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パテック フィリップ 5370R スプリット秒針クロノグラフをとおして、この10年のハイエンドウォッチ収集を振り返る

この時計はじつに贅沢だ。そして重要でもある。Ref.5370の歩みは、この10年でハイエンドウォッチメイキングに起こったことの典型といえるのだろうか?

 ちょうど10年前、2015年のバーゼルワールド(安らかに眠れ)で、パテック フィリップにとってRef.1436以来となるシンプルなスプリットセコンドクロノグラフ、Ref.5370Pの初出を目にする機会を得た。先に言っておくが、Ref.5004を忘れてるんじゃないかと思った方、それは違う。ここで言っているのは純粋にスプリットセコンドクロノグラフ機構“だけ”を備え、ほかの複雑機構を持たない時計のことだ。それに私は5004のことをいつも考えている。忘れるわけがない。5370Pについて記事を書いたとき、私はとにかく興奮していた。なぜなら、それはかつて自分が愛してやまなかったあのパテック フィリップが帰ってきたように感じられたからだ。そのときの記事はこちらで読めるが、そこで私は、これはパテックが5970以降に発表したなかで最高の時計だと書いている。いや、もしかすると(ゴクリ)それ以前のどのモデルよりも最高かもしれないとまで書いている。よく知られているように、私は靴下の引き出しから見つかるような美しい時計についてブログを書いてきた。そういう者として、パテックが自分の琴線に触れるようなことをしてくれると、とにかく本気で興奮するのだ。

 5370Pは、私にとって多くの点で完璧な時計だった。1436を現代的に再解釈した(率直に言えばアップグレードさえした)複雑でディテールに富んだケース、自社製の精緻なスプリットセコンドクロノグラフ、そしてブレゲ数字を配したブラックのエナメルダイヤル! この時計がやがてクラシックとなり、世界中で選ばれしごく限られた顧客のもとにしか届けられない、垂涎の1本になることは間違いないと確信していた。そしてしばらくのあいだ、その読みは的中していた。だが5370Pと新作5370Rが今日のマーケットでどういった立ち位置にあるかを語る前に、ひとまず2015年の時計業界という名の遠い世界へ、時間旅行に出かけよう。今ではほとんど面影はないが、その記憶を辿ることには今もなお大きな意味がある。

5370Pが10年前に登場したとき、ベンのテンションは最高潮に達していた。


2015年、5370Pはなぜあれほど心に響いたのか?

5960Aは2014年に登場し、確実に多くのコレクターたちの注目を集めた。

 あるとき受けたジャーナリズムの授業で、年配の教授がこう言っていたのを思い出す。“コンテクストは記事の一部ではない。コンテクストこそが記事なのだ”と。そしてまさにこの件についても、そのコンテクストが、なぜ5370が私にとってあれほど興奮する存在だったかを明確にしてくれる。5370が発表される1年前、2014年にパテック フィリップはステンレススティール(SS)製でブレスレット付きの5960を発表し、コレクターたちを震撼させた。当時、SS製のパテックといえばノーチラスとアクアノートくらいのものであり、正直に言えばそれらに注目していた人などほとんどいなかった。そのようななかで、複雑機構を備えた時計をSS製で発表するなど前代未聞で、コレクターたちは困惑したのだ。それはパテック フィリップの“トーン”が大きく変わったことを示しており、さらにその翌年の2015年には5524Gというパイロットウォッチを発表し、パテックはついに正気を失ったのだろうかと思ったコレクターも少なくなかった。当時よく言われていたジョークは、ゼニスのデザイン部門から資料を盗んだに違いないといったもの。もちろん、当時私が書いたintroducing記事を読めばわかるとおり、この時計はパテック フィリップ・ミュージアムにも所蔵されている、1930年代のアワーアングルウォッチ2本と歴史的なつながりがある。だがそれを踏まえたとしても、この時計は発表当初まったくと言っていいほど歓迎されなかった。というのは、かなり控えめな表現だが。当時のインサイダーたちによる、詳しい反応は以下のとおりだ。

