ADVERTISEMENT
ビジネス報道に20年以上携わってきたなかで、私の心に刻まれているいくつかの真実がある。そのなかで最も強い影響を与えたもののひとつは、伝説的な記者であり伝記作家のロバート・カロ(Robert Caro)氏による言葉であり、「重要なのは、ページに書かれたことだけ」である。
この信条はいくつかの方法で解釈できるが、私は常にこう理解してきた。何かを経験し、目にし、発見したとしても、それをストーリーとして報告しページに記さなければ、読者はそれを知ることができないため、結局のところ重要ではないのだ、と。私はそのプロンプトを“時計と私の1年”というテーマの本稿に、デジタル版およびプリント版のHODINKEE、あるいはポッドキャスト“The Business of Watches”(ちなみに1/7より週刊化されている)に掲載された最も魅力的で重要なビジネス関連のイベントやストーリーに焦点を当てるために使いたいと思う。しかしそれ以上に重要なのは、ビジネスの観点から2025年が時計業界にとって何を意味したのか、そして2026年が何をもたらすのかを考察することだ。
ラ・ショー・ド・フォンにあるタグ・ホイヤーの本社。
HODINKEEでの最初の1年間、時間が飛ぶように過ぎたというよりも超音速で駆け抜けた。そのため最初から振り返るのはやめよう。10月、スイスのラ・ショー・ド・フォンでの集まりにさかのぼる。これはタグ・ホイヤー コレクターズ サミットだった。熱心な時計愛好家、コレクター、ディーラーたちの集会であり、ブランドの本社を訪れ、ミュージアムやアーカイブを見学し、製造施設を間近で見ることができた。グループは真に多国籍で、米国、英国、アジア、欧州大陸、スカンジナビア、そして遠くはオーストラリアやニュージーランドからも参加者が集まった。それはあるひとつの共通点を持った、並外れて多彩な男女の集まりだった。彼らはヴィンテージのホイヤー、およびタグ・ホイヤーのタイムピースに情熱を注いでいた。言うまでもなく、その場にあった時計のいくつかはまさに驚くべきものだった。希少でユニークなオータヴィア、カレラ、カマロ、モナコ、奇妙でワイルドなフォーミュラ1、そしてホイヤー製の愛すべきアバクロンビー&フィッチ “シーファラー”の数々。それはブランドに焦点を当てた、最高に素晴らしい時計とオーナーのコレクションだった。
そしてサミット中、タグ・ホイヤーのエグゼクティブが昼食会でグループに語りかけた。「皆さんがヴィンテージ作品に対して抱いているのと同じくらい、我々の新しい時計に対しても情熱と興奮を持っていただきたいのです」と。
この男性は、真に熱心なタグ・ホイヤーのコレクターだ。
その発言は形式的なもの、あるいは当たり前のことのように思えるかもしれない。しかし、それはきわめて重要なことだ。それこそがスイスの主要な時計ブランドにとっての核心となる使命であり、課題なのだ。つまり新製品や既存のモデルラインに対して、大きく意味のある規模で欲求をかき立て、生み出し、その欲求を売上へと変換することだ。時計を通じて潜在的な顧客に必要な感情を引き起こすよう仕向けるために、企業が辿れる道は無数にある。デザイン、技術面における成果、仕上げ、革新、ノスタルジー、伝統、コミュニティ、希少性、価格、そして価値などはそのほんの一部に過ぎない。しかし2025年、これらすべてのレバーを引くことは、一連の外部要因が組み合わさって前例のない方法でスイス時計業界に立ちはだかったため、より困難なものとなった。
2025年は、スイス時計製造にとって過去10年余りで最も構造的に困難な年として記憶されることになるだろう。数年間にわたる記録的な輸出額の伸びと世界的な需要の高まりを経て、業界は地政学的な逆風、価格圧力、為替の乱高下、そして消費者行動の変化が合流した荒波に翻弄されることとなった。輸出は激しく変動し、雇用はポストコロナ時代以降で初めて減少に転じ、マクロ経済のストレス要因、とりわけ米国の関税政策やスイスフラン高、そして急騰する金価格がバリューチェーン全体の戦略の見直しを迫った。
2025年はブランドと経営陣にとって真価が問われる年となり、不確実性が支配した。オーデマ ピゲのCEOイラリア・レスタ(Ilaria Resta)氏が“完璧な嵐(Perfect Storm)”と呼んだこの危機に各社がいかに反応したかは、今後数年間にわたって影響を及ぼすだろう。これらの反応の結果は、2026年により明白になり始めるはずだ。
