ラ・ファブリク・デュ・タン ルイ・ヴィトンは、2023年にダニエル・ロートとともにブランドが再始動するはるか以前から、ジェラルド・ジェンタと深く切っても切れない関係を築いてきた。ラ・ファブリク・デュ・タン LVを率いる時計師ミシェル・ナヴァス(Michel Navas)氏とエンリコ・バルバシーニ(Enrico Barbasini)氏は、ジェンタの直接指導のもとで働いた最後の時計師なのである。
モナコ・レジェンド・オークションにて、ディーラーのロベルト・カーソ(Roberto Caso)氏が着用していたのは、ホワイトゴールド製ケースにマザー・オブ・パールダイヤルを備えた、ジェラルド・ジェンタ ソヌリ・パーペチュアルカレンダーである。
彼らの根幹を成す理念のひとつは、きわめて複雑で、大胆なフォルムを持つデザインへのこだわりであった。それはジェンタのスタイルに忠実でありながら、複雑機構の伝統を受け継ごうとする他ブランドのなかでも、一線を画す唯一無二の存在感を放っていた。その好例のひとつが、長年にわたって私を魅了してきたジェラルド・ジェンタ ソヌリである。1994年の登場時、このモデルは市場で最も複雑な時計のひとつであり、800個の部品から構成されるCal.31000を搭載していた。このムーブメントは、のちにフランク ミュラーでも活躍するピエール=ミシェル・ゴレイ(Pierre-Michel Golay)氏によって開発された。そして現在、再始動したジェンタブランド第2弾として登場したのが、新作ジェラルド・ジェンタ ミニッツリピーターであり、ソヌリの精神を受け継ぐ後継機といえる。このモデルは年間10本の限定生産で、価格は32万スイスフラン(日本円で約5900万円)に設定されている。
1980年代、ジェンタのミニッツリピーターへの執着は頂点に達していた。彼は自動巻きミニッツリピーターや、防水性能を備えたミニッツリピーター(これは現代においても偉業とされる)、さらに前述した永久カレンダー付きソヌリなどを次々と生み出していった。そしてブランドの再始動にあたって登場したのが、ジェンタの物語におけるもうひとつの象徴的存在である、ジャンピングアワーとレトログラード式分表示を備えたミニッツリピーターである。ミッキーマウスの姿をダイヤルに配したこの時計は、Only Watchオークションのために製作された。
下の写真をよく見ると、この時計と新たに開発されたGG-002ムーブメントの構造に共通点があることに気づくだろう。ジャンピングアワーモジュールを省略し、40mm径×9.6mm厚のイエローゴールド製ケースに収められた新作ジェンタ ミニッツリピーターは、洗練を極めたハイエンドウォッチメイキングの結晶なのだ。
1980年代から1990年代にかけてのジェラルド・ジェンタ作品を見たことのある者にとっては、このデザインが彼のものであることは明らかだ。初期の作品を特徴づけていた鋭角的なフォルムに比べて洗練された印象こそあるが、その本質は変わらない。ブランドのアーティスティック・ディレクター、マチュー・へギ(Matthieu Hegi)氏は、過去に敬意を払いながらも復刻にとどまらないアプローチで、この新しいケース形状とダイヤルデザインをゼロから設計した。
故ジェンタの妻、エヴリン・ジェンタ(Evelyne Genta)夫人に話を聞いたのは昨年、クレドールがロコモティブを復刻した際のことである。彼の審美眼が時を経てどのように洗練されていったか、その進化について貴重な洞察を得ることができた。もしジェンタが今も存命であったならば、おそらく現在の彼の作品には、このようななめらかで丸みを帯びた小石のようなフォルムがより多く見られただろう。ケースがやや丸みを帯びてはいるものの、彼の本質は今もなお随所に息づいている。
ケースの垂直方向の中心から突き出す一体型の固定ラグは、ごく限られた例外を除けばジェンタの時計にしか見られない特徴であり、ひと目でその系譜を物語っている。また段差のある傾斜状のクッションケースも、過去のソヌリモデルに見られた蜂の巣スタイルのデザインを想起させる。