5524Gは2015年に登場し、人々を震撼させた。

 それだけではない。5270を、誰もがその技術的な完成度において5970の正統な後継機だと認めていたが、5270はその顔をなかなか定められずにいた。発表から最初の4年間で3種類もの異なるダイヤルが投入されており、2014年にポール・ブートロス(Paul Boutros)氏(敬意を込めてポールに感謝!)がA Week On The Wristで5270Gをレビューした際、キャリバーの仕上げや技術面をスイス随一と称賛しつつも、ダイヤルについては“アゴがある”と批判していた。これは27秒から33秒のあいだ、秒針がセコンドトラックに届かないという問題だった。率直に言えば、パテック フィリップのパーペチュアルカレンダー付きクロノグラフに対して、広くコレクター層からデザイン面での批判が出たのはこれが初めてだった(この問題は、その後5971Pの登場を皮切りに5270の各バリエーションで順次修正されていった)。この一件は、世界で最も重要な高級時計ブランドでさえ、審美的な判断において懐疑的な目を向けられるようになる最初の兆候だった。そしてその疑念は今も、こちらの記事コメント欄に寄せられた465件の声が示すように完全には消えていない。

 だが5370Pは間違いなく完璧だった。いや、当時も今もサイズが41mmでなく39.5mmだったらとは思う。だが、それ以外に批判できる点は見当たらなかった。ブラックダイヤルを備えたプラチナ製の5370Pが初めて登場した際、その小売価格は24万9200ドル(当時のレートで約3016万5000円)。たしかに高額ではあるが、それが象徴するものであることを考えれば、妥当な価格設定だったと言える。コレクターたちはこの時計に夢中になり、そして私にとって5370Pはパテック フィリップが今もなお、真剣に時計づくりと向き合っていることを証明する存在となった。


その後の5年間、時計業界はおおむね静穏だった

 このモデルが市場に出回った当時、熱狂的なファンたちがディーラーに駆け込んで在庫を問い合わせていたのをよく覚えている。Introducing記事でも触れたように、2015年にディーラーに入荷した個体はほんのわずかしかなかった。そして、今でもはっきりとジョン・M(John M.)氏とこの時計について話したことを覚えており、ハイエンドのパテックを愛する者にとって“これ1本あれば十分かもしれない”と、ふたりで語り合ったものだった。当時、実際にそうした見方をされていたのである。そして10年前、当時の自分にはとても手が届くような価格ではなかったものの、すべてを売ってでも5370Pを手に入れるべきかもしれないと本気で思った瞬間があった。私にとって5370Pは、何年にもわたってパテックの現行ラインナップのなかで最も魅力的なハイエンドモデルであり、実質的にライバル不在の状態が続いていた。そんな状況が変わったのは2018年、サーモンダイヤルを備えた5270Pが登場したときだ。このモデルがきっかけとなり、パテックの歴史のなかでも最も重要な系譜であるパーペチュアルカレンダークロノグラフへの再評価が一気に進んだのである。


その後の5年間は、まったくもって平穏とはほど遠いものだった
2019年時点で、スティールモデル不足はすでに問題となっていた。

 だが、時代は着実に変化しつつあった。人々は、よりカジュアルな時計を求めはじめていたのだ。パテック フィリップのSS製モデル、特にノーチラスやアクアノートへの関心が徐々に高まりつつあり、この変化についてはティエリー・スターン(Thierry Stern)氏が我々のマガジン、HODINKEE Vol.1でも言及していたし、レジェンドであるジョー・トンプソン(Joe Thompson)氏も2019年にこちらの記事で改めて取り上げていた。そしてその頃から、5370Pがセカンダリーマーケットに出回りはじめた。多くは定価付近で、時には定価を下回る価格で見かけることもあったが、その一方で5711/A、つまりSS製ノーチラスがブティックから姿を消し、オークションカタログに登場し始めた。その結果はというと、定価(2万ドル[当時のレートで218万円]台後半)を大きく上回る価格での落札となり、それはまさにひとつの物語だった。だがこの先の展開は、さらに常軌を逸したものとなっていくのだった。

 ブラックダイヤルの5370Pは2020年まで製造され、その年に鮮やかなブルーダイヤルのバージョンへと切り替えられた。中身はまったく同じで、違いはあくまで外観だけ。しかし、私にとってこの変更は少し脇道にそれたように感じられた。そしてこの発表があった2020年という年はパンデミックの真っ只なかであり、そしてその後に続いた、我々の世代において類を見ないほどの時計購買トレンドという変動が起きた年でもあった。これこそが5370、そしてパテックにおけるほかの複雑で重要なモデルたちにとって、大きな転換点になったと考えている。複雑時計、つまり“真なるパテック”への需要は急落し、その一方でスポーツウォッチへの需要が爆発的に伸びた。このあたりは読者の皆さんもよくご存じだろうから深掘りはしないが、要するに、パテックのカタログにおける最高峰の時計たちは定価を下回る価格で売られるようになり、一方で、新規コレクター向けに設計された最もシンプルな時計こそが入手困難になったのだ。どれほどの狂乱だったか? 2021年12月のフィリップスのオークションでは5711Aが28万980ドル(当時のレートで約3185万円)で落札されたが、わずか3週間前の同じくフィリップスのオークションでは5370Pが20万ドル(日本円で約2940万円)ちょっとで落札されている。