2025年、金価格は記録的な水準まで急騰した。
金価格は2025年初頭の約2600ドル(当時のレートで約40万円)から、12月には1オンスあたり4400ドル(当時のレートで約68万円)を超えて急騰し、70%近く上昇して過去最高値を記録した。これは貴金属価格において1970年代以来で最大の年間変動だ。一方、スイスフランは米ドルに対して上昇を続け、12月には1フランあたり1.27ドル(当時のレートで約198円)に達した。一時は39%まで変動し、現在はより管理できる範囲であるものの依然として無視できない15%にまで引き下げられた米国の関税を加えると、今年のスイス時計メーカーおよび業界へのコスト圧力は甚大であり、前例のないものだった。
2025年、スイスフランは米ドルに対して10%以上も値上がりし、時計メーカー各社にコスト面での圧力を加えることとなった。
ほとんどのブランドはどうしたか? 彼らは小売価格を上げたのだ。消費者がこの新しい価格の現実にどう反応したか、そして今後どう反応し続けるかはまだ未知数だ。2022年と2023年のポストコロナのブーム期の大幅な値上げにより、一部のブランドは現在、自らの価格決定力の限界を試されている。
我々の友人であるWatchChartsが記録しているように、10月時点でパテック フィリップによる22%以上の引き上げからIWCの2%強の引き上げまで、ほぼすべての主要ブランドが2025年に価格を引き上げた。パテックが米国のブティックにおいて直近の15%の値上げの一部またはすべてを撤回する可能性があると報じられているが、2026年は、どのブランドが依然として自社製品にはそれだけの価値があると顧客を納得させられるブランド力を築き上げているかを、さらに証明する年になるだろう。各ブランドは利益率を維持するために、今年も値上げを続けるはずだ。トップクラスのひと握りのブランドにとっては、さらなる値上げが需要に影響を与える可能性は低い。例えばWatchProによると、ロレックスは年初に米国で平均約7%、英国で約5%の価格改定を行い、チューダーやオーデマ ピゲも同様に値上げを実施した。それ以外の多くのブランドにとって、2026年はブランド価値のさらなる試練の年となるだろう。
各ブランドは関税、為替の変動、および貴金属価格の上昇に対応して、2025年に価格を引き上げた。Image and data courtesy of WatchCharts.com
2025年の危機は、スイス時計業界を急速な二極化を加速させたに過ぎない。一方では、カルティエ、ロレックス、オーデマ ピゲといったブランドがあり、これらは憧れの対象であり続け、値上げと持続的な需要の両方によって2025年も売上は成長を続けた。F.P.ジュルヌ、レジェップ・レジェピ、MB&Fのようなニッチで少量生産のハイエンドウォッチメーカーを脇に置けば、主流のよりボリュームの大きい大量生産のブランドはすべて、消費者の手首を勝ち取るために必死に戦っている。コスト圧力と消費者のより選別的傾向が、時計業界のこの層を深く苦しめているのだ。
時計を企画・製造するための参入障壁は取り払われ続け、かつてないほど低くなっている。時計のデザインといくらかの資本があれば、ブランドを立ち上げることができるのだ。ジュネーブを拠点とするスザンヌ・サミュエルソン(Susanne Samuelsson)氏が作成した、新作時計の追跡を試みるウェブサイト、The Watch Pagesによれば、2025年には少なくとも935の新しい時計が登場した。そして確かに言えるのは、このリストがすべてを網羅しているわけではないということだ。
時計市場が成長しているという現実のなかでさえ、それはおそらくあまりに新作の数が多すぎる。とりわけ一部の消費者が、ヴォントベルのマネージング ディレクターであり、スイス株式調査部門の責任者であるジャン=フィリップ・ベルチー(Jean-Philippe Bertschy)氏が、“ラグジュアリー疲れ”と呼ぶ兆候を見せ始めている時期においてはなおさらだ。11月時点のスイス時計輸出額が2024年比で2.2%減の約235億スイスフラン(当時のレートで約3兆6480億円)となり、2023年比では4.7%減となったことを受けた最近の報告書のなかで、ヴォントベルとベルチー氏は引き続き次のような見解を示している。「伝統、価格決定力、そして多角化された展開に支えられたトップクラスのメゾンと、過剰生産能力と弱い価格規律がパフォーマンスの重荷となっている広範な市場とのあいだで、格差が拡大している」。