一方で、より控えめな要素もある。たとえばダイヤルに天然のオニキスを採用している点は、ジェンタがストーンダイヤルに抱いていた情熱へのオマージュである。この姿勢は、ブランドの意表を突くファーストリリース、ジェンティッシマ ウルサンのバリエーションにも表れており、なかには見事なファイアオパールダイヤルを備えたモデルも存在する。好き嫌いは分かれるかもしれないが、大胆なデザインであることだけは疑いようがない。
細身のバーインデックスと繊細なバトン針の組み合わせは、この時計がヘリテージに着想を得ていることを端的に物語っている。ダイヤルには、ラウンドスクエアのなかに円形のプリントでミニッツトラックを配置するという巧みな工夫が施されている。これはパテック フィリップのRef.5950、クッションケースのスプリットセコンド・クロノグラフが直面した“課題”に対する、より控えめで洗練されたアプローチを想起させる。さらに注目すべきは、オニキス製のカボションにもダイヤルと同じ素材が用いられている点である。これはジェンタらしさと、カルティエ的なエッセンスを見事に融合させたディテールである。
ラ・ファブリク・デュ・タン ルイ・ヴィトンは、いまや独立系高級時計ブランドのようなアプローチで、卓越したウォッチメイキングを次々と成功させている。確かにLVMHグループの一員ではあるが、ジャン・アルノー(Jean Arnault)氏は、アトリエ内部で手がけられる特別な取り組みの数々が過度に商業主義的になったり、真のウォッチメイキングの精神から乖離してしまったりすることを防ぐべく、肘を張ったような守りの姿勢を貫いている印象を受ける。
ここで言及しているのは、これまでのレジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)氏やカリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏とのコラボレーションを除いた部分である。むしろダニエル・ロートの復活作や、特にいくつかのミニッツリピーターにこそ注目すべきだ。たとえば今年初めに発表された懐中時計、エスカル・アン・アマゾニは、私のキャリアのなかでも屈指の仕上がりを誇るムーブメントを搭載していた。また同シリーズでは、異なる情景を描いた1点物のバリエーションも展開されている。
懐中時計エスカル・アン・アマゾニに搭載されたムーブメントには、歯車の歯も含めて合計646ヵ所の内角が存在する。そのラチェットは凹型に仕上げられており、ポリッシュ作業には3週間を要した。
上で紹介した推定300万ユーロ(日本円で約5億2000万円)の懐中時計には及ばないにせよ、GG-002ムーブメントも十分に複雑かつ精緻な仕上げを誇っており、ブランドは年間10本のみの生産を予定している。このムーブメントは6姿勢で調整され、32石を搭載し、さらに80時間という優れたパワーリザーブを実現している。巻き上げにはバークリック機構が採用されており、これは巻き上げ操作時の触感そのものを楽しめるよう設計されたものだ(リピーター機構は非常に多くのエネルギーを消費するため、使用頻度が増すほど巻き上げの必要性も高まる)。また、リピーターの打音のテンポを制御する遠心調速機(慣性ホイール)は、ジェンタが好んだフォルムに敬意を表して八角形に成形されている。
このリピーターは、ステンレススティール製の単周式ゴングととふたつのハンマーによる構造を採用している。つまり、ゴングはケースの外周を1周するのみで(カテドラルゴングミニッツリピーターのような、長く複雑な構造ではない)、音階は2音(時と分)で構成される(カリヨン式のように3音を奏でるものとは異なる)。音の伝達性という点では、ゴングがケースに直接固定されているため、響きがより効果的に増幅される点も見逃せない。
世界にほんのわずかしかないような、複数のリピーターを手元にそろえて比較できる幸運な立場にはいないが、それでも比較的頻繁にその音色を耳にする機会がある。一般的な印象としては、ローズゴールドがもっとも理想的な素材で、“温かみのある”音が得られると言われている。ただし、それを裏付ける決定的な検証結果はまだ見たことがない。仮にそれを証明するならば、同一ムーブメントをさまざまな素材のケースに収め、ムーブメント自体という変数を排除した上で比較する必要があるだろう。そうした前提を踏まえたうえで言えば、このモデルは、記憶にあるなかでもとりわけ大きな音量を誇るリピーターのひとつであり、特定の例で見られるような“金属的で軽い”響きではなく、満足感のある温かみを持った音を奏でている。