 標準仕様の5711A(ティファニーサインもなければ、グリーンダイヤルでもない)が、プラチナケースにエナメルダイヤルと、スプリットセコンド クロノグラフを備えた5370Pを大きく上回る価格で取引される。そんな時代だったのだ。コレクターとして正直に言えば、ブルーダイヤルの5370Pにはあまり響くものがなかったが、フィリップスで31万5000ドル(当時のレートで約4215万円)という高値をつけたこともある。ただし、こうしたケースは例外的であり、現在ではブラックとブルー両方のダイヤルの5370Pがともに20万ドル(日本円で約2960万円)を下回る価格で落ち着いている。2020年の5370Pの定価は26万3093ドル(日本円で約3100万円)だった。ここではっきりさせておきたいが、私は、セカンダリーマーケットでの価格が定価を上回るべきだと考えているわけではないし、それが時計を買う基準になったこともない。ただ、もし定価以上で取引されるべき時計があるとすれば、それは5370だと、いや5270もそうだと断言したい。これらは、時計界におけるエルメスのバーキンであり、GT3ツーリング(あるいは911 S/T)だ。最高のブランドと最高のクラフツマンシップ、最高の美学を持ち、そして何より、セカンダリーマーケットでこそ見かけるものの、実際に正規店で手に入れるのが極めて難しいモデルである。だが現実はそうなっていない。この文章を書いている最中に、ブラックダイヤルの中古の5370PがInstagramに16万5000ドル(日本円で約2430万円)で出ているのを見かけた。私の友人には、5370Pを新品で正規から購入した人物がいるが、彼はいまほかの時計に乗り換えるために売却を検討している。ところが彼のもとに届くオファーの価格は正直、首をかしげるほど低い。なぜか? 理由は単純だ。今の市場では、ほとんどの買い手が“複雑さ”ではなく“ステータス”を求めているからだ。そして、パテック フィリップを含むすべてのブランドが提示する価格は、すでにまったく別次元の“極端な領域”に突入してしまっているのだ。そう、こんなことを言っている私ですらそう感じているのだから。

  5370Pが発売された当初、定価は20万ドル(日本円で約2960万円)台後半だった。一方で、A.ランゲ&ゾーネが初めてシンプルなスプリットセコンド、しかもリミテッドエディションのハニーゴールド仕様でを発表したとき、その価格はおよそ半分の13万4000ドル(日本円で約1980万円)だった。もちろん、パテックとランゲの比較において技術的な優位性はある。たとえばスプリットセコンドのアイソレーター機構などがそうだ。だが一方で、ハニーゴールド仕様のムーブメント構造の美しさ、独自素材の使用、そして100本限定という確実な希少性を考えれば、ランゲが提示した価値は充分すぎるほどだったといえる。このことを強調するために言うが、13万4000ドル(当時のレートで1622万5000円)の時計をお買い得と感じさせるのは簡単なことではない。だが、パテックが設定した5370Pの価格のおかげで、実際にそう感じたのだ。そして結果的に、私はランゲのスプリットセコンドクロノグラフに申し込み、ついに手に入れた。それで、5370が欲しかったかって? 一瞬たりともそう思ったことはない。そして、それこそがここ数年の5370を取り巻く問題の一部でもあるのだ。定価は高すぎ、セカンダリーマーケットでは安すぎ、そして市場には流通数が多すぎるのだ。過去10年間に発表されたパテックのハイエンドモデルも、少なからず同じ問題を抱えている。だが、話を進めよう。今こそ“今年”のハイエンドパテック、すなわち5370Rについて語るときなのだ。


ローズゴールド製の5370 スプリットセコンド クロノグラフが、ツートーンのエナメルダイヤルで登場

5370Rにはどこか“シガー愛好家”のような趣がある、そう思わないか?