Image and data courtesy Federation of the Swiss Watch Industry
いくつかのブランドや企業は自社の時計に対する需要を維持するだけでなく、政治的な行動を通じても、業界のトップとしてのリーダーシップを示した。変動する関税率に翻弄され、混乱に陥るなか、2国間の通商関係を協議するために米国大統領との大統領執務室での会談を勝ち取ったのは、ロレックス、カルティエ(およびほかのリシュモングループのブランド)、そしてブライトリング(マジョリティ株主であるパートナーズグループを通じた間接的な参加)を代表する使節団だった。そのわずか数週間後、壊滅的な39%から引き下げられた15%の関税合意が発表された。この合意は、スイスの時計メーカーや米国の小売業者にとって依然として大きな財政的負担ではあるが、業界により安定した明確な活動基盤を与えた。
ロレックス、リシュモン、そしてパートナーズグループのトップを含むスイスの企業幹部らは11月に米国大統領と会談した。
スイス時計協会によれば、スイスは1月から11月末までに約1320万本の時計を輸出しており、これは前年同期比で6.6%の減少にあたる。時計部門はスイス経済の重要な柱だ。輸出産業としては第4位の規模を誇り、約6万5000人の雇用を担っている。この部門は部品メーカーやサプライヤーと深く相互に関連しており、雇用と経済的リスクにおいて最前線を象徴する存在だ。これらの企業の雇用はブランドからの発注やキャンセルによって大きく変動し、RTHとしても知られる、スイスのいわゆる“短時間労働”プログラムに最も大きく依存しているのは部品メーカーだ。このプログラムは2025年において恒久的な失職を抑えるための重要な要因となった。しかし2026年にはさらなる給付の期限切れが控えており、業界を代表するスイスの雇用主団体によれば、現在の経済状況が持続する場合、2026年の業界はさらなる圧力にさらされることになる。
生産数を抑え、価格を上げるという手法は、長らくスイス時計業界の多くにとって頼みの綱となる戦略だったが、絶え間ないプレミアム化の代償が表れ始めている。よりエントリー価格帯のブランドに重きを置くスウォッチ グループの売上は、会計年度の上半期に11%減少したと同社は7月に発表した。その前月、スウォッチ傘下のブランパンはフラッグシップのダイバーズウォッチであるフィフティ ファゾムスの38mmを、ストラップ仕様で220万円(編注;発表当時の価格)以上の価格で発表した。11月には、同社傘下のオメガがプラネットオーシャンの新型を180万円以上の価格でデビューさせた。一方でタグ・ホイヤーが長らく待ち望まれ、広く予想されていた(新しいソーラーグラフ ムーブメントを搭載した)フォーミュラ1の再始動を発表したが、その価格は26万9500円からとなっており、長年スイス時計の世界への入り口となってきたこの名門ブランドにとって、新たなエントリー価格帯を提示することとなった。
38mmのブランパン フィフティ ファゾムス。
スイスの時計産業は数世紀にわたって存続し、その強靭さを証明してきた。ヴァシュロン・コンスタンタンの伝統は1755年にまでさかのぼる。業界は常に生き残りを図ってきた。しかし、それは大きな激動なしに成し遂げられたわけではない。1970年代から80年代にかけてのクォーツ危機は、日本からの安価でより正確なクォーツウォッチの流入だけでなく、スイスフランの急騰によっても引き起こされ、業界内の半数以上のブランドに終焉をもたらした。業界の存続を助けたのは、のちにスウォッチ グループとなる組織が主導した統合と、画期的なスウォッチの腕時計(“セカンドウォッチ”というコンセプトで名付けられ、価格ではなく数量を重視する戦略をとったもの)だった。
2022年3月に発売されたムーンスウォッチは、世界中の限られたスウォッチのブティックで同時にデビューし、店頭販売のみという形態をとったことで、前例のない行列と世界的なメディア報道を引き起こした。これは商業的にも文化的にも、現代のスイス時計業界史上、最も影響力のある製品リリースのひとつとして広く認識されている。これはほんの数年前の出来事であり、スイス時計業界が今なお、世界共通の時代の精神を捉え、新しい世代や層を時計の世界へと引き込む製品を生み出せるということを証明している。
2022年3月のムーンスウォッチの発売は、このジュネーブの店舗を含め、各地で大規模な行列と世界的なニュースを巻き起こした。