この時計は間違いなく独特なルックスを持っているが、ギーザーウォッチ(編注;年月を経たヴィンテージウォッチ、あるいは年配の男性が着けるタイプの時計のこと)やファッション感度の高い層のあいだで1980〜1990年代のデザインが再評価されている今、その魅力はむしろ高まっているように思える。印象的な外観とは裏腹に、ケース厚9.6mmの中央に配されたシングルラグによって全体のバランスは良好であり、しばしば頭でっかちになりがちなヴィンテージモデルとは一線を画している。そして、こうしたフォルムを“スラブサイド(板状の側面)”だと批判する声もあるかもしれないが、まさにそこがこのデザインの狙いなのである。
防水性能などの技術的なスペックについてはブランドからの公表はなく(仮に備わっていたとしても最小限だろう)、この時計が年間10人の購入者のいずれかにとって“日常使い”される可能性はきわめて低いと考えられる。とはいえ、ケースをシンプルな超薄型のタイムオンリーに落とし込んだ場合、この全体的な美観は多くの人にとって十分に魅力的に映るはずだ。今回、この撮影用サンプルが手元に届いた際、写真撮影の合間を縫って1日中オフィスで着用していた(仕事の特権というやつだ)。だがその間、1度も扱いにくいと感じた瞬間はなかった。
前述のとおり、新型ジェラルド・ジェンタ ミニッツリピーターの価格は32万スイスフラン(日本円で約5900万円)である。これに対し、ブランド内で唯一の比較対象となるのが、Only Watchのために製作されたユニークピース、ジェラルド・ジェンタ ミッキーマウス ジャンピングアワー ミニッツリピーターだ。ただし、このオークションは開催の遅延や、クリスティーズを巻き込んだハッキング事件の影響によりオンライン入札が不可能となったこともあり、混乱に見舞われた。その影響もあってか、同モデルの落札価格は17万スイスフラン(日本円で約3100万円)と、事前予想の半額以下にとどまった。加えてあのミッキーマウスモデルは1点物であり、入札にはそれなりの個人的嗜好が求められる側面があったのに対し、本作はより幅広い層にアピールする構成となっている。
市場全体と比較するのは難しいが、いくつかの基準は存在する。たとえばパテック唯一の“タイムオンリー”ミニッツリピーターであるRef.5178Gは、“レアハンドクラフツ”ダイヤルと自動巻きムーブメントを備え、記事執筆時点での価格は56万3011ドル(日本円で約8300万円)、ケース厚は本作よりも約1mm厚い。また同モデルの前身モデル(ブレゲ数字とエナメルダイヤルを備えた仕様)は、二次流通市場では47万5000ドル(日本円で約7000万円)以下で取引されている。オーデマ ピゲのCODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ ミニッツリピーター スーパーソヌリ(Ref.26395NR)は、2023年の発売時に32万5000スイスフラン(日本円で約6000万円)という価格で登場したが、直径41mm、厚さ13.6mmと、さらに大型である。ヴァシュロン・コンスタンタンには現在、単独のミニッツリピーターはラインナップされていないが、かつてのパトリモニー・リピーターは2019年時点で約35万ドル(日本円で約5200万円)であった。
ミニッツリピーターは、ウォッチメイキングにおける最難関な複雑機構のひとつとして知られている。そうしたなかで、ブランド再始動の第2作にしてこれほど完成度の高いモデルを完成させたことは、たとえラ・ファブリク・デュ・タンのインフラに支えられていたとしても実に見事な達成である。そしてこのモデルは、ジェラルド・ジェンタというブランドが過去に特別な存在であった理由、すなわち複雑機構を前面に打ち出し、際立ったデザインとともに提示する姿勢を、現代においても守り続けていくという明確な意思の表れでもあるのだ。
詳しくはジェラルド・ジェンタ公式サイトをご覧ください。
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