホワイトゴールドの37mmの見本だ。シンプリシティに最も結びつきのあるダイヤル、中央にあるギヨシェダイヤルを特徴とする。 No. 61であるため、比較的初期の作品(今回の3つのうちでは最新のものだが)であり、ケースサイズが大きくシルバー白のゴールドがよく似合っている。このシンプリシティは、およそ10万ドルから18万ドルの間で販売されると予想されていた。(約1080万円~1900万円当時)
11月29日 シンプリシティ No. 11 37mmローズゴールド ラッカーダイヤル(フィリップス)
こちらの時計は、フィリップス香港会場でオークションにかけられ、またしても私の好きなシンプリシティだ。37mmのローズゴールドケースで、見事な白いラッカーダイヤルが配されている。多くの人が間違えそうだが、これはエナメルではない。デュフォーはエナメルと同様の外観と優れた耐久性をもたらすうえに、ケースを薄くできるラッカーを使用することを選択したのだ。
そして、ケースについていえば、丸みを帯びた形状と長く細いラグを持つ37mmのシンプリシティは、スイスでこれまでに作成された中で最も神々しいものの1つだ。この非常に初期の作品(No. 11)は、バランスコックに「PD」の刻印が付いた希少な1本である。この素敵なデュフォーの推定価格はおよそ12万ドルから18万ドルだった。(約1300万円~1900万円当時)
11月29日 シンプリシティ No. 30 ギヨシェダイヤル 34 mmホワイトゴールド(フィリップス)
本機は最近オークションで販売された最後のシンプリシティであり、フィリップ・デュフォーの時計デザインの中でも間違いなく最も興味深いものとなっている。本機は34mmサイズのホワイトゴールドで、特徴的なギヨシェダイヤルを持つ。これは、今日までデュフォー氏自身が着用していたものと全く同じモデルで、彼の手首でよく見られるNo. 000プロトタイプの複製だ。フィリップスは、37mmローズゴールドウォッチと同じ価格を見積もっていて、12万ドルから18万ドルだった。 (約1300万円~1900万円当時)
製造番号に関するメモ
シンプリシティがいくつ作られたのかについて、投機的な観点から話を聞いたことがあるので、それについて言及したいと思う。デュフォーが最初にプロジェクトを発表したとき、彼はコレクター達に向けて100本作っていると語った。しかし、彼の時計を多くのコレクターが求めていることに気付いた彼は、シリーズを200に拡張した。 多くの人はどこかで終わりが来ると推測していたが、彼は未だシンプリシティシリーズを終わりにするとは言っていない。
2015年1月、中国のフォーラムctime.comへの投稿により、デュフォーはまだシンプリシティを生産しており、彼の4人の大口顧客に向けたものだというニュースを報じた。最近ジュネーブで、私はとある所有者がナンバー205を着けているのを見つけた(もしその時計が存在するのなら、彼はそれに値する顧客なのだろう)。そしてデュフォー氏は、2018年冬のHODINKEEコレクターズサミットに出席したとき、信じられない程のニーズのために、シリーズをもう一度増産することを考えるかもしれないと述べた。これは決して、より多くのシンプリシティが世に出ることを意味するものではない。
デュフォー氏は結局、次の作品に取り組んでおり、それは彼自身による生産であり続けているので、より多くの時計を作る時間はなさそうである。しかし、少なくとも上の発言に言及する価値はあると思う。さらに、シンプリシティの製造番号が100、200、205のいずれであっても、この時計の品質、コレクターにとっての重要性、そしてその所有者に与える感動に変わりはない。
私は長年にわたって友人、コレクター、読者から、デュフォーの作品を手に入れられないものかと何十回も聞かれたが、今できる回答はこうだ。オークションに現れることがあれば、必ず入札に登録しなさい。それらが再び表舞台に出てくる保証はどこにもないのだから。