ムーンスウォッチのデザインとコンセプトに大きく貢献した当時オメガにいた人物が、スウォッチ グループの最高峰ブランドであるブレゲのトップに就任したことは注目に値する。グレゴリー・キスリング(Gregory Kissling)氏が舵を取り、創業250周年の節目を迎えた今年、ブレゲはいくつかの新作を発表し、長年の苦闘を経て、現代においてより話題にのぼる高級時計ブランドとなることに成功した。2025年のジュネーブ時計グランプリ(GPHG)は、最高賞である“金の針賞”を含む複数の受賞者が予定より早く発表されてしまうという、技術的トラブルに見舞われた式典ではあったが、ブレゲのクラシック スースクリプションは見事に大賞を受賞した。この勝利はきわめて重要であり、名門ブランドの復権を印象づけるものだった。2026年はブレゲ、そしてその経営陣、時計師、デザイナーたちにとってさらなる試練の年となり、この勢いを活かせるかどうかが試されることになるだろう。
11月のGPHGで最高賞を受賞するブレゲのCEO、グレゴリー・キスリング氏。Photo credit: James Stacey
名門ブランドであることと、現在において重要なブランドであることは同じではない。ブランドの重要性と強さを測る方法のひとつは、2次流通市場でのパフォーマンスを見ることだ。2021年と2022年に記録的なレベルまで前例のない高騰を見せ、その後2023年と2024年で急激な調整が続いたあと、取引額ベースで最も多く流通している中古時計の価格下落は、2025年にようやく鈍化した。高級時計トップ10ブランドから選出され、取引額によって分類・加重された300本の時計で構成されるオーバーオール・マーケット・インデックス(総合市場指数)は、12月31日時点で年間5%の下落となった。
オーバーオール・マーケット・インデックス(総合市場指数)は、2025年に約5%上昇した。Image and data courtesy WatchCharts.com
ブランドごとのパフォーマンスは少し異なる物語を語っている。アクアノートやノーチラスに牽引され、パテック フィリップが2次流通市場の上昇率で全ブランドをリードした。2025年に小売価格を積極的に上げたカルティエもトップ5に入り、ロレックスとチューダー、そしてオメガも上昇した。これらはすべて、数百年の歴史を持つ確立されたスイスブランドだ。
2025年のブランド別の2次流通市場パフォーマンス。Image and data courtesy WatchCharts.com
またビジネスの観点から見て、2025年における最も重要なウォッチスポッティングイベントは、ドバイウォッチウィークでもアカデミー賞でもなかったということは記しておく価値があるかもしれない。それは8月のInstagram上にあった。ポップスターのテイラー・スウィフト(Taylor Swift)が、NFLのスターであるトラビス・ケルシー(Travis Kelce)との婚約発表の際に、生産終了モデルであるカルティエのサントス ドゥモワゼルを着用していたのだ。このたったひとつのSNS投稿はZ世代や若い消費者に対する、時計やジュエリーブランドとしてのカルティエのポジショニングにおいて、いかなる広告キャンペーンも及ばないほどの成果を上げたと考えられる。
カルティエはテイラー・スウィフトのおかげで、2025年のウォッチスポッティング賞を勝ち取った。Watch image credit SwissWatchExpo
伝説的なジェームズ・ラムディン(James Lamdin)氏が10月にUBS House of Craftで語ったように、「自らの伝統に注意を払わない真のラグジュアリーブランドは、チャンスを台無しにしている」のだ。2025年には、多くの主要ブランドが2次流通市場および認定中古(CPO)において重要な動きを見せた。そのなかで最大手であるロレックスは、認定中古プログラムの条件を変更し、対象となる時計を従来の最低3年以上経過から2年以上経過へと緩和した。ロレックスのCPOプログラムの継続的な成長と、ウォッチ・オブ・スイス(ホディンキーの親会社)を含む小売業者にとっての重要性の高まりは、2次流通市場を認め、正規販売の枠を超えてブランドに対する監視と影響力を行使するというロレックスの決断が、地殻変動レベルの重要性を持っていることを裏付けている。