 前置きは抜きにしよう。2024年10月に発表された45mmのキュビタスがあまり広く受け入れられなかったのに対し、今年のWatches & Wondersでパテックが披露したラインナップは、素晴らしいものだった。スモークダイヤルのパーペチュアルカレンダーを備えた6159は圧巻だ。そして奇妙なことに、現代のパテックにおける複雑機構モデルとしては信じられないほど良心的な価格設定になっている。新たに発表された小振りな40mmのゴールド製キュビタスも大成功を収めており、私の知る限り、2025年に向けてパテックのすべてのディーラーがもっとも欲しがっているモデルだ。そして6196Pに対する自分の気持ちは言うまでもない。完璧だとは言わないが、私が時計を取材してきたなかでこれほど完璧に近いパテックのカラトラバはほかにない。いつか本気で購入したいと思っている1本だ。では、新作ローズゴールド仕様の5370についてはどうか? これについてもポジティブな話題で持ちきりだった。なぜなら、この時計にはまるで1990年代に製造されたようなオーラがあるからだ。当時のパテック フィリップは、真にハイエンドで、真にラグジュアリーなタイムピースを世に送り出す存在として、まさに頂点に君臨していた。

5370Rはその前面も背面も、これぞ真のパテック フィリップという姿を見事に体現している。

 ここにあるのは、プラチナモデルと同じ時計だが、より温かみがあり、クラシックでヴィンテージ感にあふれ、まるで書斎でシングルモルトのスコッチとキューバ産のシガーを嗜むような雰囲気をまとっている。そして正直に言って、その雰囲気はこのモデルに完璧にマッチしていると思う。ケースは同じだが今回はローズゴールド(RG)製であり、ダイヤルはきわめて特別な存在だ。その素材は引き続きエナメルだが、実際には3パーツで構成された複雑な構造を持つエナメルダイヤルとなっている。ブラウンのメインダイヤル、積算計として機能する2つのベージュインダイヤル、そして同じくエナメル製のベージュの外周リングだ。RG製のブレゲ数字は、エナメルのなかに完璧に埋め込まれている。ブラウンのメインダイヤルにはグラン・フー エナメルで高度なポリッシュ仕上げが、レジスターと外周トラックにはシャンルヴェ技法が施されている。工程としてはシャンルヴェ技法と似ているものの、グラン・フーは一般的に、ベースに複数層のエナメルを施すことでより広く、より深みのある色調のダイヤルを生み出す。今回この技法がブラウンのメインダイヤルプレートに採用された理由もそこにある。また、シャンルヴェ技法は金属の彫刻やエッチングの内部に施され、その空間を埋めることでより様式的な外観を作り出す。このため、本モデルではインダイヤルと外周リングにシャンルヴェ技法が用いられている。そして外周リングについてだが、これはホワイトではなく、ベージュあるいはクリームカラーだ。ダイヤルもブラックではなくブラウン。この時計はまさに規則的にアースカラーで統一されており、私は歓迎している。ちなみに大学を卒業して初めて買ったクルマはチークブラウンで、最近まで乗っていたファミリーカーはコーヒーベージュ・メタリックだったくらいなので、このカラーリングにはかなり引かれている。このダイヤルをさらに高い次元へと引き上げているのは、仕上げとカラーの多様性に加え、インダイヤルがブラウンダイヤル面に沈み込み、外周トラックが逆に盛り上がっている点だ。その結果、見慣れた時計に新しい表情が与えられ、実に美しく、緻密に考え抜かれ、ほかとは一線を画す仕上がりとなっている。

このジャケットとの相性、抜群ではないか?

 実際に腕に着けてみると必要以上に1mmほど大きく感じる。だが決して威圧的ではない。前述のとおり、このケースは1436をサイズアップしたようなデザイン(今もなお自分にとって憧れのモデルだ)であり、その仕上げと作り込みのレベルは、量産体制を持つどの時計メーカーも到底及ばないものだ。ポリッシュとサテンの仕上げを巧みに切り替えた面構成がその証である。そうしたつくりのおかげで、このモデルは現代のラトラパンテとしては驚くほど腕なじみがいい。つまり、完璧というにはほんのわずかに大きくて厚いのだが、それさえも許されてしまうような例外的な存在なのである。

  そしてムーブメントは? もちろん、搭載されているのはあのCal.CHR 29-535 PS。あらゆる面で文句なしの完成度を誇る傑作だ。厚さはわずか7.12mm。ベースとなるクロノグラフキャリバー(5172に搭載されるCH 29-535 PS)より約1mm厚いだけだ。ディテール、仕上げ、そして設計のどれを取っても、このクラスの時計に求められる水準を凌駕しており、明らかに手作業で仕上げられた工程をいくつも確認できる。率直に言って、これはただただ美しい。人が実際にはまったく必要としていないものに対して理屈をこねはじめるとしたら、それはこういうパテック フィリップのきわめて複雑なムーブメントを見たときだろう。

マーク・カウズラリッチが世界中の時計愛好家に向けて届けてくれたこの1枚の写真。5370Rに搭載されるCal.CHR 29-535 PSのスナップショットはまさに眼福だ。

 このクラスのパテックに期待すべき(いや、当然備わっていてしかるべき)仕様として、このムーブメントにはフリースプラングのジャイロマックステンプが採用されており、パーツ全体にわたって滑らかで一貫性のある手仕上げが施されている。これを見てまるでフィリップ・デュフォー(Philippe Dufour)氏本人が仕上げたかのようだと感じるか? 決してそうではないが、それはこのムーブメントにおける目的ではない。機械仕上げと思われる工程は確かに見受けられるが、たとえこの価格帯においても見られるとしても、全体のバランスの良さと完成度の高さがそれを十分に補って余りあるのだ。

本当に文句なしに美しいよね?

 では本題に入ろう。私が今日、パテック フィリップの5370Rを買うかどうかという話だ。まず、この時計の希望小売価格は30万2841ドル(日本円で約4456万5000円)であり、ニューヨークで購入するとなると税金を含めておよそ33万ドル(日本円で約4856万1000円)になる。これはとんでもない金額だ。正直に言えば、たとえ私に子どもが2人もおらず、住宅ローンもないという別の人生を送っていたとしても、この価格を正当化するのは難しいだろう。そしてここが重要な点だ。5370Rは、この10年間でパテックが製作した5370シリーズのなかで群を抜いて魅力的なモデルであり、最も高価でもあるのだ。この価格の背景には、ダイヤルワークの素晴らしさがあり、その色合いは、もし私自身が選ぶよう求められてもこれ以上のものはないというほど私好みである。しかし、30万ドル(日本円で約4414万7000円)を超える価格であれば時計は完璧であって欲しい。5370は現行時計のなかでも間違いなく最上位に位置する1本ではあるが、私には少し物足りないと感じる。もし、かつて人気が沸騰していたブラックダイヤルの5370Pを、私がまだ若く独身で、自由に使える資金を持っていた頃に買っていなかったとしたら、このRG製モデルに心を動かされるのは難しかっただろう。たとえその魅力を十分に備えていたとしても、このさらに高い価格では、購入に踏み切るのは至難の業だ。

 とはいえ、私に今よりもはるかに多くの可処分所得があったり、あるいは架空の信託基金がある日突然降ってきたりしたなら、今市場にこのモデル以上に贅沢で美しいスプリットセコンドクロノグラフは存在しないかもしれない。ペテルマン・ベダのRef.2941 スプリットセコンド・クロノグラフには多くの魅力がある。議論の余地はあるものの、より興味深いムーブメント設計、より多くの手作業による仕上げ、そして小振りな38mmケース。しかし、私はこのベダのケースとダイヤルにはどうしてもなじめず、最終的には5370Rを選ぶと思われる。

 そして、先ほど触れた価格や流通の話に戻ろう。5370Rはほんの数カ月前に発表されたばかりで、私の知る限りではまだほとんど出荷されていない、あるいはまだゼロに近いとさえ聞いている。つまり、この時計には事実上セカンダリーマーケットが存在しないのだ。Chrono24にいくつか掲載されているものの、それらの画像は2025年のWatches & Wondersで撮影された展示ケース越しのものと思われ、実物が手元にあるかどうかは疑わしい。ここで本当の問題は、もしあなたがパテック フィリップ派であり、つまりランゲやペテルマン・ベダのようなブランドには目もくれず、5370が欲しいと思うなら、30万ドル(日本円で約4414万7000円)超のRG製モデルを狙うべきか、それともその約65%の価格で手に入る中古の5370Pを探すべきか、ということだ。私にも答えは出ない。なぜなら、パテックのコレクターにとっては正規価格で手に入れることが非常に重要だからだ。それは私にとっても同じである。しかしこの価格差はかなり大きい。というわけで、この話からまた別の記事のアイデアが浮かんできた。

 それまでのあいだは、新作5370Rについてのとりとめのない感想を楽しんで欲しい。これは間違いなく美しい時計であり、特別な構造を持つ文字盤と見事なムーブメントを備えている。しかし、ケースのサイズと価格は、パテック フィリップの世界においてさえ、やや過剰なのかもしれない。

 5370Rの詳細についてはこちらをご覧ください。