ジュネーブにあるブヘラの店舗におけるロレックス認定中古品。Image courtesy Rolex
2026年には、オーデマ ピゲ独自の認定中古サービスの展開が期待されている。ヴァシュロン・コンスタンタンやジャガー・ルクルトでデジタル部門の幹部を務めたダイナミックなマーク・モンターニュ(Marc Montagne)氏が主導するオーデマ ピゲのCPO開始は、今年注視すべき2次流通市場の主要な進展のひとつとなるだろう。そして同ブランドがこの重要で、成長中の市場セグメントにどうアプローチするのかを示すことになるはずだ。リュクスコンサルト(LuxeConsult)のオリバー・ミュラー(Oliver Müller)氏によれば、2次流通市場の年間売上規模は約250億ドル(日本円で約3兆9400億円)、最終的には約500億ドル(日本円で約7兆8900億円)と推定される一次市場を追い抜く可能性もある。実際、特に若い消費者にとって、2次流通市場はラグジュアリーウォッチへの入り口となることがきわめて多いのだ。成長するこのセグメントにおいて各ブランドが自社のポジショニングをどう管理し、小売業者が中古品のラインナップをどう発展・拡大させていくのかは、2026年に注目すべきもうひとつの重要な課題である。
オーデマ ピゲは、12月にサザビーズにて773万6000ドル(オークション開催時のレートで約12億1200万円)で落札された“グロス・ピエス”の買い手であったことを認めた。これは、非チャリティーオークションで落札された同ブランドの時計として史上最高額となる。Photo credit Mark Kauzlarich
そして市場のもうひとつの重要な一翼である、オークションの話に移ろう。大手オークションハウスの多くにとって、今年は驚くほど好調な1年であり、関税や経済的な不確実性という課題のなかでも、その多くが見事な回復力を示した。間違いなく、今年最も注目を集めたロットは、11月にジュネーブのフィリップスで記録的な1420万スイスフラン(オークション開催時のレートで約27億円超)で落札された、パテック フィリップのスティール(SS)製“Ref.1518”だった。これは、オークションで落札されたヴィンテージのパテックとしての史上最高額だ。その会場に居合わせた感覚として、私がこれまで経験したいかなる時計のオークションとも異なるものであり、文字どおり身動きが取れないほど満員で、私の記憶にある限り、時計オークションとして最も緊張感に満ちた空気だった。そんななか、ジェームズ・ステイシーと私はそのドラマを目の当たりにし、直接レポートした。それは特筆すべき結果であった。
一部で予想されていた2000万ドル(オークション開催時のレートで約30億円)台には届かなかったものの、真に希少でユニークなタイムピースの市場における、潜在的な強さと安定性を証明した。翌月、フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)氏が所有していたユニークピースのF.P.ジュルヌが、同ブランドのオークション史上最高額となる1075万ドル(オークション開催時のレートで約16億7000万円)で落札されたことで、独立系の王者としての同ブランドの地位が確固たるものとなった。2025年、F.P.ジュルヌの価格はオークションおよび2次流通市場で急騰した。同ブランドが毎年製造する約900本の機械式時計の小売価格は、今年さらに上昇しており、2026年におけるF.P.ジュルヌ製品の2次流通市場でのパフォーマンスは、今年の独立系ブランドに対する強さと関心を示すベンチマークとなるだろう。
SS製のパテック フィリップ Ref.1518の記録的な落札。Photo credit James Stacey
Everywatchがまとめたデータによると、バックス&ルッソと協力したフィリップスは、2025年の時計オークションハウスにおいてトップとなり、総落札額は2億7800万ドル(2025年12月のレートで約430億円)を超え、2位のサザビーズを大きく引き離した。3位にはクリスティーズが続く。F.P.ジュルヌがブランド別オークション総売上額で3位になったことはきわめて重要だ。この独立系ブランドはパテックとロレックスの後塵を拝したものの、Everywatchがまとめた150のロットに関する調査によれば、ブランドのオークション総売上額は約7300万ドル(2025年12月のレートで約110億円)に達し、オーデマ ピゲやカルティエをも上回った。データによれば、2025年はブレゲの作品もオークションで好調な結果を残した。
フィリップスが2025年の時計オークション販売を独占した。Image and data courtesy Everywatch
ブランド別オークション売上ではパテックとロレックスがリードしたが、F.P.ジュルヌが驚きの3位となり、独立系の王者となった。Image and data courtesy Everywatch
4月のWatches & Wondersにおける新作発表の規模と傾向は、もうひとつの重要な指標となるだろう。2年間にわたる経済的な課題を経て、業界が抑制的な対応を取るか、あるいは圧倒的な量の高価な新製品を市場に投入し続けるのか、その動向は(文字どおり)大きな意味を持つことになるはずだ。また、高額なスポンサー契約という、近年のマーケティング支出の急増が功を奏しているかどうかの証拠も探ることになる。タグ・ホイヤーが(LVMHによる年間約10億ドル/日本円で約1570億円規模のマルチブランド契約を通じて)果たしたF1への凱旋は、売上の増加に結びつく必要がある。
また、2026年シーズンに向けて、F1の各チームにおける注目度の高い時計スポンサーのラインナップにもいくつかの変化が予想される。米国では、NFLにおける公式のラグジュアリーなタイムピースとして、ブライトリングの役割がもたらす恩恵もより明確になるだろう。新興のスイスブランド、ノルケインがNHLと契約を結び、北米の小規模ながらも熱狂的なホッケーファンの手首を勝ち取ろうとする大胆な動きが成功するかどうかは、氷上ではなく、ブティックやオンライン販売の現場で決まることになる。
ブライトリング クロノマット オートマチック GMT 40 NFL カンザスシティ・チーフス エディション。Photo credit Shota Akiyoshi
確実なことは、すでに飽和状態の市場に、さらに多くの新しいブランドや時計が押し寄せようとしていることだ。ブライトリングによるユニバーサル・ジュネーブの再始動はおそらく最も重要で、かつ厳しく注視されるものとなるだろう。マネージングディレクターであるグレゴリー・ブルッティン(Gregory Bruttin)氏は、昨年9月にこの復帰ブランドの計画の一部を我々に語ってくれた。それはかつてのユニバーサル・ジュネーブではなく、超ラグジュアリーなハイエンドレベルでのクリエイティブな再解釈となる予定だ。コレクターたちが渇望し要求するクロノグラフを備えたコンパックスやジェンタ設計のポールルーターをアップグレードした、新しい改良モデルも登場するが、新生ユニバーサル・ジュネーブの運命、そして再構築されたブランドがカルティエ、パテック、オーデマ ピゲ、ロレックスといったブランドから市場シェアを奪えるかどうかを決定づけるのは、女性向けやジュエリーを主軸とした時計になるかもしれない。
ブルッティン氏によれば、ユニバーサル・ジュネーブは年間おそらく1000本程度という控えめな生産数からスタートするが、そこから急速に成長させる計画だ。価格帯の反対側に位置するのはギャレットで、これも来年、ブライトリングの新しいハウス・オブ・ブランド(House of Brands)という呼称のもとで再始動する予定だ。2000スイスフランから5000スイスフラン(日本円で約40万から100万円)の時計の価格帯は、伝統的な主要スイス銘柄から市場シェアを奪い取ってきた新興勢力やマイクロブランドがひしめき合っている。また、この領域は消費者の信頼感や、経済の減速に対して最も敏感であることも証明されている。ジョージ・カーン(Georges Kern)氏がブライトリングを復活させ、モルガン・スタンレーとリュクスコンサルトによる売上トップ10ブランドに返り咲かせた時のような成功を再現できるかどうかは、彼とそのチームにとって経営手腕の試金石となるだろう。
ユニバーサル・ジュネーブの限定モデル、トリビュート・トゥ・コンパックス。
そして、オーデマ ピゲの前CEOであるランソワ-アンリ・ベナミアス(François-Henri Bennahmias)氏がいる。彼は自身の新しい複合企業、ザ・オナラブル・マーチャンツ・グループ(The Honourable Merchants Group)を通じて時計業界へ復帰することを約束した。時計ブランドの買収などは2025年中に完了する予定だったが、投資や買収合意の最終決定が遅れたため、デビューは2026年初頭にずれ込んだ。現在はThe 1916 Companyの傘下にあるドゥ・ベトゥーンとの交渉も行われてきたが、名高い時計師であるドニ・フラジョレ(Denis Flageollet)氏の結晶である同ブランドの買収や投資に関する合意は、まだ発表されていない。いずれにせよ、ベナミアス氏は、オーデマ ピゲでの約12年にわたる在任期間中に売上を4倍以上、23億スイスフラン(当時のレートで約3450億円)超にまで成長させた、ラグジュアリーウォッチ界の巨人のひとりだ。彼を過小評価したり、無視したりすることはできない。
9月、スイス・ローザンヌ近郊で開催されたザ・オナラブル・マーチャンツ・グループのローンチイベントでのベナミアス氏。
業界のレジェンドといえば、パテック フィリップが2026年に、より伝統的で安定した1年を目指していることは間違いない。しかしそれは試練の年となるだろう。今年は、同ブランドがほかのモデルの影に隠れてしまわないよう長年苦心してきたスポーツウォッチ、ノーチラスの50周年だ。現在は、よりウェアラブルな40mmサイズが登場したキュビタスだが、その小振りなサイズでは依然として貴金属モデルのみの展開であり、一部の人々にとってはジェンタ設計のノーチラスから注目をそらすほど明確な違いを持った存在ではなかった。10月にミラノで大規模な展覧会が予定されているなか、このファミリー経営のブランドがノーチラスの半世紀をどのように祝うのか、その繊細な立ち回りは見ものとなるだろう。
ローズゴールド製で40mmのパテック フィリップ キュビタス。Image credit Mark Kauzlarich
チューダーは2026年に創立100周年を迎える。ロレックスは自らの重要な節目を控えめに扱うか、無視する傾向があるが、その負けず嫌いな弟分ブランドは消費者の注目を集めるような新しいモデルやストーリーで、この1世紀を記念することだろう。ロレックスが業界で最も重要で影響力のある支配的な存在であり続ける一方で、チューダーはおそらく過去10年間のスイス時計ブランドのなかで最高の復活劇を遂げた存在であり、今年チューダーが大波を起こすことを我々は期待している。
36mm径となり、ホワイトダイヤルが選べるようになったチューダーレンジャーは2025年の末近くに発売された。
最後に、2026年の時計業界の運命を決定づける最大の要因は、間違いなく世界経済だ。特に、近年の減速の主な原因とされている中国、そして最大の国別市場であり時計販売の継続的な成長エンジンである米国が鍵となる。米国の消費者は、信頼感の低下を示す兆候があるにもかかわらず、支出において驚くべき回復力を示してきた。アメリカ合衆国商務省によれば、消費者支出が3.5%のペースで増加したことで、第3四半期の経済成長率は過去2年間で最速となる4.3%増を記録した。
先を見据えると、価格上昇の継続や生活費増大への予期は、ベネズエラでの軍事行動に伴うさらなる地政学的不安定さと同様に、米国消費者の不屈さを試し続けるだろう。中国では、下落に歯止めがかかる初期の兆候が回復の兆しとなるか、あるいは偽りの回復に終わるかが明らかになるはずだ。これらふたつの市場が重要であることに変わりはないが、時計業界は次なる成長時代を牽引するために、新しい地域や領域での拡大に向けた基盤を築き続けなければならない。それはインドやメキシコといった国々であり、また湾岸諸国や中東のような地域だ。これらの発展途上市場では、より多くの人々を時計の世界へと引き込むために、価格とスタイルの両面でエントリーポイントが必要とされている。誘惑に駆られやすく、それが最も抵抗の少ない道ではあるが、時計業界は超富裕層のラグジュアリー消費者だけに焦点を当てるわけにはいかない。タイムピースの並外れた世界へと足を踏み入れるための、手ごろでありながらも魅力的な入り口となる製品がなければ、業界は次世代の意欲的な買い手たちを失うリスクを負うことになるのだ。
編集者注:この記事は、2025年に4.8%上昇したオーバーオール・マーケット・インデックス(総合市場指数)の正確なパフォーマンスを反映するために修正された。
話題の記事
Introducing オメガ スピードマスター ムーンウォッチ プロフェッショナル ブラック&ホワイトが登場(編集部撮り下ろし)
Recommended Reading ロレックスに関する2冊の教本と、ホイヤーのクロノグラフを深く掘り下げる1冊
Essays 2026年は、人間の手仕事を取り戻すためにAIスロップと戦う年